「車でお遍路」第82番札所 根香寺(牛鬼伝説の札所)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、82番目のお寺は、
青峰山 千手院 根香寺
81番札所の白峯寺から約8.2㎞、車で約15分の場所、
白峯寺から緑豊かな山道を五色台の白峯から青峯へ心地よい約15分の快適ドライブ。
この黄峰、青峯、赤峯、白峯、黒峯、で構成される「五色台」は、弘法大師が弘仁年間にこの場所で五智如来を感じて名付けたという。
仏教は、平安時代に入り祈りやまじないの不思議な力を得ようと苦しい修行をする山岳仏教が始まったが、この根香寺も「牛鬼伝説(後述)」をもつ山岳寺院として栄えた。
また、特徴は、弘法大師が開基した後に智証大師が建立した寺院とを総称して根香寺とした天台宗の札所(四国霊場で天台宗の札所は、順打ちで第43番札所明石寺、第76番札所金倉寺に次ぐ3札所目)。
では、「牛鬼伝説」のある天台宗の札所「根香寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
弘仁年間(810-824年)、この地を巡錫中の弘法大師は、ここ五色台青峰に五智如来を感得、五大明王を祀る「花蔵院」を建立
天長9年(832年)、この地を訪れた智証大師は、山の鎮守である一ノ瀬明神に出逢い、「この地に道場を建て蓮華谷の霊木で千手観音像を彫るように」と告げられ、「千手院」を建立して千手観音像を自ら彫り安置
その際、「花蔵院」と「千手院」を総称して「根香寺」と名付けたその後、山岳寺院として繁栄
平安時代末期、後白河天皇(在位:1155-1158年)勅願所となり、寺領を下賜され繁栄
永正年間(1504-1521年)以降、海賊や兵火により焼失し衰退
慶長年間(1596-1615年)、高松藩主生駒家により復興
寛文4年(1664年)、高松藩主松平家により再興、真言宗から天台宗に改宗して現在に至る
牛鬼の伝説
寺号について
山号について
・・・五色台の「青峯」から「青峰山」と名付けられた院号・寺号について
・・・智証大師は、山の鎮守である一ノ瀬明神に出逢い、「この地に道場を建て蓮華谷の霊木で千手観音像を彫るように」と告げられ、「千手院」を建立して千手観音像を自ら彫り安置
このときの霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから、「花蔵院」と「千手院」を総称して「千手院 根香寺」と名付けた
ご利益
御本尊の千手観世音菩薩
・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益。
御本尊・ご真言
見どころ
本堂 千手観音立像【重要文化財】
・・・御本尊に千手観音菩薩(33年に一度の御開帳で次回は2036年の予定)を祀る五大堂
・・・弘法大師がこの地で感得された五智如来、その教令輪身たるお姿(導きがたい相手に対しての怖いお姿)の五大尊(中央に大日大聖不動明王、東方に降三世夜叉明王、西方に大威徳夜叉明王、南方に軍荼利夜叉明王、北方に金剛夜叉明王)を祀る
五大尊は、燃えるような情熱をもって日夜私どもを愛し助けて下さる有難い仏さま白猴欅
・・・樹齢約1600年と言われた欅だったが枯死したため、現在は屋根を付けて保存
智証大師が根香寺を開基した際、この樹の下に山王権現が現れ白い猿が下りてきて大師を守護し創業を助けたという万体観音
・・・本堂前の回廊の中には全国各地の信者が奉納した約3万3千体の観音像が並ぶ。牛鬼像
・・・山門外の駐車場近くにあります
写真
次は、第83番札所一宮寺へ参ります。
2022年8月13日投稿
2022年10月11日改訂
合掌