二二、思想方法と工作方法

人类的历史,就是一个不断地从必然王国向自由王国发展的历史。这个历史永远不会完结。在有阶级存在的社会内,阶级斗争不会完结。在无阶级存在的社会内,新与旧、正确与错误之间的斗争永远不会完结。在生产斗争和科学实验范围内,人类总是不断发展的,自然界也总是不断发展的,永远不会停止在一个水平上。因此,人类总得不断地总结经验,有所发现,有所发明,有所创造,有所前进。停止的论点,悲观的论点,无所作为和骄傲自满的论点都是错误的。其所以是错误,因为这些论点,不符合大约一百万年以来人类社会发展的历史事实,也不符合迄今为止我们所知道的自然界(例如天体史,地球史,生物史,其他各种自然科学史所反映的自然界)的历史事实。转摘自《周恩来总理在第三届全国人民代表大会第一次会议上的政府工作报告》,一九六四年十二月三十一日《人民日报》

日本語訳

人類の歴史は、必然の王国から自由の王国へとたえまなく発展してゆく歴史である。この歴史は永遠に終わりをつげることがない。階級の存在する社会では、階級闘争は終わりをつげることがない。階級の存在しない社会でも、新しいものとふるいもの、正しいものと誤ったものとの闘争は永遠に終わりをつげることがない。生産闘争と科学実験の分野でも、人類はたえず発展するものであるし、自然界もたえず発展するものであって、おなじ水準にとどまっているようなことは永遠にありえない。だから、人類はたえず経験を総括して、なにかを発見し、発明し、創造し、前進してゆかなければならない。停止の論点、悲観の論点、無為徒食と傲慢不遜の論点は、みなまちがっている。なぜまちがっているのかというと、これらの論点は、およそ百万年らいの人類社会の発展の歴史的事実に合致していないし、これまでにわれわれの知っている自然界(たとえば、天体史、地球史、生物史、その他いろいろな自然科学史の反映する自然界)の歴史的事実にも合致していないからである。– 「第3期全国人民代表大会第1回会議における周恩来総理の政府活動報告」のなかに引用されていることば、1964年12月31日づけ『人民日報』

自然科学是人们争取自由的一种武装。人们为着要在社会上得到自由,就要用社会科学来了解社会,改造社会进行社会革命。人们为着要在自然界里得到自由,就要用自然科学来了解自然,克服自然和改造自然,从自然里得到自由。在边区自然科学研究会成立大会上的讲话(一九四零年二月五日),一九四零年三月十五日《新中华报》

日本語訳

自然科学は、人びとが自由をかちとるための武装力である。人びとは、社会で自由を得ようとすれば、社会科学をもちいて社会を理解し、社会を改造し、社会革命をおこなわなければならない。人びとは、自然界で自由を得ようとすれば、自然科学をもちいて自然を理解し、自然を克服し、自然を改造して、自然のなかから自由を得なければならない。

马克思主义的哲学辩证唯物论有两个最显著的特点:一个是它的阶级性,公然申明辨证唯物论是为无产阶级服务的;再一个是它的实践性,强调理论对于实践的依赖关系,理论的基础是实践,又转过来为实践服务。《实践论》(一九三七年七月),《毛泽东选集》第一卷第二七三页

日本語訳

マルクス主義の哲学、つまり弁証法的唯物論にはもっとも顕著な特徴が2つある。1つはその階級性で、弁証法的唯物論はプロレタリアートに奉仕するものであることを公然と言明していること、もう1つはその実践性で、実践にたいする理論の依存関係、すなわち理論の基礎は実践であり、理論はまた転じて実践に奉仕するものであることを強調していることである。

马克思主义的哲学认为十分重要的问题,不在于懂得了客观世界的规律性,因而能够解释世界,而在于拿了这种对于客观规律性的认识去能动地改造世界。《实践论》(一九三七年七月),《毛泽东选集》第一卷第二八零——二八一页

日本語訳

マルクス主義の哲学が非常に重要だと考えている問題は、客観世界の法則性がわかることによって、世界を説明できるという点にあるのではなく、この客観的法則性にたいする認識をつかって、能動的に世界を改造する点にある。

人的正确思想是从那里来的?是从天上掉下来的吗?不是。是自己头脑里固有的吗?不是。人的正确思想,只能从社会实践中来,只能从社会的生产斗争、阶级斗争和科学实验这三项实践中来。《人的正确思想是从那里来的?》(一九六三年五月),人民出版社版第一页

日本語訳

人間の正しい思想はどこからくるのか。天からふってくるのか。そうではない。もともと自分の頭のなかにあるのか。そうではない。人間の正しい思想は、社会的実践のなかからのみくるのであり、社会の生産闘争、階級闘争、科学実験というこの3つの実践のなかからのみくるのである。

人们的社会存在,决定人们的思想。而代表先进阶级的正确思想,一旦被群众掌握,就会变成改造社会、改造世界的物质力量。《人的正确思想是从那里来的?》(一九六三年五月),人民出版社版第一页

日本語訳

人間の社会的存在は、人間の思想を決定する。そして先進的な階級を代表する正しい思想は、ひとたび大衆ににぎられると、社会を改造し、世界を改造する物質的な力となる。

人们在社会实践中从事各项斗争,有了丰富的经验,有成功的,有失败的。无数客观外界的现象通过人的眼、耳、鼻、舌、身这五个官能反映到自己的头脑中来,开始是感性认识。这种感性认识的材料积累多了,就会产生一个飞跃,变成了理性认识,这就是思想。这是一个认识过程。这是整个认识过程的第一个阶段,即由客观物质到主观精神的阶段,由存在到思想的阶段。这时候的精神、思想(包括理论、政策、计划、办法)是否正确地反映了客观外界的规律,还是没有证明的,还不能确定是否正确,然后又有认识过程的第二个阶段,即由精神到物质的阶段,由思想到存在的阶段,这就是把第一个阶段得到的认识放到社会实践中去,看这些理论、政策、计划、办法等等是否能得到预期的成功。一般的说来,成功了的就是正确的,失败了的就是错误的,特别是人类对自然界的斗争是如此。在社会斗争中,代表先进阶级的势力,有时候有些失败,并不是因为思想不正确,而是因为在斗争力量的对比上,先进势力这一方,暂时还不如反动势力那一方,所以暂时失败了,但是以后总有一天会要成功的。人们的认识经过实践的考验,又会产生一个飞跃。这次飞跃,比起前一次飞跃来,意义更加伟大。因为只有这一次飞跃才能证明认识的第一次飞跃,即从客观外界的反映过程中得到的思想、理论、计划、办法等等,究竟是正确的还是错误的,此外再无别的检验真理的办法。《人的正确思想是从那里来的?》(一九六三年五月),人民出版社版第一——二页

日本語訳

人間は社会的実践のなかでさまざまな闘争にたずさわり、豊富な経験をもつようになるが、それには成功したものもあれば、失敗したものもある。客観的外界の無数の現象は、人間の目、耳、鼻、舌、身体などの5官をつうじて、自分の頭脳に反映してくるのであって、はじめは感性的認識である。このような感性的認識の材料が多くたくわえられると、飛躍がうまれ、理性的認識に変わるのであって、これが思想である。これはひとつの認識過程である。これは全認識過程の第1の段階、すなわち客観的物質から主観的精神への段階であり、存在から思想への段階である。このときの精神、思想(理論、政策、計画、方法をふくむ)が客観的外界の法則を正しく反映しているかどうかは、まだ証明されておらず、正しいかどうかはまだ確定することができない。そのあと、さらに認識過程の第2の段階、すなわち精神から物質への段階、思想から存在への段階があるのであって、これは、第1段階で得た認識を社会的実践のなかにもちこみ、それらの理論、政策、計画、方法などが予期した成功をおさめることができるかどうかを見るのである。一般的にいって、成功したものは正しく、失敗したものは間違 っており、とくに自然界にたいする人類の闘争がそうである。社会の闘争において、先進的な階級を代表する勢力が、ときには多少失敗することもあるが、これは思想が正しくないからではなく、闘争における力関係の面で、先進的な勢力の方が一時まだ反動勢力の方におよばないから、そのために一時失敗するのである。しかし、そのうちいつかはかならず成功するものである。人間の認識は実践の試練を経てふたたび飛躍をとげる。こんどの飛躍は前の飛躍に比べてその意義がいっそう大きい。なぜなら、こんどの飛躍だけが、認識の最初の飛躍、すなわち、客観的外界の反映の過程で得た思想、理論、政策、計画、方法などがいったい正しかったのか間違っていたのかを証明することができるからであって、これ以外に真理を検証する方法はないのである。

一个正确的认识,往往需要经过由物质到精神,由精神到物质,即由实践到认识,由认识到实践这样多次的反复,才能够完成。这就是马克思主义的认识论,就是辩证唯物论的认识论。《人的正确思想是从那里来的?》(一九六三年五月),人民出版社版第三页

日本語訳

正しい認識は、しばしば物質から精神へ、精神から物質へ、すなわち、実践から認識へ、認識から実践へというこの多くの反復を経て、はじめて完成されるのでみる。これがマルクス主義の認識論であり、弁証法的唯物論の認識論である。

无论何人要认识什么事物,除了同那个事物接触,即生活于(实践于)那个事物的环境中,是没有法子解决的。……你要有知识,你就得参加变革现实的实践。你要知道梨子的滋味,你就得变革梨子,亲口吃一吃。……你要知道革命的理论和方法,你就得参加革命。一切真知都是从直接经验发源的。《实践论》(一九三七年七),《毛泽东选集》第一卷第二七五——二七六页

日本語訳

だれでも、事物を認識しようとすれば、その事物と接触すること、つまりその事物の環境のなかで生活すること(実践すること)よりほかには、解決の方法がない。……知識をえたいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。梨の味を知りたければ、自分でそれを食べてみること、すなわち梨を変革しなければならない。……革命の理論と方法を知りたければ、革命に参加しなければならない。すべての真の知識は直接的経験をその源としている。

认识从实践始,经过实践得到了理论的认识,还须再回到实践去。认识的能动作用,不但表现于从感性的认识到理性的认识之能动的飞跃,更重要的还须表现于从理性的认识到革命的实践这一个飞跃。《实践论》(一九三七年七月),《毛泽东选集》第一卷第二八一页

日本語訳

認識は実践にはじまり、実践をつうじて理論的認識に達すると、ふたたび実践にもどらなければならない。認識の能動的作用は、たんに感性的認識から理性的認識への能動的飛躍にあらわれるだけではなく、もっと重要なことは、理性的認識から革命の実践へという飛躍にもあらわれなければならないことである。

大家明白。不论做什么事,不懂得那件事的情形,它的性质,它和它以外的事情的关联,就不知道那件事的规律,就不知道如何去做,就不能做好那件事。《中国革命战争的战略问题》(一九三六年十二月),《毛泽东选集》第一卷第一六三——一六四页

日本語訳

周知のように、どんなことをするにも、そのことの状況、その性質、それとそれ以外のこととのつながりがわからないならば、そのことの法則もわからず、それをどういうふうにやればよいかもわからず、また、それをりっぱになしとげることもできない。

人们要想得到工作的胜利即得到预想的结果,一定要使自己的思想合于客观外界的规律性,如果不合,就会在实践中失败。人们经过失败之后,也就从失败取得教训,改正自己的思想使之适合于外界的规律性,人们就能变失败为胜利,所谓“失败者成功之母”,“吃一堑长一智”,就是这个道理。《实践论》(一九三七年七月),《毛泽东选集》第一卷第二七三页

日本語訳

人びとが仕事に成功しようとおもうなら、つまり予想した結果をえようとするなら、自分の思想を客観的外界の法則性に合致させなければならない。合致させなければ、実践において失敗するにちがいない。失敗したあとで、失敗から教訓をくみとり、自分の思想を外界の法則性に合致するようにあらためると、失敗を成功に変えることができる。「失敗は成功のもと」とか、「いちどつまずけば、それだけ利口になる」とかいわれるのは、この道理をいっているのである。

我们是马克思主义者,马克思主义叫我们看问题不要从抽象的定义出发,而要从客观存在的事实出发,从分析这些事实中找出方针、政策、办法来。《在延安文艺座谈会上的讲话》(一九四二年五月),《毛泽东选集》第三卷第八五五页

日本語訳

われわれはマルクス主義者であって、われわれが問題をみるには、抽象的な定義から出発してはならず、客観的に存在する事実から出発し、これらの事実の分析のなかから方針、政策、方法をさがしださなければならないことを、マルクス主義は教えている。

按照实际情况决定工作方针,这是一切共产党员所必须牢牢记住的最基本的工作方法。我们所犯的错误,研究其发生的原因,都是由于我们离开了当时当地的实际情况,主观地决定自己的工作方针。《在晋绥干部会议上的讲话》(一九四八年四月一日),《毛泽东选集》第四卷第一三零六页

日本語訳

実際の状況にもとづいて工作方針をきめること、これはすべての共産党員がしっかりと心にきざみつけておかなければならないもっとも基本的な工作方法である。われわれのおかした誤りは、その発生の原因をしらべてみると、すべて、われわれがその時、その土地の実際の状況からはなれ、主観的に自分の工作方針をきめたことからきている。

世界上只有唯心论和形而上学最省力,因为它可以由人们瞎说一气,不要根据客观实际,也不受客观实际检查的。唯物论和辩证法则要用气力,它要根据客观实际,并受客观实际检查,不用气力就会滑到唯心论和形而上学方面去。《关于胡风反革命集团的材料》按语(一九五五年五月),《关于胡风反革命集团的材料》人民出版社版第七零页

日本語訳

世のなかで、いちばん手間がかからないのは観念論と形而上学である。なぜなら、それらは客観的実際を根拠にする必要がなく、また客観的実際の点検をうけることもなく、でたらめをいってもかまわないからである。唯物論と弁証法のばあいは、客観的実際を根拠にし、客観的実際の点検をうけなければならないから、骨を折らなければならない。もしも骨を折らなければ、観念論や形而上学の側に転落してしまうであろう。

我们看事情必须要看它的实质,而把它的现象只看作入门的向导,一进了门就要抓住它的实质,这才是可靠的科学的分析方法。《星星之火,可以燎原》(一九三零年一月五日),《毛泽东选集》第一卷第一零三页

日本語訳

われわれが事物を見るばあいには、その実質を見るべきであり、その現象はただ入門のための手引きとみなし、ひとたび門内にはいったならば、その実質をつかまなければならない。これがたしかな科学的な分析方法である。

事物发展的根本原因,不是在事物的外部而是在事物的内部,在于事物内部的矛盾性。任何事物内部都有这种矛盾性,因此引起了事物的运动和发展。事物内部的这种矛盾性是事物发展的根本原因,一事物和他事物的互相联系和互相影响则是事物发展的第二位的原因。《矛盾论》(一九三七年八月),《毛泽东选集》第一卷第二八九——二九零页

日本語訳

事物の発展の根本原因は、事物の外部にあるのではなくて、事物の内部にあり、事物の内部の矛盾性にある。どのような事物の内部にもこうした矛盾性があり、それによって事物の運動と発展がひきおこされる。事物の内部のこの矛盾性は、事物の発展の根本原因であり、ある事物と他の事物が相互に連係し、影響しあうことは、事物の発展の第2義的な原因である。

唯物辩证法认为外因是变化的条件,内因是变化的根据,外因通过内因而起作用。鸡蛋因得适当的温度而变化为鸡子,但温度不能使石头变为鸡子,因为二者的根据是不同的。《矛盾论》(一九三七年蜍月),《毛泽东选集》第一卷第二九一页

日本語訳

唯物弁証法は、外因を変化の条件、内因を変化の根拠とし、外因は内因をつうじて作用するものと考える。鶏の卵は、適当な温度をあたえられると、ひよこに変化するが、石ころに温度をくわえてもひよこにならないのは、両者の根拠がちがうからである。

马克思主义的哲学认为,对立统一规律是宇宙的根本规律。这个规律,不论在自然界、人类社会和人们的思想中,都是普遍存在的。矛盾着的对立面又统一,又斗争,由此推动事物的运动和变化。矛盾是普遍存在的,不过按事物的性质不同,矛盾的性质也就不同,对于任何一个具体的事物说来,对立的统一是有条件的、暂时的、过渡的,因而是相对的,对立的斗争则是绝对的。《关于正确处理人民内部矛盾的问题》(一九五七年二月二十七日),人民出版社版第九——一零页

日本語訳

マルクス主義の哲学は、対立面の統一の法則を宇宙の根本法則と見る。この法則は、自然界であろうと、人類社会であろうと、また人びとの思想であろうと、いずれにも普遍的に存在するものである。矛盾する対立面は、統一もしておれば闘争もしており、それによって事物の運動と変化がうながされるのである。矛盾は普遍的に存在するが、事物の性質の相違によって、矛盾の性質が異なるにすぎない。いかなる具体的事物についても、対立面の統一は条件的、一時的、過渡的であり、したがって相対的であるが、対立面の闘争は絶対的である。

分析的方法就是辩证的方法。所谓分析,就是分析事物的矛盾。不熟悉生活,对于所论的矛盾不真正了解,就不可能有中肯的分析。《在中国共产党全国宣传工作会议上的讲话》(一九五七年三月十二日),人民出版社版第一五页

日本語訳

分析という方法は、弁証法的な方法である。分析とは、事物の矛盾を分析することである。生活をよく知らす、論じている矛盾をほんとうに理解していなければ、当をえた分析をすることはできない。

列宁说,对于具体情况作具体的分析,是“马克思主义的最本质的东西,马克思主义的活的灵魂”。我们许多同志缺乏分析的头脑,对于复杂事物,不愿作反复深入的分析研究,而爱作绝对肯定或绝对否定的简单结论。……今后应该改善这种状况。《学习和时局》(一九四四年四月十二日),《毛泽东选集》第三卷第九四三页

日本語訳

レーニンは、具体的な状況を具体的に分析することが、「マルクス主義の真髄とマルクス主義の生きた魂である」といっている。われわれの同志のあいだには、分析する頭脳に欠け、複雑な事物にたいして、反復した掘りさげた分析と研究をおこなおうとしないで、絶対的肯定あるいは絶対的否定の簡単な結論をくだしたがるものが多い。 ……今後は、こうした状態を改善しなければならない。

这些同志看问题的方法不对。他们不去看问题的本质方面,主流方面,而是强调那些非本质方面、非主流方面的东西。应当指出:不能忽略非本质方面和非主流方面的问题,必须逐一地将它们解决。但是,不应当将这些看成为本质和主流,以致迷惑了自己的方向。《关于农业合作化问题》(一九五五年七月三十一日),《人民出版社版第二一页

日本語訳

これらの同志は、問題の見方が間違っている。かれらは問題の本質的な面、主流の面をみないで、本質的でない面、主流でない面のものを強調している。本質的でない面や主流でない面の問題をゆるがせにしてはならず、それらをひとつひとつ解決してゆかなければならないことを指摘すべきである。しかし、それらを本質や主流とみなして、自分の方向について迷ってはならない。

世界上的事情是复杂的,是由各方面的因素决定的。看问题要从各方面去看,不能只从单方面看。《关于重庆谈判》(一九四五年十月十七日),《毛泽东选集》第四卷第一一五六页

日本語訳

世の中のことは複雑で、いろいろな要因によってきまる。問題は、一面的からだけ見るのでなく、いろいろな面から見なければならない。

只有那些主观地、片面地和表面地看问题的人,跑到一个地方,不问环境的情况,不看事情的全体(事情的历史和全部现状),也不触到事情的本质(事情的性质及此一事情和其他事情的内部联系),就自以为是地发号施令起来,这样的人是没有不跌交子的。《实践论》(一九三七年七月),《毛泽东选集》第一卷第二七八——二七九页

日本語訳

問題を主観的、一面的、表面的に見る人にかぎって、どこへいっても周囲の状況をかえりみず、事がらの全体(事がらの歴史と現状の全体)を見ようとせず、事がらの本質(事がらの性質およびこの事がらとその他の事がらとの内部的なつながり)にはふれようともしないで、ひとりよがりに命令をくだすのであって、こういう人間がつまずかないはずはない。

研究问题,忌带主观性、片面性和表面性。所谓主观性,就是不知道客观地看问题,也就是不知道用唯物的观点去看问题。这一点,我在《实践论》一文中已经说过了。所谓片面性,就是不知道全面地看问题。……或者叫做只看见局部,不看见全体,只看见树木,不看见森林。这样,是不能找出解决矛盾的方法的,是不能完成革命任务的,是不能做好所任工作的,是不能正确地发展党内的思想斗争的。孙子论军事说:“知彼知己,百战不殆。”他说的是作战的双方。唐朝人魏征说过: “兼听则明,偏信则暗。”也懂得片面性不对。可是我们的同志看问题,往往带片面性,这样的人就往往碰钉子。……列宁说:“要真正地认识对象,就必须把握和研究它的一切方面、一切联系和‘媒介’。我们决不会完全地作到这一点,可是要求全面性,将使我们防止错误,防止僵化。”我们应该记得他的话。表面性,是对矛盾总体和矛盾各方的特点都不去看,否认深入事物里面精细地研究矛盾特点的必要,仅仅站在那里远远地望一望,粗枝大叶地看到一点矛盾的形相,就想动手去解决矛盾(答复问题、解决纠纷、处理工作、指挥战争)。这样的做法,没有不出乱子的。……片面性、表面性也是主观性,因为一切客观事物本来是互相联系的和具有内部规律的,人们不去如实地反映这些情况,而只是片面地或表面地去看它们,不认识事物的互相联系,不认识事物的内部规律,所以这种方法是主观主义的。《矛盾论》(一九三七年八月),《毛泽东选集》第一卷第三零零——三零二页

日本語訳

問題を研究するには、主観性、一面性および表面性をおびることは、禁物である。主観性とは、問題を客観的に見ることを知らないこと、つまり、唯物論的観点から問題を見ることを知らないことをいうのである。この点については、わたしはすでに「実践論」のなかでのべた。一面性とは、問題を全面的に見ることを知らないことをいう。……あるいは、局部だけを見て全体を見ない、木だけを見て、森を見ないともいえる。これでは、矛盾を解決する方法をみいだすことはできず、革命の任務を達成することはできず、うけもった活動をりっぱにやりとげることはできず、党内の思想闘争を正しく発展させることはできない。孫子は軍事を論じて、「かれを知り、おのれを知れば、百戦するもあやうからず」といっている。かれがいっているのは、戦争する双方のことである。唐代の人、魏徴はは「兼せ聴けば明るく、偏り信ずれば暗い」といっているが、やはり一面性のあやまりであることがわかっていたのである。ところが、わが同志のなかには、問題をみるばあい、とかく一面性をおびるものがあるが、こういう人はしばしば痛い目にあう。……レーニンはいっている。「対象を ほんとうに知るためには、そのすべての側面、すべての連関と『媒介』を把握し、研究しなければならない。われわれは、けっして完全にはそこまで達することがないであろう。だが、全面性を要求することは、われわれをあやまりや硬直に陥らないよう用心させてくれる。」われわれは、このことばを銘記しなければならない。表面性とは、矛盾の全体も、矛盾のそれぞれの側面の特徴もみず、事物に深くはいって矛盾の特徴をこまかく研究することの必要を否定し、ただ遠くからながめて、矛盾のちょっとした姿を大ざっぱにみただけで、すぐ矛盾の解決(問題にこたえ、紛争を解決し、仕事を処理し、戦争を指揮する)にとりかかろうとすることである。こんなやり方では、間違いをしでかさないはずがない。……一面性、表面性も主観性である。なぜなら、すべての客観的事物は、もともと相互に連係した、内部法則をもったものであるのに、この状況をありのままに反映せず、ただ一面的に、あるいは表面的にそれらを見るだけ、つまり事物が相互に連係していることを認識せず、事物の内部法則を認識しないからであって、このような方法は主観主義的である。

片面性就是思想上的绝对化,就是形而上学地看问题。对于我们的工作的看法,肯定一切或者否定一切,都是片面性的。……肯定一切,就是只看到好的,看不到坏的,只能赞扬,不能批评。说我们的工作似乎一切都好,这不合乎事实。不是一切都好,还有缺点和错误。但是也不是一切都坏,这也不合乎事实。要加以分析。否定一切,就是不加分析地认为事情都做得不好,社会主义建设这样一个伟大事业,几亿人口所进行的这个伟大斗争,似乎没有什么好处可说,一团糟。许多具有这种看法的人,虽然和那些对社会主义制度心怀敌意的人还不相同,但是这种看法是很错误的,很有害的,它只会使人丧失信心。不论是用肯定一切的观点或者否定一切的观点来看我们的工作,都是错误的。《在中国共产党全国宣传工作会议上的讲话》(一九五七年三月十二日),人民出版社版第一三——一四页

日本語訳

一面性とは思想上の絶対化であり、形而上学的に問題をみることである。われわれの活動にたいする見方で、すべてを肯定したり、すべてを否定したりするのは、いずれも一面性である。……すべてを肯定するということは、つまり、いい面は見えるが、わるい面は見えず、賞賛はできるが、批判はできないということである。まるでわれわれの活動がなにもかもいいかのようにいうのは、事実に合わない。なにもかもいいのではなくて、まだ欠点や誤りがあるのである。しかし、なにもかもわるいのでもなく、そういうのも事実に合わない。分析しなければならない。すべてを否定することは、分析ぬきで、物事がすべてうまくやられていないと考えることであり、社会主義建設というこの偉大な事業、いく億の人口がすすめているこの偉大な闘争が、まるでなんのとりえもなく、すべてめちゃくちゃであると考えることである。このような見方をしている多くの人びとは、社会主義制度に敵意をもっている人びととはやはり違うが、しかし、このような見方はひじょうに間違っており、ひじょうに有害であり、それは人びとに自信をうしなわせるだけである。われわれの活動を、すべてを肯定する観点、あ るいはすべてを否定する観点で見るのは、いずれも誤りである。

马克思主义者看问题,不但要看到部分,而且要看到全体。一个虾蟆坐在井里说:“天有一个井大。”这是不对的,因为天不止一个井大。如果它说:“天的某一部分有一个井大。”这是对的,因为合乎事实。《论反对日本帝国主义的策略》(一九三五年十二月二十七日),《毛泽东选集》第一卷第一四四页

日本語訳

マルクス主義者は、問題を見るのに、部分を見るだけでなく、全体をも見なければならない。井戸のなかのカエルが「空の大きさは井戸口ほどである」というなら、それは正しくない。空はけっして井戸口の大きさぐらいのものではないからである。だが、もし「空のある部分の大きさは井戸口ほどである」というなら、これは正しい。それは事実に合致しているからである。

我们必须学会全面地看问题,不但要看到事物的正面,也要看到它的反面。在一定的条件下,坏的东西可以引出好的结果,好的东西也可以引出坏的结果。《关于正确处理人民内部矛盾的问题》(一九五七年二月二十七日),人民出版社版第三四页

日本語訳

われわれは、問題を全面的にみることを習得しなければならず、事物の正面をみるだけでなく、その反面をもみなければならない。一定の条件のもとでは、悪いものでも良い結果をうみだすし、良いものでも悪い結果をうみだす。

我们承认总的历史发展中是物质的东西决定精神的东西,是社会的存在决定社会的意识;但是同时又承认而且必须承认精神的东西的反作用,社会意识对于社会存在的反作用,上层建筑对于经济基础的反作用。这不是违反唯物论,正是避免了机械唯物论,坚持了辩证唯物论。《矛盾论》(一九三七年八月),《毛泽东选集》第一卷第三一四页

日本語訳

われわれは、全体的な歴史の発展のなかでは、物質的なものが精神的なものを決定し、社会的存在が社会的意識を決定することをみとめるが、同時にまた、精神的なものの反作用、社会的意識の社会的存在にたいする反作用、上部構造の経済的土台にたいする反作用をみとめるし、またみとめなければならない。このことは唯物論にそむくことではなく、これこそ機械的唯物論におちいらずに、弁証法的唯物論を堅持するものである。

指导战争的人们不能超越客观条件许可的限度期求战争的胜利,然而可以而且必须在客观条件的限度之内,能动地争取战争的胜利。战争指挥员活动的舞台,必须建筑在客观条件的许可之上,然而他们凭借这个舞台,却可以导演出很多有声有色、威武雄壮的戏剧来。《论持久战》(一九三八年五月),《毛泽东选集》第二卷第四六八页

日本語訳

戦争を指導する人びとは、客観的条件のゆるす限度をこえて戦争の勝利を求めることはできないが、しかし、客観的条件の限度内で、戦争の勝利を能動的にたたかいとることはできるし、またそうしなければならない。戦争の指揮員の活躍する舞台は、客観的条件のゆるす範囲内に築かれなければならないが、しかし、かれらはその舞台1つで精彩にとんだ、勇壮な多くの劇を演出できるのである。

人们的思想必须适应已经变化的情况,当然,任何人不可以无根据地胡思乱想,不可以超越客观情况所许可的条件去计划自己的行动,不要勉强地去做那些实在做不到的事情。但是现在的问题,还是右倾保守思想在许多方面作怪,使许多方面的工作不能适应客观情况的发展。现在的问题是经过努力本来可以做到的事情,却有很多人认为做不到。《中国农村的社会主义高潮》的序言(一九五五年十二月二十七日),《中国农村的社会主义高潮》上册第四页

人びとの思想は、すでに変化した状況に適応しなければならない。もちろん、だれでも、根拠なしに妄想をたくましくしてはならず、客観的状況のゆるす条件を飛びこえて、自分の行動を計画してはならず、実際にできもしないことを無理にやるようなことをしてはならない。だが、現在の問題は、やはり、右翼保守思想が多くの面で災いしており、これが多くの面での活動を客観的状況の発展に適応できないようにしていることである。現在の問題は、もともと努力すればやれることを、多くの人びとがやれないと考えていることである。

凡事应该用脑筋好好想一想。俗话说:“眉头一皱,计上心来。”就是说多想出智慧。要去掉我们党内浓厚的盲目性,必须提倡思索,学会分析事物的方法,养成分析的习惯。《学习和时局》(一九四四年四月十二日),《毛泽东选集》第九五二页

日本語訳

なにごとも、頭をつかってよく考えるべきである。俗に「ちょっとまゆ根をよせれば、名案がうかぶ」というが、それは、じっくりと考えれば知恵が出るという意味である。わが党内にある濃厚な肓目性をとりのぞくためには、思考すること、事物を分析する方法を身につけること、分析の習慣をやしなうことを提唱しなければならない。

任何过程如果有多数矛盾存在的话,其中必定有一种是主要的,起着领导的、决定的作用,其他则处于次要和服从的地位。因此,研究任何过程,如果是存在着两个以上矛盾的复杂过程的话,就要用全力找出它的主要矛盾。捉住了这个主要矛盾,一切问题就迎刃而解了。《矛盾论》(一九三七年八月),《毛泽东选集》第一卷第三一零页

日本語訳

どのような過程にも、もし多くの矛盾が存在しているとすれば、そのなかの1つはかならず主要なものであって、指導的な、決定的な作用をおこし、その他は、副次的、従属的地位におかれる。したがって、どのような過程を研究するにも、それが2つ以上の矛盾の存在する複雑な過程であるならば、全力をあげてその主要な矛盾をみいださなければならない。その主要な矛盾をつかめば、すべての問題はたやすく解決できる。

矛盾着的两方面中,必有一方面是主要的,他方面是次要的。其主要的方面,即所谓矛盾起主导作用的方面。事物的性质,主要地是由取得支配地位的矛盾的主要方面所规定的。然而这种情形不是固定的,矛盾的主要和非主要的方面互相转化着,事物的性质也就随着起变化。《矛盾论》(九三七年八月),《毛泽东选集》第一卷第三一零页

矛盾する2つの側面のうち、かならずその一方が主要な側面で、他方が副次的な側面である。主要な側面とは、矛盾のなかで主導的な作用をおこす側面のことである。事物の性質は、主として支配的地位をしめる矛盾の主要な側面によって規定される。しかし、このような状況は固定したものではなく、矛盾の主要な側面と主要でない側面とは、たがいに転化しあうし、事物の性質もそれにつれて変化する。

我们不但要提出任务,而且要解决完成任务的方法问题。我们的任务是过河,但是没有桥或没有船就不能过。不解决桥或船的问题,过河就是一句空话。不解决方法问题,任务也只是瞎说一顿。《关心群众生活,注意工作方法》(一九三四年一月二十七日),《毛泽东选集》第一卷第一三四页

日本語訳

われわれは、任務を提起するばかりでなく、任務を達成する方法の問題をも解決しなければならない。われわれの任務が川をわたることであれば、橋か船がないとわたることはできない。橋か船の問題を解決しないかぎり、川をわたるということは空念仏にすぎない。方法の問題を解決しないかぎり、任務もまたでまかせのおしゃべりにすぎない。

任何工作任务,如果没有一般的普遍的号召,就不能动员广大群众行动起来。但如果只限于一般号召,而领导人员没有具体地直接地从若干组织将所号召的工作深入实施,突破一点,取得经验,然后利用这种经验去指导其他单位,就无法考验自己提出的一般号召是否正确,也无法充实一般号召的内容,就有使一般号召归于落空的危险。《关于领导方法的若干问题》(一九四三年六月一日),《毛泽东选集》第三卷第八九九页

日本語訳

いかなる活動任務でも、一般的、普遍的なよびかけがなければ、広範な大衆を行動に立ちあがらせることはできない。だが、もし一般的なよびかけにとどまるだけで、指導要員が、自分のよびかけた活動を、具体的、直接的に、いくつかの組織から深くつっこんで実行し、1点を突破し、経験をつかみ、そのうえで、その経験をいかして、他の組織を指導するのでなければ、自分の提起した一般的なよびかけが正しいかどうかを検証するすべがなく、また一般的なよびかけの内容を充実させるすべもなくて、その一般的なよびかけは無に帰するおそれがある。

任何领导人员,凡不从下级个别单位的个别人员、个别事件取得具体经验者,必不能向一切单位作普遍的指导。这一方法必须普遍地提倡,使各级领导干部都能学会使用。《关于领导方法的若干问题》(一九四三年六月一日),《毛泽东选集》第三卷第九零零页

日本語訳

いかなる指導要員も、もし下部の個別の組織の個別の人や、個別のできごとから具体的な経験をくみとらなければ、すべての組織にたいして普遍的な指導をおこなうことはどうしてもできない。各級の指導的幹部がみなこの方法を身につけるように、この方法をひろく提唱しなければならない。

在任何一个地区内,不能同时有许多中心工作,在一定时间内只能有一个中心工作,辅以别的第二位、第三位的工作。因此,一个地区的总负责人,必须考虑到该处的斗争历史和斗争环境,将各项工作摆在适当的地位;而不是自己全无计划,只按上级指示来一件做一件,形成很多的“中心工作”和凌乱无秩序的状态。上级机关也不要不分轻重缓急地没有中心地同时指定下级机关做很多项工作,以致引起下级在工作步骤上的凌乱,而得不到确定的结果。领导人员依照每一具体地区的历史条件和环境条件,统筹全局,正确地决定每一时期的工作重心和工作秩序,并把这种决定坚持地贯彻下去,务必得到一定的结果,这是一种领导艺术。《关于领导方法的若干问题》(一九四三年六月一日),《毛泽东选集》第三卷第九零三页

日本語訳

いかなる地区でも、一定の時期には、中心工作は1つしかありえず、他の工作は第2位、第3位としてこれをおぎなうもので、同時に多くの中心工作をもつことはできない。したがって、地区の総責任者は、その地区の闘争の歴史や闘争の環境を考慮にいれ、それぞれの工作を適切に位置づけるべきであって、自分ではまったく計画をもたずに、ただ上部からの指示をうけとりしだい手をつけ、「中心工作」が多くなったり、混乱した無秩序な状態をつくりだすようであってはならない。上級機関もまた、ことの緩急、軽重を区別せず、中心もきめずに、同時に多くの工作を下級機関に指示し、これによって、下部のものの工作の段どりに混乱をもたらし、確定的な結果をえられないようにしてはならない。指導要員がそれぞれの具体的地区の歴史的条件や環境にもとづいて、全局面にたいする統一的な計画をたて、それぞれの時期の工作の重点や工作の順序を正しく決定し、この決定をあくまでも貫徹して、かならず一定の成果をあげるようにすること、これは指導の芸術である。

必须随时掌握工作进程,交流经验,纠正错误,不要等数月、半年以至一年后,才开总结会,算总帐,总的纠正。这样损失太大,而随时纠正,损失较少。《关于工商业政策》(一九四八年二月二十七日),《毛泽东选集》第四卷第一二八页

日本語訳

随時、工作の進行状態をつかみ、経験を交流し、誤りをなおすべきで、数ヵ月、半年ないし1年たってからやっと締めくくりの会をひらいて総決算をし、いっぺんになおすというようなことをしてはならない。それでは損失があまりにも大きくなり、その都度なおせば損失は比較的に少なくてすむ。

不要等到问题成了堆,闹出了许多乱子,然后才去解决。领导一定要走在运动的前面,不要落在它的后面。《季节包工》一文的按语(一九五五年),《中国农村的社会主义高潮》下册第一一五九页

日本語訳

問題が山積みになり、かずかずの混乱をひきおこしてから、その解決にあたるのであってはならない。指導は運動にたちおくれてはならず、かならずその先頭をいかなければならない。

我们需要的是热烈而镇定的情绪,紧张而有秩序的工作。《中国革命战争的战略问题》(一九三六年十二月),《毛泽东选集》第一卷第一九六——一九七页

日本語訳

われわれの必要とするものは、熱烈であるが沈着な態度と、緊張しているが秩序のある活動である。

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