二三、調査研究

一切实际工作者必须向下作调查。对于只懂得理论不懂得实际情况的人,这种调查工作尤有必要,否则他们就不能将理论和实际相联系。“没有调查就没有发言权”,这句话,虽然曾经被人讥为“狭隘经验论”的,我却至今不悔;不但不悔,我仍然坚持没有调查是不可能有发言权的。有许多人,“下车伊始”,就哇喇哇喇地发议论,提意见,这也批评,那也指责,其实这种人十个有十个要失败。因为这种议论或批评,没有经过周密调查,不过是无知妄说。我们党吃所谓“钦差大臣” 的亏,是不可胜数的。而这种“钦差大臣”则是满天飞,几乎到处都有。斯大林的话说得对:“理论若不和革命实践联系起来,就会变成无对象的理论。”当然又是他的话对:“实践若不以革命理论为指南,就会变成盲目的实践。”除了盲目的、无前途的、无远见的实际家,是不能叫做“狭隘经验论”的。《“农村调查”的序言和跋》(一九四一年三月、四月),《毛泽东选集》第三卷第七九一页

日本語訳

すべての実際活動家は下部について調査をしなければならない。理論だけで、実際の状況を知らないものにとっては、こうした調査活動がとりわけ必要であり、そうでなければ理論を実際と結びつけることはできない。「調査なくして、発言権なし」というこのことばは、かつては「せまい経験論」だとそしられたが、わたしはいまでもそれを後悔していない。後悔していないどころか、わたしはあいかわらず、調査がなければ発言権はありえないという考えを堅持するものである。「お着きになるやさっそく」、なんだかんだと論議をし、意見をだし、これも批判しあれも非難するといった人がたくさんいるが、実はこういう人は十人が十人までみな失敗する。なぜなら、こうした論議や批判は綿密な調査をへておらず、無知なでまかせをいっているにすぎないからである。わが党はいわゆる「勅使」のためにかぞえきれないほど苦い目にあっている。ところが、このような「勅使」は、いたるところとびまわり、ほとんどどこにもいる。スターリンが「理論は、革命の実践と結びつかなければ、対象のない理論となる」といっているのは正しい。もちろん、かれが「実践は、革命の理論を指針としなければ、盲目的な実践となる」〔2〕といっているのも正しい。盲目的な、展望をもたない、見通しのきかない実務家をのぞいては、「せまい経験論」などとはいえないのである。

这种态度,就是实事求是的态度。“实事”就是客观存在着的一切事物,“是”就是客观事物的内部联系,即规律性,“求”就是我们去研究。我们要从国内外、省内外、县内外、区内外的实际情况出发,从其中引出其固有的而不是臆造的规律性,即找出周围事变的内部联系,作为我们行动的向导。而要这样做,就须不凭主观想像,不凭一时的热情,不凭死的书本,而凭客观存在的事实,详细地占有材料,在马克思列宁主义一般原理的指导下,从这些材料中引出正确的结论。《改造我们的学习》(一九四一年五月)《毛泽东选集》第三卷第八零一页

日本語訳

このような態度が実事求是の態度である。「実事」とは客観的に存在するすべての事物のことであり、「是」とは客観的な事物の内部的なつながり、すなわち法則性のことであり、「求」とはわれわれがこれを研究することである。われわれは、国の内外、省の内外、県の内外、区の内外の実際の状況から出発し、そのなかから、われわれの行動の導きとして、憶測でない固有の法則性をひきだす、すなわち周囲のできごとの内部的なつながりをさがしだすのである。そして、このようにするためには、主観的な想像、一時的な熱情、死んだ書物にたよってはならず、客観的に存在する事実にたよって、詳細な資料を掌握し、マルクス・レーニン主義の一般的原理の導きのもとに、これらの資料のなかから正しい結論をひきださなければならない。

“闭塞眼睛捉麻雀”,“瞎子摸鱼”,粗枝大叶,夸夸其谈,满足于一知半解,这种极坏的作风,这种完全违反马克思列宁主义基本精神的作风,还在我党许多同志中继续存在着。马克思、恩格斯、列宁、斯大林教导我们认真地研究情况,从客观的真实的情况出发,而不是从主观的愿望出发;我们的许多同志却直接违反这一真理。《改造我们的学习》(一九四一年五月),《毛泽东选集》第三卷第七九七页

日本語訳

「目をつぶってすずめをつかまえ」、「めくらが魚を手さぐり」するような、おおざっばで、長広舌を振るい、なまはんかな知識に満足するというこうした非常に悪い作風、マルクス・レーニン主義の基本精神にまったくそむいたこうした作風は、わが党の多くの同志のあいだに、なおひきつづき存在している。マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンは、主観的な願望からではなく、客観的な真実の状況から出発して状況をまじめに研究せよと、われわれに教えているが、われわれの多くの同志は、直接この真理にそむいている。

你对于那个问题不能解决么?那末,你就去调查那个问题的现状和它的历史吧!你完完全全调查明白了,你对那个问题就有解决的办法了。一切结论产生于调查情况的末尾,而不是在它的先头。只有蠢人,才是他一个人,或者邀集一堆人,不作调查,而只是冥思苦索地“想办法”,“打主意”。须知这是一定不能想出什么好办法,打出什么好主意的。《反对本本主义》(一九三零年五月),人民出版社版第二页

日本語訳

君はその問題を解決することができないのか。それなら、その問題の現状と歴史を調査することである。十分に調査してはっきりさせれば、その問題に対する解決策が出てくる。すべての結論は、状況を調査する前にあるのではなくて、その終わりに生まれるのである。自分一人で、あるいは一塊のものを集めて、調査もせずに、ただ頭をひねりまわして「方法を考え出し」、「構想を練ろう」とするのは、愚か者だけである。これでは、必ずどんな良い方法も考えだすことはできないし、どんな良い構想も生み出すことはできない、ということを知っておかなければならない。

调查就象“十月怀胎”,解决问题就象“一朝分娩”。调查就是解决问题。《反对本本主义》(一九三零年五月),人民出版社版第三页

日本語訳

調査とは「十か月の妊娠」のようなものであり、問題の解決と「ある朝の分娩」のようなものである。調査とはつまり問題解決のことである。

应用马克思列宁主义的理论和方法,对周围环境作系统的周密的调查和研究。不是单凭热情去工作,而是如同斯大林所说的那样:把革命气概和实际精神结合起来。《改造我们的学习》(一九四一年五月),《毛泽东选集》第三卷第八零一页

日本語訳

マルクス・レーニン主義の理論と方法を適用して、周囲の環境を系統的に綿密に調査、研究する。ただの情熱だけで活動するのではなく、スターリンも述べているように革命的な気概を実際的な精神に結合する。

要了解情况,唯一的方法是向社会作调查,调查社会各阶级的生动情况。对于担负指导工作的人来说,有计划地抓住几个城市、几个乡村,用马克思主义的基本观点,即阶级分析的方法,作几次周密的调查,乃是了解情况的最基本的方法。《“农村调查”的序言和跋》(一九四一年三月、四月),《毛泽东选集》第三卷第七八九页

日本語訳

状況を知る唯一の方法は、社会について調査をおこなうこと、社会の各階級のいきいきとした状況を調査することである。指導にあたっている人にとっては、計画的にいくつかの都市、いくつかの農村をえらんで、マルクス主義の基本的観点、すなわち階級分析の方法をもちい、何回か綿密な調査をおこなうことが、状況を知るもっとも基本的な方法である。

开调查会每次人不必多,三五个七八个人即够。必须给予时间,必须有调查纲目,还必须自己口问手写,并同到会人展开讨论。因此,没有满腔的热忱,没有眼睛向下的决心,没有求知的渴望,没有放下臭架子、甘当小学生的精神,是一定不能做,也一定做不好的。《“农村调查”的序言和跋》(一九四一年三月、四月),《毛泽东选集》第三卷第七九零页

日本語訳

調査会をひらくには、人数は毎回多くなくてもよく、三、四人、あるいは七、八人でけっこうである。十分に時間をとり、調査項目を用意し、さらに自分が直接質問し記録をとるとともに、参会者と議論をたたかわせなければならない。したがって、あふれるばかりの熱意がなく、目を下にむける決意がなく、知識をえようとする意欲がなく、えらそうな態度をすててよろこんで小学生になるという心がけがなければ、どうしてもやれるものではなく、やってもうまくはいかない。

指挥员的正确的部署来源于正确的决心,正确的决心来源于正确的判断,正确的判断来源于周到的和必要的侦察,和对于各种侦察材料的联贯起来的思索。指挥员使用一切可能的和必要的侦察手段,将侦察得来的敌方情况的各种材料加以去粗取精、去伪存真、由此及彼、由表及里的思索,然后将自己方面的情况加上去,研究双方的对比和相互的关系,因而构成判断,定下决心,作出计划,——这是军事家在作出每一个战略、战役或战斗的计划之前的一个整个的认识情况的过程。《中国革命战争的战略问题》(一九三六年十二月),《毛泽东选集》第一卷第一七三页

日本語訳

指揮員の正しい部署配置は、正しい決心からうまれ、正しい決心は、正しい判断からうまれ、正しい判断は、周到な、また必要な偵察と、さまざまな偵察材料をむすびつけた思索とからうまれる。指揮員は、あらゆる可能な、また必要な偵察手段をつかい、偵察でえた敵側の状況にかんするさまざまな材料にたいして、滓をすてて粋をとり、偽をすてて真をのこし、これからあれへ、表面から内面へという思索をおこない、そのうえで、味方の状況をくわえて、双方の対比や相互の関係を研究し、それによって、判断をくだし、決心をかため、計画をたてる――これが軍事家の毎回の戦略、戦役、あるいは戦闘の計画をたてるにさきだっておこなう状況認識の1つの過程である。


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