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他人軸・自己否定人間が生きづらさを解消していく人生アーカイブ【自己紹介】

★なんか生きづらさを感じている人

「周りの期待に応え続けてきたけど、なんかモヤモヤする」
「こんな自分なんて受け入れられない」
「他人軸で生きている現状から打破したい」

こういった疑問が解消できます。


★本記事のテーマ

他人軸・自己否定人間が生きづらさを解消していく人生アーカイブ【自己紹介】


「たくまさんってロボットかと思いました」

学生の時、インターン先の人からのひと言。

冷静に物事を見れているってことだし、言われたことキチンとこなすし、
良いんじゃないの?

でも、私の内側では
常にいろんな刺激を感じ、状況を思考・推測し、感情を出し、
冷静とは程遠いのが正直なところです。

「周囲に悪く思われないように先読みしてキチンと遂行しなきゃ」
「自分が発言、意見するのはおこがましい」
「頑張り続けなきゃ評価されない、存在価値が消える」

本来の自分とは、相反した姿を出し続けていた20数年間。

でも最近になって

「自分にとって生きづらい生き方をしていたなぁ」
「そんな時期があったからこその今の自分だな」
「他人は他人。自分は自分」

少しずつ
本来の自分を受け入れはじめ、感情を出せるようになりはじめ、
自分軸で人生を歩む良い変化が起きています。

その軌跡を人生アーカイブとして書き残そうと思います。
私が過ごしてきた27年間を”ありのまま”に綴っていきますね。
約20,000字の長文なので、ゆっくりお読みください。


①敏感だったけど解放しまくっていた幼児期

1997年に福島県で長男として生まれました。
夜泣きが終わるまでドライブしていたのを両親が感慨深く話していました。

当時、一番怖かったのは「音」です。
花火大会になると、この世が終わるような爆音が2,3時間続くので
テーブルの下に隠れて大泣きしていました。

また、アニメでホラー調の不気味な音楽が流れると
こたつに隠れて耳を塞ぎ
時間が経ったら出てきて見続けるようなこともしてました。

一方で、敏感さを十二分に発揮していました。

プラレールという電車のおもちゃを部屋中に広げ、
自分なりに線路を組み合わせていました。
そして、走っている電車の目線に合わせるように寝転がりながら
自分のベストスポットを見つけようとしていました。
(両親は遊び疲れて、寝ていると見間違えたようです笑)

あとは泥団子づくりにハマっていました。
きれいに整形できる土をあちらこちら探して、
サラサラな砂を探すのに夢中でした。

極めつけは、空港に行きたくて
一度も行ったことがない祖父を助手席から私が道案内をし
車で空港に連れて行ってもらったようです。(外界の情報察知に敏感すぎ)

感情の解放でいえば、
幼稚園で喧嘩したり、父親に「くそおやじ!」と言いましたね。
喧嘩は母親にこっぴどく怒られ、くそおやじ発言は父親に真っ暗な蔵に
入れられて鍵を閉められました。

「すなおに吐き出しただけなのに怒られた、見捨てられた」
と、子どもながら思っていたのでしょうか。



②「自己中」 「KY」に違和感を感じた小学生時代

小学校時代は1~3年生の前半と4~6年生の後半で
過ごし方が一変していたと思います。

【1~3年生】
走るの好き!(運動会の徒競走は1位を取る!)
算数好き!(朝学習の百ます計算1番早く!)
ポケモン好き!(とにかくゲーム、とにかく絵を描く!)
野球好き!(放課後の遊びは、とにかく野球!)

この4つの「好き」で成り立っていたと思います。
結構活発だった気がしています。

ただ、小学3,4年生で流行っていた"ワード"に
すごいモヤモヤしていた感覚があります。

「おまえって自己中だな」
「はいKY(空気読めない)~」
(特に「KY」って懐かしくないですか?笑)

自分の感情や行動を否定されるように
聞こえてしまったんですよね。

そこから周囲をすごく気にするようになりました。

【4~6年生】
算数(勉強):
みんなに「頭良い」と言われるように全部正解しなきゃいけない
絵を描く:
みんなに「上手い」と言われるように描かなきゃいけない
野球:
実力もないのに「ピッチャーやりたい」など出しゃばってはいけない

個人的には、野球を夢中にできないのがつらかったです。
家の前の空き地で1人で投げ込みをしていたのですが、
近くには「下手くそ」と言ってきた上級生の家がありました。

しかも空き地を見下ろせるような位置だったので
「常に見られている」
「下手くそがなんかやってると思われている」
そんな気持ちが常にありました。
外で遊ぶ時間が極端に減ったのはこの頃ですね。

また、小学生前半では一緒に遊んでいた人に
いじめられたのもあります。
いじめてきた後に「いじめるのだいすき~~」
と、その人は言っていたのですが、今思えばすごいですね苦笑


地域の野球チームやソフトボールチームもありましたが
両親の意向(将来的に考えて勉強に時間を使ってもらいたい)で
そろばん塾に行ってました。(こちらは楽しかったです!)



③「やりたい」を押し通した中学生時代

地元の中学校に入って「やりたいこと」が1つありました。

それは”野球部に入って野球をすること”

中学校では、必ず部活に入るみたいな流れがあり
「野球を夢中にやりたい」私にとって、ベストな環境だったのです。

しかし、すんなりと入部が決まりません。
両親がストップをかけてきました。(子どもへの心配です)

・丸坊主にしなきゃいけない
・自分が初心者である
・3年間続けられるのか
・3年間背番号をもらえずベンチ入りもできない可能性
・なんなら練習試合にも出れずに終わる可能性
・勉強と両立できるのか

「これでもいいの?やるの?」と重々しいひと言。

私にとっては3年越しのチャンスがやってきたわけで
「やりたい」の一点張りで押し通して、了解を得ました。

今思えば、両親にとっても
・休日の練習試合の準備、送迎
・土だらけのユニフォームの洗濯
・野球用品の費用
など、いろんな出来事があるにもかかわらず
子どもの「やりたい」に応えてくれた感謝がひしひし湧いてきます。

というわけで無事、野球部に入れましたが
最初は苦難の連続でした。

●坊主になってクラスの人に笑われる
坊主×眼鏡なので修行僧とか昭和とか言われましたね笑

●部員総勢60人超えで経験者9割の環境
練習についていくのに精いっぱいでした。
キャッチボールやノックでボールを取れなかったら
その練習時間は、ずっと走らなければならず、
当然、最初にミスしてずっと走ってました。
経験者とのキャッチボールが一番怖く、
ミスしたらペアの経験者の人も走らなければいけないので
「ミスしないように」とビクビクしながらやってました。

ボールを触る時間より、走る時間が長い練習。
それでも嫌とかつまらないとかはなかったです。
「これが野球に夢中になるということだ」と思っていました。

だから、練習前の準備も
誰よりも早くグラウンドに出て
誰よりも多くの道具を出しました。

そして”敏感さ”を発揮して、1つの光が現れます。


いつものように練習前の準備のため部室に入った私。
すでに「部室のこの場所にはコレがある」を一通り把握していました。
部室を一周見渡したとき、あることに気づきます。

「水分補給用のドリンク粉末がないぞ」

練習時や試合時に水分補給するために
ドリンクを用意するのですが
これでは、ただの水になってしまう。。。

私は顧問の先生に言おうと、
椅子に座ってグラウンドを鋭い目で見渡している
先生の前に立ちました。
(存在すら認識されていないだろうとか
 いきなりなんだ?と思われていたんだろうなと内心感じていました)

私:
「先生、1年の○○(たくま)です。
あの、部室にあるスポーツドリンク粉末が無くなっていたので
補充する必要があると思います。」

先生:
「おう。分かった。」

この1つのやり取りが、私の3年間の部活を変えてくれました。

まず、顧問の先生に自分の存在を認識してもらったこと。
野球部の顧問である前に、学校の先生でもあるので
授業を受け持っています。
顧問の先生が、ちょうど1年生の授業を受け持っており
勉強という私の得意を活かすことで
「おぉ。お前が○○(たくま)か。」と印象を残せました。

すると、ある休日の練習試合で、顧問の先生に呼ばれます。

「○○(たくま)、スコアラーやってみろ」

スコアラーとは、試合中にベンチの中で試合の状況をリアルタイムに記録していく役割です。試合時間は90分から120分ほどあるので、その時間集中しつづけて1球も逃さずやらなければならないのです。

周囲を気づく視野の広さと、勉強での集中力を見抜いてもらい、

練習試合中、経験者の1年生でさえ
ボール拾いやスコアボード書きをやっていたのに

野球の実力がゼロに等しい初心者の自分が
試合のベンチに入ることができました。


そして、先輩の3年生が主力で参加する最後の大会。
私はスコアラーとして、背番号をつけてベンチ入りしていました。
その大会は地方予選を優勝し、県大会まで進ませていただきました。

県大会の開会式は、プロ野球でも使っている地元の大きな球場。
そこにグラウンドレベルで足を踏み入れられた感動は
今でも忘れられないです。


3年生の先輩方が引退して、1,2年生が主力になった後も
練習試合で優先的に出場の機会を与えてもらったり
何かあった時にサポートとしてベンチに入ることがありました。

練習試合でヒットを打てたり、
公式戦で2回ほど、最初から出場できたり
入部前に思っていた懸念は何も起きませんでした。

ただ、選手として伸びきらなかったです。
経験者の能力差を埋めることはできませんでした。

私が3年生になった最後の大会でも背番号をもらいました。
背番号と渡されたときに先生に言われた
「役割、分かっているな」
このひと言で、
出場選手としてではなく、スコアラーとしてのベンチ入りと理解しました。

結果としては、
地方予選でライバルチームに負けて引退となりました―――。


「やりたい」を押し通して「やれることはやれた」
そんな清々しい気持ちがあったからこそ、
勉強にも同じ熱量で力を注げました。

得意の勉強で、学内1位を取ることはできませんでしたが
県内トップの高校に合格できました。

部活に勉強に充実した中学校生活が終わりを告げます。



④何もかもうまくいかない挫折連続の高校時代

入学した高校は、県内でトップの進学校。

印象に残っているのは、5月の数学の演習テスト。
はじめて100点中1桁の点数を出しました。
「これはヤバいぞ。。。」

歩いて15分の通学だった中学校から打って変わって
電車と自転車で1時間半以上かけて通学。
新入生に課せられる応援歌練習という謎の放課後。そして部活。
家に帰っても疲れで勉強が身に入らない。

家族が寝る時間まで仮眠し
入れ替わるように私が起きて勉強開始する。
そんな過ごし方をしていました。

勉強のスピードとテストの量に
どうにか、ついていくのに必死でした。

常に順位が張り出されるのもあり
勉強の成績で監視・評価される毎日。

「息抜きできればいいかな」と思い、
未経験でバドミントン部に入部。

1年生の夏くらいまでは楽しくやれていました。

でも本格的に大会に出始めてから
部活が心理的に苦しくなってきました。

個人スポーツであること、
決められた点数を取れば勝ちということ

自分の頭では
「ミスして弱点を見せたら、そこを付け込まれ続けて負ける」
「ミス=死」
くらいに思っていました。

また、団体戦のメンバー決めで総当たり戦をします。
自分たちの代になってメンバー決めで戦う時に
弱点を練習中で知られたらやられるとも思っていました。

自分で自分を苦しめていたと思いますが
とにかく部活の時間が苦しかったです。

クラスの担任の先生からも
部活に行くのがつらそうだったと言われてましたね。

そんな恐怖が常にあり、
自分たちの代の最初のメンバー決め総当たり戦で
すべてに押しつぶされ、

2年生の夏に部活を辞めました。

部活を辞める旨を顧問の先生に言った際、
顧問の先生は引き留める気だったようですが
私の清々しい表情の顔を見て諦めたそうです。

息抜きしたかった部活を辞め
アニメや文化祭に息抜きを求めていました。

ある意味、
息抜きはどんなに大変でも必要だという学びだったと思います。


本分の勉強の方は
上位30%くらいの順位でした。
悪くはないけど、良いとも言えない評価。

勉強の仕方も
過程や繋がりを理解するというよりは
その場しのぎで解ければよいやり方でした。

毎回、問題が割り当てられて自分の解答を黒板に書くのですが
間違うこと、解けないことが知られる恐怖で
自分で考えることよりも
ネットで類題を調べて解答過程を真似する。

その繰り返しでした。

実力がつくはずもありません。
たまに科目別で上位に名前が張り出されますが
まぐれで何で点数が良かったのか分からない始末。

当時のセンター試験(現 共通テスト)は73%の得点率。
第一志望の大学にギリギリ出願できるレベル。

まぐれで戦い続けた結果、2次試験も撃沈。
合格している大学もありましたが
両親にお願いして浪人することを決めました。

勉強も部活も挫折ばかりで
華やかな高校生活ではなかったですね。
今までの人生で一番底だと思います。



⑤自由と自律と鬱の大学生時代

1年の浪人を終え、
第一志望だった大学に見事、合格


できずに、第二志望の大学に入学しました。

興味があった、宇宙ロボットの研究室があるから選んだ大学でした。

この大学で「やりたいこと」が1つありました。

それは”学ぶ機会を使い倒すこと”

年間百何十万の学費を4年ないし6年払うことになる。
学費は有難いことに両親が払ってくれましたが
百何十万の1年間の学習価値をもっと上げてやる。

だから興味のある講義は全部受けるし、
図書室も使い倒して学びきる勢いで勉強しよう。

そう決めました。

1年生は必修科目が多かったですが
今後の基礎になるものと捉えて
学びを深めていきました。

使い倒し甲斐があったのは、2年生以降。

専門科目群が追加され、興味のある分野を自由に選べました。
2年生の分野は、専門分野とはいえ基礎でした。

だから(ってわけでもないですが)全部受けました。

理系だったため、専門分野のベースは数学です。
私は、数学の捉え方を変えていきました。
問題を解く手段、評価される科目のひとつだった数学から
現象や理論を表現するための手段としての数学へ。

単なる数字や式の羅列として見るのではなく、
その数式で表現した背景や数値の振る舞いを
注目するようになりました。

同時に、自分の頭で整理できるように
複数の書籍を見合わせて、しっくりくる捉え方を
図書室で模索していました。


ところで、大学生活でありがちなことに、
「サークルやゼミなどで先輩から過去問をもらう」
があると思います。

私の場合、人間関係をどんどん広めていくような活発性はなく、
図書室で1人で黙々やるのが好きなくらいなので
先輩との繋がりはゼロでした。

それなのに、私には過去問が集まりました。(ありがたい。。)
というのも同級生の友達に勉強を教えていったんですね。

そうすると、その同級生の友達に
「○○(たくま)の説明はめっちゃわかりやすい」
「あいつはできるやつだ」
という言葉が広まり

「過去問をあげるから解き方や答えを教えてほしい」
ということで自然と集まるようになっていたのです。

自分の得意(説明が分かりやすい)と
相手の得意(初対面でも人間関係構築がうまい)が
上手くかみ合って

過去問の獲得と、過去問の解説という
お互いにプラスが生まれた面白い経験でした。

そして3年生になり、通年での必修実験が始まりました。
1年間、毎週20ページ超の実験レポートを”手書き”で書きます。

「パソコンでやらせてくれよ」と正直思いました。笑

ただ、ルールにあーだこーだ言ったところで
必修なのでやらなければならない。

そこで思ったのが”差別化”思考

必修科目としてみんなが同じ実験をしてレポートを書く。
これが終われば、それぞれ配属する研究室に分かれて
同じことをすることはなくなる。
であれば、同じことをする中でも自分は
もらった過去レポートを一切見ずに
参考文献を漁り、自分が検討した考察を書き切ろう。


実験とはいえ、すでに立証されている理論を確認するような形式のため
過去レポートを見れば、何を考察として書けばよいのか分かります。

その方が楽だけど、
楽しようと答えをコピペしただけでは
高校生の時の勉強方法と二の舞になる。

自分を律して書き切ろう。


時には40枚にもなるレポートもありましたが、
手書きで純粋な自分なりの考察を書き切りました。

この達成感は今思い出しても大きかったですね。
言語化力、論理的思考を同級生の誰よりも育てられた気がします。


3年生終了時点で、卒業要件単位数まで取得していました。
もちろん4年生でも学び倒そうと思っていた矢先、、、
COVID-19が広まりました。


大学に行けず、研究室にも行けず
講義はすべてオンライン講義。
1人暮らしのため誰とも話さず、ずっと家にいる生活。

・ゲーム開発(インベーダーゲームをプログラミングで作成)
・データサイエンスの勉強
・電子工作
・AIの勉強
・経済の勉強

空いた時間をとにかく埋めようと
色んな分野の勉強をしていました。

そんな生活が2ヶ月たったくらいでしょうか。


「ベッドから体を起こす気力がないぞ。。」
「ご飯も食べたいと思わない。。」
「勉強しようにも手がつかない」
「好きな音楽や動画も目障り、耳障り」
「外に出る気にならない」


何かの糸がプツンと切れたように
活動量がゼロになりました。

病院には行きませんでしたが
鬱状態そのものだったのではないかと思います。

友達とオンラインで話せばいいじゃんと思うかもしれませんが
「自分から声かけるのがおこがましい」
「誰も答えてくれないだろう」
「どうせ相手にとっては無駄な時間になってしまう」

とにかく「1人で生きる」のが目的かのように孤立を貫いていました。


活動量がゼロになって数日たったころ、
両親から一通のLINEが来ました。

「どうだい?大丈夫かい?」


返信したかったですが、心の内にある
「返信したって無駄。何も変わらない。」
が妨げていました。

と同時に少し安心というか、心が温かくなりました。

そこから数日たって
返信をし、電話で話すことに。
今まで実家を離れて4年電話をすることは滅多にありませんでした。

私の声のトーンは希望がないかのように重苦しく
「あんまり生きてる気がしない」
と打ち明けていたと思います。


その年のゴールデンウィークになりました。
唐突にまた、両親からLINEが。

「いったん福島に戻ろ。迎えにいくから。」


ありがたい話ですよね。
でも当時の私は罪悪感しかありませんでした。
「こんな状況で感染してしまうかもしれないのに外出させてしまう」
「都内の方が感染者数多いのに来させてしまう」
「戻った先で感染させてしまったら申し訳ないでは済まない」

究極的に自己否定していました。


実家に帰っても外出はしない。
ただずっと家にいる。勉強もしない。

でも近くに家族がいる。
これだけで安心でした。温かかったです。


ゴールデンウィークが終わった6月から
研究室にも行けるようになり
同期とも対面で会えるようになりました。

研究室の同期は
積極的に来る人が多かったため、
行けば誰かがいる状態だったのも非常に助けになりました。


2ヶ月も経ったころには、
元気を取り戻し、研究活動にも勤しめていました。

入学前からやってみたかった宇宙ロボットの研究室に入り
ロボットの開発に取り組みました。

勉強の方もオンライン講義で
興味のある講義を受講し続けました。


結果、卒業要件+20%増の単位を取得しながら
学科の成績トップで学位を授与いただきました。


今まで勉強で1番を取ったことなく、はじめての経験でした。

1番になったという結果よりも
4年間学び切ったプロセスを誇りたい気持ちでした。
この環境を与えてくれた両親に一つ恩返しできたのかなと
勝手に思ってます。



⑥勉強と研究は違う大学院生時代

理系の学生にはありがちな疑問として
「大学院に進学した方が良いのか」はあるかなと思います。

私の場合は
宇宙関係に興味があった自分にとって、
「大学院に進学するのは当たり前なのかな」という感覚でした。

大学院2年間は、社会人になったとしても
経験できないような出来事を多くさせてもらいました。

・企業や研究機関との合同研究
・研究技術の一般公開
・研究機関への結果報告
・建築中のビルで実験(隔週で名古屋に行きました)
・学会発表

中でも大きな学びだったのは、勉強と研究の違いです。

勉強:正解がある
研究:正解がない、正解を見つけていく

正解が決まっている問題を解くことが目的であった勉強から
正解がなく、試行錯誤をしながら自分なりの正解を見つけていく研究へ。

このギャップにとても苦しめられました。

小学生時代から続いていた「完璧に解かなきゃ」という完璧主義の呪縛
研究活動を進めていくにあたって重荷になりました。

「正解を見つけなきゃいけない」
「完璧に説明できるまで相談しちゃいけない」
「論理的に話さなきゃいけない」
「全員を納得させなきゃいけない」
「自分のモヤモヤがなくなるまで自分で考えなきゃいけない」
「成果を残さなきゃいけない」

週1で開かれる報告会・ミーティングの時間は
発表することが怖くて、参加するのも怖かったです。

大学院でも孤立しかけましたが、
研究室に行けば誰かしら同期がいること、
自分が持っている怖さを自己開示すると同期も似た思いがあったことで

どうにか保てていたと思います。
同期のみんな本当にありがとう。

不思議なのが
自分の中でいいぞ!と思っている報告ほど指摘され
こんな小さなことでいいのかな…と思っている報告が印象が良かったことです。

ここから
「自分が100%と思っても第三者から見ればそうじゃない時もあるのか」
「そしたら10%、30%で報告してもあまり変わらないのでは?」
「むしろ序盤でズレていたら修正が効きやすい」

というマインドが生まれてきて、完璧主義が和らいできました。

先日、日本、アメリカで野球殿堂入りを果たしたイチローさんの言葉を胸の中に置いています。

イチローさんが大事にしていることは、「今出せる力の100%を出す。」ことです。
気分が乗らない、調子が良くない時というのは人にとって当たり前にある。人によっていつもの全力の70%、もしくは50%しか出せないのかもしれません。
その70%、50%しか出せない力の100%を出し切ることが大事だと。
ほんのちょっとでもいいから頑張ってみる。

何でも100%完璧にやるのではなく、その日の自分ができるだけをやり切る

正解がない中で、正解を見つけていくための
捉え方を身につけられたのが
大学院での一番の収穫です。

「大学院に進学した方が良いのか」については
別記事で書いてみようと思います。


とはいえ、大学院も勉強する場であるので
メインの専攻とは別に副専攻として
データサイエンスを本格的に学びました。

独学で勉強していたので、しっかり一度勉強したかったのです。

実際に触れてみて、数学的要素が非常に強く、
数式の本質をとらえるのが非常に難しいことに気づけました。

AIの実装もしましたが、
予測や分類の精度を上げるために何ができるのかを
深堀りしていくことに面白みを感じなかったのも良い気づきだと思います。

開発する立場よりも、手段として使って何ができるかを考える立場の方が面白そうと感じていました。


苦しさもあったけど、学びも多かった大学院生活でした。



⑦コミュニティ運営インターン

大学院生で研究活動に勤しむとは別で
コミュニティ運営のインターンもしていました。

就活をしたり、今までの人間関係、恋愛を振り返った時に
コミュニケーションに課題を感じていました。

合わせて自分に自信がなくネガティブ思考で自己否定をする日々

このまま社会人になって仕事をしたとて、
本当に鬱病になる未来しか見えなくて自分を変えなければと一念発起しました。

オンラインのコミュニティで、かつコミュニケーションや恋愛を扱うため不安や怖さはありましたが、
有料のオンラインセミナーに参加し切磋琢磨できる環境だと感じて参加を決意しました。

はじめは、メンバーとして参加していましたが
運営に参画できるチャンスが生まれた時に
「今しかやれないことやってみよう」と運営側に手を挙げたのがきっかけです。

運営メンバーに参画して
まずはカスタマーサポートやメール相談という形で相談や質問に答えていきました。1年で300件ほど答えたんじゃないかなと思います。

なんとなく貢献できているのかなと感じつつ、
でも認められない感(周りが凄い方ばかりの中で一番ペーペーということもあり)を持ちながら1年が経ちました。
役に立っている実感がなく、運営メンバーの輪の中に入れていない自分を感じていました。


運営メンバー2年目は、コミュニティのルール作成や環境整備のようなCS業務、メルマガ作成、業務のマニュアル作成をメインに行っていました。

5つのマニュアル作成、10通のメルマガ作成(うち1つは、とあるセミナー参加のCVが最も高かった)など形になるアウトプットも出していました。

さらに、毎月のコンテンツのアイデア出しで2ヶ月連続で採用されるなど
自身のクリエイティブな側面も発揮できていたと思います。
個人的には自分にクリエイティブさはないと思っていたので意外でした。

形としてアウトプットしていたけれど、
「別に自分じゃなくても出せるよね」
「周りにいる自分以外のもっとすごい人がやった方がもっと結果出るし」
と思っていて、徐々に閉塞感を感じるようになりました。


あるとき、運営責任者の方々の都合でコミュニティ存続の危機が訪れました。
抜本的に運営の仕組みが変わって
リソースをより割かなきゃいけない、覚悟を持って参画しないといけないと個人的に感じるようになりました。

そんな状況のなかで
「特別自分がやれることがないだろう」と思っていたし、
「自分以外の優秀な人達の方が必要なんだろうな」と思っていました。

運営責任者の方から私に向いていると言っていただいて
「コンテンツ企画」のタスクを提案されました。
興味があったのは事実ですが、それ以上に
「自分がやっていいのか」
「覚悟もないのに」
「提案というより半ば要求に近く、居続けるためにやらなきゃいけない」
と感じていました。

それに加えて体調を崩し、心身の余裕がなくなっていきました。
でも要求を満たさないと…とギリギリまで頑張りましたが、
相手が求めてくる要求まで達せず運営責任者へ報告しました。

体調が悪いなら早めに報告してくれと言われました。
信頼が減ったと感じました。
そこから3ヶ月休んだら?と提案されましたが、
運営側がそんな状況ではないのは自分も分かっているつもりなので
1ヶ月だけと答えて1ヶ月だけ運営メンバーとしての仕事を離れました。

1か月後に再び戻りましたが、コンテンツ企画のタスクからは外されました。
ここでも「あぁ要求を満たせないってみなされたんだな」と感じました。

また別の仕事を割り振られましたが、
これから本格的に動いていくもので明確に何をやるかは決まっていない状態のものでした。
コンテンツ企画以外で、もともと持っていたタスクはマニュアル作成によって引継ぎが完了しており、実質まともなタスクはない状態です。

ここでまた体調を崩します。運営メンバー内で開催していた合宿の1週間前です。
39度台の発熱だったので症状によっては参加が難しいと運営責任者に即座に連絡しました。
ただ、合宿参加は義務だと思っていた私は快方に向かえば参加しようとしていました。周囲は本当に大丈夫なのか疑心暗鬼でした。

周囲の意見もあり、参加の意思を取りやめました。
そこで運営責任者からいわれたのは
「○○(たくま)さんは発言と行動が最近一致していない。直前になって発言を変えることが増えた。」ということでした。

「義務だと思っていたから多少良くなったから行こうとした」
「提案と言いつつ状況が状況なので半ば要求だろうと感じてその要求を満たそうとした」
「過去に迅速に報告しなかった反省から即座に連絡しても迷惑をかけたし信頼が減った」

周囲の要求にこたえようと動いているのに信頼は崩れていくわ、
自分は苦しいわでよくわからなくなりました

この時点で、この集団の中にいるべきじゃない、いたところで信頼も崩れているし、何の役にも立てないし、ただただ無力だと感じました。

ということで2年半ほど参画して、
コミュニティの運営メンバーを離れました。
この経験から他人軸で生きた先の末路を垣間見えたと感じています。



⑧大卒新卒と3年遅れの社会人

1年浪人と大学院2年ということで
同じ生まれの大卒新卒と3年遅れで社会人になりました。

大学院で2年間過ごしたからこそ
大卒新卒の場合よりも
フルスロットルで成長ができると思っていました。

就職先はIT企業。
就活時期にどんな活動していたかは
別記事で書こうと思いますが、

個人的には良い就活ができたと思っています。


入社して3ヶ月間は研修。
この時期に意識していたことは”ファーストペンギン”

言い換えればたくさん失敗する。

ここで面白いのが、
一番最初にやると成功失敗の比較がしにくいので
失敗と捉えるのが難しい
んですよね笑

・手を挙げて発言する。
・役割決めでうーんと悩むより、さっさと自分が手を挙げて進める。
・小さいことでも良いので行動する。

陽か陰かでいえば、明らかに陰ですが
「行動力すごい」と周囲から言ってくれました。ありがたい。。


一方で良い就活だったとしても
配属先は、いわゆるガチャ要素がありました。

配属面談で自分がやってみたいことを
抽象的でもいいから自己開示できたことで、
今思えばSSRいやURの配属先になったと思っています。


配属して一番最初に上長が仰ったのが
「うちの部署はチャレンジを良しとする文化があるから
失敗とか気にせずどんどんチャレンジしてください。」


よし。やってやろう。


1年目にしては結構チャレンジしたんじゃないかなと思ってます。

・配属3週間後に、資料作成して顧客打合せで説明
・セミナーコンテンツの拡充
・配属1ヶ月後に顧客へ16hのセミナーの進行
・セミナー新規コンテンツの作成×5
・部署でノウハウが少ない技術要素の検証
・登壇セミナー受講者累計約200名
・課題ヒアリングなどの超上流工程の打合せに参画・発言
・案件でアプリケーションを開発しリリース
・資格試験6つ合格

弊社では、新人賞という制度があり
部門ごとの代表選考プレゼンと
新人賞受賞者を決める最終プレゼンがあります。

ありがたいことに部門の代表に選ばせていただきました。
最終的な結果は、受賞とはなりませんでしたが
自分のできることは全てやり切りました。

そのような結果もあり、
1年目の評価は、新卒同期全体でもトップ評価で
社内グレードを1つ飛び級で昇格になりました。


2年目でもチャレンジを続けています。

・部署でノウハウが少ない技術要素の検証
・先輩が諸事情で仕事をするのが難しくなった時に担当なさっていた開発をすべて巻き取ってプロジェクトを完遂させる
・自身の挑戦として、今まで触ってこなかった技術を駆使した開発に参画
・部内で扱っている技術製品の資格のコンプリートを目指し奮闘中
・基幹システム系の基礎知識をつける
・OJTとして後輩のサポートを担当する

まだまだチャレンジできることがありますし、
こうやってチャレンジできているのも
部署内の先輩方のおかげでもあるのでありがたいですね。

引き続きフルスロットルで成長していきたいなと思います。


⑨過去最大の自己投資

仕事でのチャレンジに加えて、
社会人2年目は
自己投資という観点でも3つのチャレンジをしています。

●自己理解プログラム

八木仁平さんが提供していて
「やりたいこと探しを終わらせる」プログラム。

自分の大事なこと、得意なこと、好きなことを自己理解し、
本当にやりたいことをコーチと見つけていきます。

受講のきっかけは、
今までの生活やコミュニティ運営インターンで感じた

・他人軸で生き続けることが地獄!
・自分を犠牲にして、周囲の要求にこたえようと動いているのに信頼は崩れていくわ、自分は苦しいわでLOSE-LOSEになる(Win-Winの真逆)
・自分自身を無力、無価値と感じてしまう

という状況を打破したかったからです。

一番苦戦したのが、好きなことを見つけることでした。
本当にやりたいことを、どの分野でやるのか。
全体的にスムーズにすすめましたが、
ここだけは、やり直しもしたくらい大変でした。

最終的に決めた結論も、ぜひ軌跡として残させてください!

【本当にやりたいこと】

自分軸が不明瞭な人に対して自分軸が明快になり前進・調和しやすい状態にするために論理と感情を両立させた対話で相手の心に刺さる言葉を伝えることです。



【価値観】
根底にあるものから、明快→前進→やり切る→真価→ハーモニー

意味:明快な状態で行動を起こすことで、やりたい物事に向かって前進して近づくことができる。前進を実感するからこそ、結論まで追求し良好な結果を達成するまでやり切ることができて、ありのままで等身大の自己や自分の才能、物事の真理(真価)を理解・発揮でき、ありのままの自分でハーモニーを織りなし周囲と一体になれる。



【好き】
①自己理解(心理)
②対話(コミュニケーション)
③目標設定(コーチング)



【得意】
・サシでの対話
1対1でじっくりと複雑なテーマを対話し、お互いの理解と認識を深める

・臨機応変の貢献
どんな状況下でも臨機応変の行動によって、自分の価値を最大化すると同時に周囲にも価値を提供する

・学習への没頭
新しい知識やスキルを求めて精力的に学び、そのプロセスに没頭する姿で周囲に好影響を与える

・感情と論理のバランス
論理と感情のバランスを保ちながら伝える

・他人へのGive力
相手にとって必要なことをしっかり確認したうえで行動にできるパワーがある

・機微
周囲の機微を見つけて少しでも良い方向に変化する行動を起こす

・スムーズアクション
依頼確認する際も、相手が動きやすいように発言ができる

さてプログラムの中で、
ストレングスファインダーという自分の資質を
調べる診断もありましたが、実は就活時期に受けてました。

上位資質の並びを見ても、陽か陰かでいえば陰でしょう笑

2021/03に受けました。

これら以外にも自分と向き合う仕組みがたくさんあり、
その過程で「案外、自分、ようやっとる」と
自己受容ができていたのが大きな価値
だったと感じています。

加えて、コーチと定期的にコーチングとさせていただくのですが
そこで自分に対する新たな気づきや腹落ちをすることが多かったです。

私の場合、一番腹落ちしたのが

「あぁ、自分って、心の底から自分の価値ないってしてるんだな」

です。(あらためて)

「どんなことをしても自分を認められない」
「自分を底辺として扱う」
自分の在り方そのものの否定

めちゃくちゃメタ認知しました笑

客観的に自分を見たら"ようやっとる"と思うのに
心の内側からは、そう言えないのが可笑しいと感じています。


一方で、この究極的な自己否定を受容したら
何も怖いことないなとも感じています。

だからこそ次のチャレンジをしています。



●コーチングスクール

自己理解プログラムの過程で
本当にやりたいことに関するロールモデルを見つけます。

その時に見つけたロールモデルの方が開催している
スクールに入ることを決断しました。

自己理解プログラムでメタ認知した

「どんなことをしても自分を認められない」
「自分を底辺として扱う」
自分の在り方そのものの否定

を、ロールモデルの方とのコーチングで向き合いながら
同時に、そうなってしまう背景を学んでいくことで
向き合う過程を更なる軌跡として残していきます。


特に心理や感情の部分にフォーカスして向き合っていきます。
自分の中にある固定観念がたくさん見つかりそうな予感。。。

2025年の1年間は、このスクールにコミットするつもりですし
本当に上記のメンタルブロックが受け入れられると
2026年以降、いくらでも前進してやり切れる。

そんな気持ちが心から湧いています。

まずは自分を満たすことに集中します。
自己理解プログラムの八木仁平さんも以下のような言葉を
おっしゃっていますが、本当にその通りだと感じます。

心の中にシャンパンタワーを作る!
シャンパンタワーの一番上は自分の心。その下は自分以外の人。
では、シャンパンタワーのすべてのグラスを満杯にするにはどうすればいいのか―――。
それは、一番上からシャンパンを注ぐこと。
つまり、自分をまずは満たすこと。

自分のグラスから溢れた分でしか、他人を満たすことはできない



●(朝活)めざましビクトリー

本業の仕事やチャレンジもしつつ、
スクールでの学びもコミットしていく2025年。

そこで大切になるのが”時間の使い方”

自己理解プログラムを終えて、
一つひとつ本当にやりたいことに向かっているとき
とあることに気づきました。

それは、朝活が自己受容につながるということ。

昨日の自分が早く寝て
次の日の自分が早く起きることで

スッキリした状態で
やりたいことをする時間を作ってくれた昨日の自分。

時間のバトンをつないでくれている一体感が
自己受容につながることに気づきました。


そんな朝活のパワーを感じ始めた時に、Xでふと見たこちらの投稿。


「これは良い環境かもしれない」

そう感じた私は、すぐ申し込みをして新たな環境に飛び込みました。

ちょうど飛び込んで1週間を迎えますが
1日の過ごし方が格段に変わり、
本業も自分のやりたいことも順調に進めている状態です。

毎日朝から270名以上の方々が同時接続して朝活をする。

ありがたい環境だと思いますし
この環境を手段として使い倒して
2025年のコミットをさらに加速させていきます。



⑩「自分らしく過ごせている”5つの秘訣”」とは

バーっと今までの27年間の軌跡を書き示しましたが
いかがだったでしょうか。

乱高下している人生だなぁと思いますが、
今は自分の足で歩みを進めている実感があります。

そうなれた秘訣ってなんだろうか?と考えてみると、

1 自分以外を頼って自分と向き合ったこと
2 「やりたい」気持ちに気づいて、行動したこと
3 失敗に対するネガティブ意識が減ったこと
4 言語化、可視化、吐き出したこと
5 100%完ぺきではなく、50%を100%をやり切ること

だと思います。


1 自分以外を頼って自分と向き合ったこと

「なんでも1人でやらなきゃいけない」
「悪かったのは全部自分の責任」

こんなふうに思っていた時は、
周りから自立しているように見えたとしても
息苦しかったなあと感じています。

「頼る」って勇気がいることでした。
自分が苦手なところ、弱いところ、失敗したことを
打ち明けるようなもんですから。

高校時代の私であれば「失敗=死」なので、
頼ることは、安全を失うくらいに思っていたはずです。

でも大学生時代ごろから「人を頼ってみる」を行動してみることで
「打ち明けてみても案外大丈夫」と安堵感が湧き出る感覚がありました。

いきなりお金を払って頼るのも勇気がいると思うので
友達や家族、無料相談などハードルが低いところから
行動していくと良いかもしれないですね。


2 「やりたい」気持ちに気づいて、行動したこと

私が今までの人生で「充実していたな」と感じる時期は
「やりたい」に素直だったときですね。

自分のやりたい!を行動する約束を自分としている感じでしょうか。

日ごろからも、
ちょっとした「やりたい」を汲み取って行動するようにしています。

「のどか湧いてきた。水飲みたい」
「寒くなってきたから暖房つけたい」
「今日は○○食べたいから食べに行こう」

心から湧き出る、どんなに小さい「やりたい」をしないって
自分を小さく否定したりウソをついたりしているような感覚で
自分への扱いが少しかわいそうに思ってしまいます。


自分のやりたい!との約束も守っていくと
自己受容や自己肯定につながります。



3 失敗に対するネガティブ意識が減ったこと

「失敗=死」と思っていたほどなので
かなり大きな変化が生まれました。

失敗することが悪いわけではない。
失敗から学んで次に活かそうとすれば

起きた結果は失敗ではなく、
上手くいくためのスパイスだった。

そんな捉え方に変わってきています。

これは、今までの人生にも思うことで
色々ネガティブな時期、失敗や挫折を重ねた時期に対しても
感謝のような気持ちも湧いてきます。

「そんな自分がいたからこそ、今の自分がいて、このnoteを書けている」

ひとつの自己受容につながりました。


4 言語化、可視化、吐き出したこと

ストレングスファインダーの結果からも
「慎重さ」「内省」の資質が上位にきているのもあり

頭でずーっと考えてモヤモヤがずーっと残り続ける、
常に気を張っている感覚がありました。

紙に書きだしたり、
信頼できる人に話したり、
表でまとめてみたり、

とにかく吐き出す。

新しいことを考える、取り入れるには
何かを吐き出す必要がある。

呼吸と同じで、空気を吐くから新しい空気を吸える。
息を吸ってばかりでは、苦しくなりますよね。

そんな、循環の意識を取り入れることで
苦しめすぎない自分に近づけました。


5 100%完ぺきではなく、50%を100%をやり切ること

「完璧にやらなきゃ」という思いが結果的に悪く響いて
自分を苦しめていたんだと思います。

60点主義という言葉もありますが
「完璧でなくてもいい、まずは60点目指そう」

なんなら私は、まずは10点で良いとも思っています笑

とにかく行動できるハードルを下げる意識が大事だなと感じます。

一方で
やり切れた経験をつくってくれたのも
完璧主義の側面があったからこそだと思っています。

極めようとしているプロセスの中で
得られた知識や努力、信頼などは
ハッキリ目に見えないものだけど、ついてきている。

そんな自己受容にもつながりました。


⑪最後に

あらためて、ここまで読んでいただきありがとうございました。

明らかに自己受容度が前よりも上がってきましたが
まだまだ自分には受け入れられていない部分があると思います。

特にメタ認知した部分ですね。
どうしても、ゾワッと怖くなる瞬間があります。

周囲の評価で自己価値を決めている。
究極の自己否定をしている。

ココと向き合うための最大の自己投資を今年一年続けていきます。


投資の複利と一緒で
一度受け入れてしまえば
各年で受容度がどんどん増えていくと思いますし

(1.01の法則と本質は同じです。)

つまり明るい未来しかないと信じています。

このプロセスをnoteやXで発信して
あなたに何か少しでも気づきになれば嬉しいですし

私自身も人生の複利をまわしていきます。

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ありがとうございました!!




PS.
私が利用したサービスのリンクも貼っておきます。
ご興味があれば覗いてみてください!

私のX
https://x.com/self_recog_ta

めざましビクトリー
https://yukisako99.com/l/c/ZhL0HBTI/HxneZHSV
↑の開催者の迫さんのX
https://x.com/yuki_99_s

自己理解プログラムについて
https://jikorikai.com/contact/
↑を提供している八木仁平さんのX
https://x.com/yagijimpei

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