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一年が経ちました

noteを始めて、一年が経ちました。
毎日更新を目標に、思ったことや感じたこと、考えたこと、そういった私の中の小さな世界を書き綴りました。

私のnoteの内容は特段面白いものでもなければ、何か人に気付きを与えられるような、良いものではないけれど。
一つ、日記のようなイメージで、その日の私を書きました。


私が書いたnoteを読んで、「小さい世界で生きているな」「考えが浅い」「偏った思考」と、いろいろと感じるところもあると思います。

私は、人は変わると思っています。これは良し悪しではなくて、その人を作る考え方だったり、そういうものを指しているのですが、昨日の自分が、今日の自分と違うように、一年前の私は今の私と違います。


このnoteを始めたばかりの頃に私が書いていた文章。
今の私が書いている文章。

全く同じ視点で、同じ考え方で、同じ気持ちで。
と、いうようなことはないと思います。


あの頃の私の文章が好きだった人は、今の私が書く文章を嫌っていても、何もおかしくはないと思えるくらい、違うもので。


一年間、毎日更新を目標にしてきて、不定期更新だと更新しなくなりそうだなとなんとなく自分の性格を考えて、習慣化、日常に馴染ませるためにも、とにかく毎日思ったこと感じたことを書いて、後から見返してはあの時の自分がどう思っていたのかなんて心の動きを見ることもできました。

更新が途切れたときも、何も思い浮かばなかったときも、連休前だからと書き溜めしたときも、手帳の日記をまとめ始めたときも、定期配信の内容を月ごとまとめた時も、誕生日を祝ってもらって嬉しい気持ちのまま勢いで書き殴ったことも、過去を振り返って泣きながら文字を打ったこと、日常に幸せを感じて感謝の気持ちを噛み締めながら言葉にならない気持ちを書いたこと。
揺れ動く心を記したものだと思います。

どれもこれも、私がこうしたいと思ってやった行動で、振り返ってみて自分の性格がすこしばかり見えてきた気がします。

更新が途切れるたび律儀に更新が途切れたと更新するところ、とにかくまとめる・グループ化するのが好きなところ、嬉しい幸せと感じたことを綴った文章を何度も読み返しているところ、書く時間がないとわかってるときは事前に足りない日数分をきちっと下書きに残して予備として2本ほど多く書き溜めとくところ。
自分の中の当たり前が当たり前でないような、そんな気持ちになりました。


このnoteで出会った人、
私の拙い文章を読んでくれた人、
お世辞でも、嘘でも、書き方が好きだと言ってくれた人、
仲良くしてくれた人に感謝したいです。

私は相変わらず小さな世界で、偏ったものの見方しかできないですが、一年という区切りで、毎日更新をやめます。
途切れ途切れでも、ほぼ毎日更新できていたのが不思議で、驚きで。

読み返せば、読み返すほど、人の優しさに触れていたこと。
その時は、当たり前のように受け取っていて気付いていなかったけども、改めて振り返ってみると心配されていたこと、大切に思われていたこと、安心をもらっていたこと、幸せが詰まっています。
きっと私は、たくさんの優しさと愛をうまく受け止められていなかったと思います。今更あの時の〇〇はすごく嬉しかったと過去を感謝しても、相手にはうまく伝わらないんじゃないかと。後の祭りってこういうことなのかもしれないですね。

たくさんもらっていた分、ゆっくりともらった優しさや愛を返していきたいと思いました。
でも、もらった分を返すというのは少し違う気もします。こういうものは無条件に人に与えるものであって、見返りを求めてしまうようではまだまだ未熟で。
歪な先入観の強い私には無理かもしれないけれど、心から与えることに喜びを感じられるようになりたいです。


これからは、気が向いたときにでも更新します。
私の中の小さい世界で、心の中にある強い先入観と戦いながら、日々の思ったことや感じたこと、考えたことを書いていこうと思います。
まだ公開してない下書きもうんとありますので、こちらも消化できたらいいなと思っています。

一年間ありがとうございました。

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