陽のあたる自室より、外のほうが涼しくて過ごしやすい、なんてことが起きてしまうこの季節。 あいにく今日の天気は雨。 雨音と、よくわからない放送が聞こえる。 『大丈夫』『平気』『気にしてないよ』から始まり、『何とかなると思っている』と強がった言葉のツケに最近は頭を悩ませている。 現実から目を背けていた。 それが一番正しいのかもしれない。悪い結末しか浮かばない故に考えることを放棄して、見て見ぬフリをしている。人間らしいっちゃ人間らしい行動。変なことではないし、この逃避は割と皆
なんでもない日のケーキとか、 スイーツコーナーで浮かぶ顔とか、 喜んでくれるかなと思って用意したものとか、 ふっと手を伸ばしたら触れることができるとか、 つまみ食いする行儀が悪い手とか、 一気見した映画とか、 暑くて買ったアイスとか、 ずっと続く海を見たとか、 なんてことないものばかりだけど、特別なもののような感じがした。 夜景が綺麗なホテルのレストランディナーとか、欲しかったアクセサリーを貰ったとか、毎週の外食とか、お洒落なBARとか、ライブの最前席とか、
暑すぎる。 ボケカスと吐き捨てそうなくらいには暑い。 暑さに苛立っている。 ミーンミンとセミが鳴くが、これも煽ってるとしか思えない。 うるせえ!!!なんて叫んでも、セミは黙らん。 こちらの声は聞こえてないようだ。話を聞け。 うるせえセミとちっとも変わらない暑さに、体力・精神力が削られていく。 むかつく。 あまり怒ることはないが、暑さには苛立ちが止まらない。一年中冬が良い。私は一年中冬が良い。 こんなことを言うと、夏派と冬派でモメる。正直夏でも良い。暑くなければ。 こんな
余裕がない。 多分だけど。 いつもなら、流せることが、引っかかるし、笑って受け流すこともできなかった。多分、ちょっぴり傷ついたんだと思う。それで悲しかった。 ポジティブに!なんて冗談も言ってみたけど、私自身全然笑えなかった。自分でも笑えないのに、他人が笑うわけなんかない。 かれこれ二週間以上続く不調が、そんなすぐ良くなるわけではない。わかっていたけど、こうもダメになるとは思わなかった。余裕がないのも、不調なのも、全部言い訳だし、「だから仕方ないの」なんて納得してもらおう
本当に些細なことで。 なんて言葉にしたらいいのかわからない。 嬉しいのに悲しいというかそういう複雑な気持ちになった。
エッセイストというのは、誰でもなれるらしい。 誰でもなれるというと語弊がありそうだ。文章を書ければに変更した方が良いな。 誰でもなれるとはいったが、イメージとしては、エッセイを書くことで、おまんまが食べれる人がエッセイスト、みたいな感じが拭えない。 実際はおまんまが食べれなくても、文章さえ生み出していれば、エッセイストなのだ。 エッセイでおまんま食べているエッセイストには失礼かもしれないが、エッセイストは誰でもエッセイストを名乗ることができる、いわば誰でもなれるものなのだ。
どこの会社にもいるだろう。 窓際族といわれる、何をしてるのか、何の人なのかわからない人だ。
私は非常に性格が悪い。 チクチク言葉を言うなと人に言う割には、自分がチクチクしている。チクチク人間だ。 人のせいにするのはよくないと思うが、こうなってしまったのは母親のありがたい言葉のせいだと思う。し、そうさせてもらう。責任を取って欲しい。具体的にどう責任をとってほしいかは今は重要ではない。
特に意味はないけど、今後は全部有料記事にしてみようかな
使わないの道端で配っているポケットティッシュを受け取ってしまったり、家で食べるのに割り箸をつけてもらったり、名作の同じ場面で泣いてしまったり、思い出し笑いもそうじゃないか。 思考と感情は別々なんだなと実感する日常を、なんだか俯瞰して見てしまったり。客観視していることを、客観視してしまったら、自分はもうどこにいるのかわからないなと。たまには「雲の上にいるみたいだ」と少しロマンチックに語るのも良いのかもしれない。 「さようなら、お別れしましょう」 そんな簡単な言葉も、引っか
久々の雨のような気がした。 もしかしたら、“久々”ということはなくて、割と最近降っていたのかもしれないけれど。そんなこと私は気に留めていなかったのかもしれない。 仮説というのは面白い。仮説を立てては、ワクワクと「そうだったら、こうかもしれない」を繰り返していく。結局、仮説は仮説で、真実ではない。「結論は」「真実は」となれば、この仮説たちは“無駄”という言葉でひとまとめにされてしまう。 GW中に敷くのを手伝ってもらったラグ、組み立ててもらった棚、教えてもらってお揃いにした
久々におもしろ記事が書けるとひらめいて、これは面白くなるぞーって思ってる間に、書こうと思った内容を忘れた。は??
貧乏生まれ、貧乏育ち。 これは変えようのない事実で、できることなら隠しておきたい。 貧乏とは言っても実際そんなことないんじゃないの、とか。 普通じゃん!とか、言いたくなるかもしれない。 まじで貧乏。(実家が) “実家が太い”なんて言葉を聞いた時、 「うちは激細。爪楊枝、超えて糸かもしれない。」と真面目に考えるくらいに細い。 スーパーモデルもびっくりな細さ。 思春期は好きな人が周りにバレることより、実家がバレることの方が怖かった。 友達との待ち合わせは、迎えに行くか、近
なぜ、LINEの登録名がフルネームじゃないのか。 そんなことを久しぶりに聞かれた。 ストレートにマトモな人間はフルネーム率が高い。過去に悪さをしてきたり、名前がバレちゃいけない相手とのつながりもないのだろう。 信用できる人間率が高い。しかし、これに限っては本名フルネームのやつだけだ。偽名の可能性もある。戸籍謄本見せてもらうまで、他人を信じないと決めている。 私もかつては本名フルネームの時期がある。本当に一時。 便利だ、どこの誰なのかすぐわかる。だからといって何かあるわけ
なんてことない日だった。 「どうしてこうなったんだろうか」と思った時、ふと声に出てしまっただけで。 「わかんないな」 一人だけの空間で、割としっかりめの独り言を発するなんて相当末期だと思う。 引っ越してきた時、輝いて見えた大通りはその時も変わらずで、夜ベランダから眺めた道路はキラキラと車のライトと信号で光を放っていた。 些細なことの積み重ねだろう。思ってることを伝えられなかった。それで事が済むなら我慢すればいいと思っていた。結局そういうのも、その瞬間こそ円滑に進むが後
花を貰ったのはいつぶりだろうか。 卒業式くらいでしかもらったことないよ。なんて話している間も、鼻の奥がツンとしてくる。 こみ上げてくる気持ちと感情をうまく伝えられなくて、ポロポロと雫になり流れていく。 ありがとうと伝えたいのに鼻の奥はツンとするし、視界はぼやけている。相手がどんな表情しているのか、私にはわからなかった。きっと向こうは顔をぐしゃぐしゃにした私が見えているんだろうけど。 あれよあれよと誘われて、私は主役になったわけなんだけども。素敵な展開とは裏腹にどれも初めて