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最後に守るべきもの|坂本龍一氏のコンサート映画『Opus』

音楽家・坂本龍一氏が亡くなってから1年以上が経って、いよいよコンサート映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』が公開されました。治療よりも優先して収録されたというピアノ・ソロをじっくりと堪能すれば、氏が最後まで守りたかったものが何だったのか、分かる気がするのです。

 病に倒れ、死と向き合うアーティスト。その最後の活動をしっかりと見届けるのは初めてのことだった。2023年3月にこの世を去った坂本龍一氏は、それだけ多くの記録と作品を私たちに遺している。例えば、今年4月に放送されたNHKのドキュメンタリー『Last Days 坂本龍一 最期の日々』を観れば、死の直前まで、精力的に活動されていた氏の姿を知ることができる。治療にあたった医師の、音楽制作に影響のない治療を望んでいたというコメントが心に残った。最後まで守るべき、自身のアイデンティティとは何なのか。息を引き取る2日前には、東日本大震災をきっかけに自らが創設した東北ユースオーケストラの演奏会をリモートで聴きながら、涙を流す姿が印象的だった。

 2020年末に余命宣告を受けた坂本龍一氏は、2022年中を通じて複数回のインタビューを受け、その内容を元にした自伝が8ヶ月にも亘って文芸誌『新潮』に連載されていた。『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(新潮社、2023)というタイトルは氏が大きな手術の後につぶやいた、作家ポール・ボウズ(Paul Bowles)氏の言葉だったという。その意味は反芻するまでもなく、よく分かる。美しも儚く、私たちの心にのしかかる。残された時間の数え方には、その人の生き方が表れるのかもしれない。前作『音楽は自由にする』(新潮社、2009)が書かれた2009年以降を回想しながら進む物語は、坂本龍一氏の活動範囲と交友関係の広さを際立たせる。飾らない語り口が人間味に溢れ、多くの才能を引き寄せたのだろう。それでも人は、一人になる。満月の夜を数えるという行いが、とても孤独なものに感じられる。

 連載の最終回に書かれていたコンサート映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』がいよいよ公開された。最後のピアノ・ソロとして、「死ぬ前に納得いく演奏を記録することができてホッと」したという作品は、2022年9月に収録された後、一部がオンラインで披露され、テレビ放送で再演され、ようやく完全版まで漕ぎつけたのだ。坂本龍一氏が「日本でいちばん音の響きがいいと思っている」NHK放送センターの509スタジオでレコーディングされた音を、ご本人が音響を監修し、「たぶん日本で一番音のいい映画館」だと冒頭でコメントした109シネマズプレミアム新宿で聴けば、その解像度の高さに驚かされる。ピアノペダルから足を離した際の、ダンパーが下りる音までもが鮮明に聞こえてくる。綺麗に加工された音だけが音楽ではない。

 この時の坂本龍一氏は治療の影響から、指先が痺れ、鍵盤を押すたびに痛みが走ったという。それでも一音、一音を丁寧に鳴らす。特に往年の名曲「Tong Poo」が美しい。2009年の『Ryuichi Sakamoto: Playing The Piano 2009』では、YMO時代のオリジナルから抜けられず、まだ模索中と断りつつもさらりと披露されたアレンジから、さらにテンポを落として、ハーモニーを強調する。半音下げて、Cマイナーのキーで落ち着きを示せば、なるほど、指運びも自然になってレガートで弾きやすい。ピアノの構造上、最も難しいとされる奏法だ。ペダルに頼ることなく、ほどよく力の抜けた名演が、楽器を通じて人と自然とを結びつける。先のドキュメンタリーの中に残されていた「霧散する音楽」というメモを思い出した。

 音と音の間にある響きに着目して、晩年の坂本氏はオーケストラ曲を作ろうとされていたようだ。ついには完成しなかった作品のスケッチを聴いてみれば、音の連なりが見せるゆったりとした変化が美しい。療養中によく聞いていたという雨音にも似ているだろう。ひとつの雨粒が鳴らす音はその瞬間に消えてなくなるけれど、次の雨粒の音へとレガートで引き継がれていく。その連続が全体で大きなハーモニーを奏でると、やがて風が変化をつけることになる。時には石が転がるかもしれない。動物が走るかもしれない。どこまでも人は自然の情景に想いを馳せるものなのだ。

 氏が東日本大震災以降、原発に反対していたことはよく知られている。神宮外苑の再開発にも反対の声をあげていた。いずれも自然の音が失われることへの恐れだったのだろう。死を意識したアーティストが最後まで守りたかったのは、自らが還る場所だったのかもしれない。

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