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「カフカ的不条理」|写真に写る人・撮る人の関係性の鎖
注)真面目に不真面目する記事です。
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。
青空文庫より引用
https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/49866_41897.html
まったくもって不条理で、非現実的で、解決の糸口もなく、ただただ不幸に身を委ねるしかない。
カフカの作品は、そんな物語。
ふと。
私にも、似たような不条理が。
自らの選択でなく、逃れようがないというか逃れるべきでないというか。
今回は「写真に写る人・撮る人の関係性」に「カフカ的不条理」を、そして「作者の気持ち」を見たお話し。
ちなみにですが、カフカ作品に対する深い考証を持った人間ではないので、お遊びの言論としてお楽しみください。
「モデルさんとの関係性が見える写真ですね」
今回の主題です。
「モデルさんとの関係性が見える写真ですね」という感想。
判りやすく、こんな写真を出してみましょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1676511063349-kLdWEgNVyA.jpg?width=1200)
mihoさんと撮影に行って、ご飯をご一緒した際の一枚。
彼女から「食事している写真が欲しい」と言われて、スマホで撮影しました。
この一枚から見える関係性。
「1対1で、お酒を交わしながら食事に行ける程度の仲」を挙げましょう。
嫌がっているでもなく、すこし照れ笑いが見える表情に警戒は少なく、ある程度のコミュニケーションを取った形跡が見られます。
では次の写真はどうでしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1676514045165-SF2KGtbhjQ.png?width=1200)
これは難解です。
ポージングをしているので撮られることを意識してはいます。
しかし視線はそっぽを向いていますし、無表情です。
さて問題、「この写真に見える関係性は何か」。
実は回答というか、記事の感想で「モデルさんとの関係性が見える写真」と評した方がいまして。
その感想に、得も言われぬ恐怖を感じてしまったのです。
カフカ的不条理-Kafkaesque
カフカの作品を表する単語として「Kafkaesque」があります。
形容詞
シュールな歪曲と切迫した危険の感覚により特徴づけられる
日本語WordNet(英和)での「kafkaesque」の意味 より引用
https://ejje.weblio.jp/content/kafkaesque
カフカは哲学や文学の道を志すも、父・ヘルマンとの軋轢からキャリアの寄り道を余儀なくされます。
法学専攻で大学卒業後、保険会社に就職したのち保健局に転職、官僚主義的な世界で生きていくことになります。
父との関係や自身の仕事など、さまざまな体験を観察・考察し、作品へと昇華させていきました。
社会に対する不条理をフィクションに落とし込み、築かれた独自の世界の形容がカフカエスクなのです。
カフカのいくつかの作品で見られるのが「突然やってくる、回避も解決もできない不条理」。
その人物が悪いわけでもないのに、努力も、推理も、なにも役に立たずバッドエンドを迎えます。
これは社会、もとい人間が構築したシステムそのものを表していると捉えられます。
「写真に見える関係性」とカフカエスク
2つのテーマがどう繋がるのか。
私が過去に書いた記事から話を進めます。
タイマーやリモコン、自撮り用の機材を使う場合を除き、写真を撮るときには撮影者本人は写りません。
しかし事実として撮影した本人という存在自体はあって、場合によっては写真から撮影者の影を感じとることもできます。
(中略)
決して目線もらってる写真を嫌っておらず好きではあるのですが、「私がそこに立っている」という事実はPhotoshopでも消し去れないし、見る人によっては存在を感じ取ってしまうのでは、と。
より引用
私にとっての不条理。
それは自分が自分であるという事実であって、自分の存在そのもの。
私は生まれながらにして毒虫なのです。
見てほしくないし感じてほしくもない。
「写真から関係性が見える」という言葉は、写真に私の存在を見出してしまうことに外なりません。
「ポートレート」と「関係性」は鎖で繋がれてしまっているのです。
これを不条理と呼ばずして、何と呼びましょう。
写真の歴史をさかのぼると、「撮る・撮られるの関係性を排除する」考えに至り、試行錯誤した写真家がいます。
マジックミラー越しで撮ったり、セッティングだけしてシャッターはモデルに押させたり、と。
詳しくは渡部さとるさんの『2B Channel』の動画で語られていますので、ご参考に。
動画でも語られていますが、カメラを持って人物を撮る以上、関係性の排除は困難です。
カフカエスクの意味をそのまま受け取れば。
「逃れようと努力するし、推理するし、答えを求めるが、それらは叶わずバッドエンドを迎える」。
なので、ひねくれた考えをして解決を試みます。
「作者の気持ち」問題
国語の現代文の問題の答えが、出題者の解釈、考えによって変わる様や、信用できないいい加減さを揶揄して言った言葉。また、文系の学問のいい加減さや実用的でない空論である様を揶揄して文系の人間を煽る際に使う言葉。「文系は作者の気持ちでも考えてろよ」
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BD%9C%E8%80%85%E3%81%AE%E6%B0%97%E6%8C%81%E3%81%A1
平たく言うと、「行間を読む」行為、またそれを揶揄する言葉。
ポートレートの関係性ってのも、行間を読んでるだけなんだと思う。
作者はそんなこと考えてない。
けど見えないもの見ようとした結果、周囲にほかのモデルさんとかアシスタントさんがいるのに、「モデル - カメラ間の関係」が想像しやすいから行間読んじゃう。
ところで。
ただし、中学受験はともかく、作者の気持ちを考える問題は随筆文や詩からの出題である場合がほとんどであり、高校受験大学受験を考えれば出題頻度で言うと物語文や論説文が多いので実際に多い出題は「登場人物の気持ちを考えよ」か「筆者の論旨を答えよ」である。
物語文の作者の気持ちは「印税いくらはいるかな」である。
「作者の気持ち」なんてものはない
文章読解は、提示されている情報だけで回答を導かなければならないもの。
書いてあること、写ってるものを見て、どう感じたかを言ってほしいし。
もしくは抽象化して「こういうメッセージがあるのでは」みたいな美術鑑賞の側面から論じるのもいいかもしれない。
そして撮る側は提示する情報をコントロールして、与える印象を意図すべきだとも思っています。
カフカエスクのもう一つの意味
面白い引用をしている記事を。
大元の出典にはたどり着けなかったので、参考程度に。
Kafkaesque
賢く聞こえるよう人々が言う事。
Something people say to sound really smart.
-Urban Dictionary
使うと知的に響く「Kafkaesque(カフカエスク)」の意味って? より引用
https://www.serendipity.page/b/2021/05/kafkaesque/
A「この前○○って映画を見たんだ」
B「それね。とてもKafkaesqueなストーリーだよね」
って使っとくと、頭よく見えるやーつです。
「関係性が見える写真ですね」も、これなのでは?
とりあえず言っとけば、それっぽくなるだろ、的な。
ボジョレーヌーボーが「10年に一度」と数年おきにキャッチフレーズ付けるみたいな。
モデルとカメラの関係性は在るけどないし
「作者の気持ち」はないし
感想言う側も深く考えてないし
感想言えるほど感慨深い作品でもないし
つまり不条理じゃないか
おわり。
おわりに
3月なのですが、カメラを修理に出す関係で撮影が滞ります。
なのでちょっと実験的な撮影をしたいなと考えています。
例えば使い古したカメラを使って、スナップ的な撮影とか。
その他にもインタビューしてみたり、表現について語り合ってみたり。
撮影以外のコンテンツ制作にも取り組んでみたい。
役者さんでいろいろ興味あるよーな方がいたらお声がけください🙏
またカメラの修理費用を賄いたい…!!!
ポートレート撮影だったり、舞台の撮影スタッフのお仕事ください!!!
精一杯頑張りますので🙏🙏🙏
それでは!
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