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楽しいことを仕事にしてみたら心を折られた話
どうも、プロレスとか役者さんポートレートを撮っているたかはしです。
写真を趣味で始めて、紆余曲折あり(副業的に)仕事としてシャッターを切る経験をしたわけですが、「撮った後味が悪い」「写真を見返したくない」といった心境に見舞われました。
色々な「仕事にしたことでのネガティブな面」を味わいましたので、体験談として共有したいと思います。
対人トラブル
たぶん一番ネックになっている問題。
以前にも記事にした内容ですが、撮影した写真に満足してもらえないという状況はメンタルに大きな影響を与えます。
また、販売という状況も付加されますので、一層多くの方とのかかわりを持つことになります。
その中で、自分の至らない点であったり、人の合う合わないであったりで、諸々トラブルが発生しました。
写真に曰くが付いてしまう結果になり、見返す度に色々思い出させられてしまうのです。
そして、多くの縁に恵まれると共に、失う縁もありました。
人との関りを極力避けてきた豆腐メンタルボッチ上等な私には、「これが面倒で辛いからボッチでいたのに」と痛感させられると共に、救いの手を差し伸べてくれる人のありがたさを実感する機会でもありました。
動植物やプロレスの撮影をしている時は、ひたすらに自身の技術と向き合っていればよかった訳ですが、いざ相手がいる仕事となるとそうはいきません。
やりがいや多くの経験が得られる反面、無責任に撮ることが許されない苦しみというのは、非常に厄介になりました。
失敗との向き合い
関わる中で、多くの失敗をしました。
それは表に出さなかったものも、表に出てしまったものもありました。
しかし私はそのすべてを見ざるを得ない訳で。
お金が発生するにもかかわらず詰めの甘さが出てしまった未熟さを痛感させられました。
上記の「見返す度に色々思い出す」の中に、失敗を直視させられる辛さが含まれている感じです。
失敗から学ぶことは多くありますが、ネガティブメンタルな私にはつらい現実との戦いでもあるのです。
写真が楽しくなくなった
先述のことを経てどうなったかといえば、写真を撮る目的を見失い、レタッチが進まず、別のことに気を引かれる日々が訪れました。
これまで写真をやめようか悩んだのは、Twitterの捨てアカウントに暴言を吐かれた時くらいでした。
その時でさえ、写真の面白さを見失うことは無かったように思います。
なぜ撮るのか、誰のために撮るのか、上達しない技術となぜ向き合うのか、などなど禅問答のような迷宮に突入したのです。
限りなく不健康な状態で、ウキウキ気分で撮ったはずの写真をチマチマレタッチしており、凄まじい虚しさに襲われる日々です。
この事態への対処は、もうリフレッシュの他ありません。
ちょっと休息を作って、再び動き出せるよう充電をするつもりです。
趣味を仕事にする難しさとこれから
「好きなことで生きる」という言葉が生まれて久しい今、色んなところでその是非について語られ、語りつくされた感すらあります。
その一方で、私自身とは無関係に思えたその世界が、いままさに自分へと降りかかっています。
好きなことだけで生きていけるとは限らないという言葉の意味と、その悪影響を多大に受ける結果となりました。
他の人に同じことを勧めるかと問われれば、間違いなく勧めないでしょう。
余程の向上意欲を持っているか、生活がかかっているか、マゾヒズムに目覚めたい方でない限りは、撮影行為自体を辞めかねないです。
私自身も、現状は続けていくつもりですが、何か致命的なトラブルに出くわしたら身を引くと思います。
そうならないよう学習をしていくつもりですが。。。
まぁでも、こんな写真との向き合い方も1つの生き方かもしれないなと思う6月。
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