マガジンのカバー画像

写真について

96
頭の中を吐き出した文章たち
運営しているクリエイター

#写真的思考

写真の主語、展示の主語┃〈UNTITLED2024〉を終えて

2024年11月22日~24日、原宿のデザインフェスタギャラリーにて行われました〈UNTITLED2024〉。 無事終了しました。 ご来場いただいた皆様、開催してくださった運営の皆様、展示を共に作り上げた出展者の皆様に感謝の限りです。 そして1年間お力添えいただいたモデルさん方にも御礼申し上げます。 2023年11月から1年間、このために撮影や執筆を進めておりました。 それほどまでに周囲のレベルが高く、下手な写真ではならぬと試行錯誤する原動力となっていました。 Mikuri

「神は死んだ」的写真観(戯言)

あなたの写真は意味がありますか? 写真である理由、写真でなければならない理由はありますか? そんなお話し。 ※戯言です 「神は死んだ」言わずと知れたニーチェの「虚無主義(=ニヒリズム)」を表す代表的なフレーズの一つ。 一つ注意すると私はニーチェについてなーんにも知らないということだけ。 「神は死んだ」の言わんとしているところは ・近代化、産業化に伴う宗教的・哲学的観念の滅亡 ・人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがない と、ここでは解釈して話

好きな人に好きって伝えるとスキが返ってくる|#挑戦してよかった

「好きです」 恋愛感情に駆られて挑戦した私の戦績は惨憺たるもの。 これまで幸せになれるようなLoveはなかったのかも、なんて思う。 伝えはしたんだけど独りよがり。 では。 Loveではなく、強烈なLikeの気持ちを伝えたら。 これは、人から嫌われたり、変に思われることに恐怖を覚えてしまうビビりな私が、3名の役者さんに「好きです」と伝えた挑戦の話。 #挑戦してよかった 参加作品です。 一年半あたためたスキを具現化したら、もっと大きなスキがもらえたこの時の話の、その後。

写真を撮る意味は「誰かが気づかなかったステキの可視化」

私の中にある、宝物のひとつ。 この言葉があるから私はいられるのかも、と。 今回の話は写真の持つ意味や役割の”ひとつ”。 現代アートやジャーナリズムにおける写真の役割とは別だし、別の楽しみ方をしてもいい。 でも私にとってはコレ、だからシェアしたいのです。 普段見慣れた光景の再発見去る3月の頭。 大好きな友人に会うため八戸まで足を運びました。 その時のドタバタ劇はそれはそれで記事にしたので読んで。 記事の最後に書いた東北弾丸旅行のときの話。 青森に降り立った私は、関東圏で

「可愛いだけで終わらせない」ポートレートの撮り方で、大切な友達を撮ってきた

ポートレート、特に日本のポートレート界隈でよく聞くワード。 「彼女感」 「デート風」 こういったワードに対してのアンチテーゼを掲げ、一人の女性を撮るうえで重要な 「あなただからこその写真」 「自分ウケ最優先」 を目指すための、私なりの考え方を紹介する記事。 役者さんが多く共感してくれる「可愛いだけで終わらない」ポートレートを求めた私のメソッドです。 強めの言葉を使っているので苦手な方はブラウザバック推奨。 どこか他人と差別化できる写真を撮ってみたい方。 撮られたいん

「上手い下手・いい悪い」でなく「自分が見て好きか」で上達を目指す

突然ですが私の写真を見てください。 いかがでしょ。 好きだと思ってもらえますか? 私は自分の写真も、私の写真を好きだと言ってくれたあなたも大好きです。 では逆に。 私の写真は「上手い写真」「いい写真」だと思いますか? これは各々感想が違っていいと思います。 なんせ私自身、この4枚のなかでも「いい写真」と「そうでもない写真」があるので。 今回は世の中にある「写真が上達するポイント3つ」みたいな、インスタント上達テクニック文章に反発する記事です。 むしろ創作全般で共感しても

写真展UNTITLED2023展示作品「自己愛」紹介・解説

12/4に掲載した記事の続きです。 写真展に展示した四葉、そして設置したブックについてのご紹介と解説です。 併せて私の備忘録。 まだご覧いただいてない方は、前回記事も併せて読むと幸せになります。 全体の構成今回は四葉を展示しました。 これまで40名ほど撮影をさせていただきましたが、その中でも自分のターニングポイントとなった方を、僭越ながら選んでおります。 〇テーマ「自己愛」 全体のテーマとしては1年3カ月で12本の記事を書いた『表現の自由研究』をもとにしています。 連載

「自分の一葉と一緒に旅をしているような空間でした」|写真展UNTITLED2023に参加して

去る11月24日から26日の3日間、グループ写真展『UNTITLED 2023』に参加しておりました。 私にとって正式な写真展への初出展と相成りました。 何もかも初めてづくしの中で、数々の失敗と、新たな挑戦に対する熱量やアイデアを得た日々の記録です。 写真に限らずクリエイティブを楽しむ方に、ヒントをご提供できるよう、そして自分の備忘録として書いてみます。 作品の紹介や解説については、後日別途記事を投稿いたしますのでお楽しみに。 この記事が「先週特にスキを集めたアート記事

写真展に行ったらとても退屈だったから、SNSをやめたくなった。

ここ最近、美術館や商業施設で開かれている写真展にいくつか行きました。 お金を払って見に行くやつです。 これが…とても退屈だった。 弁明のために言っておくと、渋谷の某有名ギャラリーでやってる入場料無しのポートレート展とかではありません。 この退屈だった写真展の原因を考えました。 写真を見る人が何を求めているのか、何に惹かれるのか、何に飽きるのか。 結論としては「SNSなぞやめるべき」。 今日はそんなお話。 退屈な写真展見に行った写真展のうち、一つは現在開催中なので書くの

「持って帰れる写真展」に参加して人の心動かしてきた話

7月15~17日に行われた「PICTE感謝祭『持って帰れる写真展』」に出展してまいりました。 ポートレートでなく、かつ展示作品のどれが私のものか分からなかったので、告知はしておりませんでしたが。 さて。 タイトル通り、本展示は掲示されている写真を持ち帰ることができるもの。 私の写真も持って帰ってもらうチャンスがありますし、私も誰かの写真を持って帰れます。 今日はそこでの気持ちを振り返る記事。 観た掲示作品の感想と、お迎えした写真今回の展示は、Instagramにアカウント

「じゃないレンズ」で撮る写真が好き

レンズ。 それは「沼」と称される”場”を形成してしまう呪物。 あるものはレンズに溺れ、またあるものはレンズに身を亡ぼす。 …冗談は置いといて。 写真において、レンズが果たす役割は無視できません。 なんせ光を記録する媒体ですので、その光を屈折・通過させる機構が無視できるはずないのです。 すると「どのレンズが最適か」という議論が後を絶ちません。 私が撮っているポートレートやプロレスの界隈でも、定番とされるスペックや型番について語られているのです。 今回はポートレート界隈のは

いい写真を撮るために割り切ったこと&役に立ちそうなこと

冒頭からタイトル詐欺を自白します。 私は「いい写真」が何かわかっていません。 ここから書かれる文章は「上級者とも初心者ともいえない自分が思い悩んだ末に試行錯誤して吟味したtips」です。 それが結果的に「いい写真を撮るための施策」になってたらいいなーという情報共有。 割り切ったこと3つ 役に立ったこと3つ をそれぞれご紹介。 さっそく行ってみましょう。 割り切ったこと①「○○構図」は道具 初心者向けの写真講座を見ると、たいていとっかかり「まず三分割構図で!」「脱、日の

女性が撮る写真、男性が撮る写真、自分が撮る写真

ひとつ間違うと危うい論になるテーマですが、あえてこのタイトルでしたためます。 「写真を撮った人物の性差は、写真そのものの評価に影響を及ぼすか」 そんなお話し。 結論:影響を及ぼすとっかかり結論から。 「誰が撮ったか」「どんな人物が撮ったか」という情報は作品に影響を及ぼします。 時には作品のクオリティ以上に重要視されます。 性差・性別についても同様です。 私の主観であるという予防線を張りつつ、話を進めます。 本稿では、以下の構成で進めます。 ヌードはアートか 女性が撮る

「カフカ的不条理」|写真に写る人・撮る人の関係性の鎖

注)真面目に不真面目する記事です。 まったくもって不条理で、非現実的で、解決の糸口もなく、ただただ不幸に身を委ねるしかない。 カフカの作品は、そんな物語。 ふと。 私にも、似たような不条理が。 自らの選択でなく、逃れようがないというか逃れるべきでないというか。 今回は「写真に写る人・撮る人の関係性」に「カフカ的不条理」を、そして「作者の気持ち」を見たお話し。 ちなみにですが、カフカ作品に対する深い考証を持った人間ではないので、お遊びの言論としてお楽しみください。 「モ