ピーター・ドラッカーが無名のビジネススクールで教え続けた理由
(写真は2017年9月に散歩の途中に撮影した名前もわからない黄色い花)
「マネジメントの父」「最も影響を与えた経営思想家」「20世紀における知の巨人」などとして知られるピーター・ドラッカー(1909-2005)の影響は没後でも、衰えるどころか、今日まで広範囲に及んでいます。
「東西冷戦の終結」、「知識社会の到来」、「目標管理」、「民営化」、「ベンチマーキング」、「コアコンピタンシー」などについてそれらが起こる以前に予測したために「未来学者」とも呼ばれました。
ところが本人は自分自身を「社会生態学者」と名乗っていました。
近年は「もしドラ」として知られる「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」でドラッカーを知った人もいることでしょう。
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
この記事を読んでくださっているあなたが、「最高の自分」に向かって成長するために、少しでもお役に立ちたいと願いながら書いています。
新たに注目されるドラッカー
今、ドラッカーがコロナ禍で密かに注目を浴びることになっています。
ドラッカーの何が注目を浴びているかって?
それは、ドラッカーが出版した「断絶の時代」という著書です。
この本は1969年(昭和44年)に出版された本です。
こんな昔の本がなぜ注目を浴びているのでしょう?
「断絶の時代(Age of Discontinuity)」
この本でドラッカーは、これまでの時代の終焉を予測しました。
しかし、Discontinuity(非連続)すなわち、次の時代に移る移行期が約50年続くだろうことも予告していたのです。
1969 + 50 = 2019
丁度「Covid-19」と重なるのです。
多くの人々が「New Normal(新しい生活様式)」に移行したことを実感しているのではないでしょうか?
元に戻ろうとしている人々もいるのですが、ビジネスもこれまでのやり方が通用しなくなっていることを実感して「新しいビジネス様式」へと転換しています。
ドラッカーは移行期間が約50年続き、2020年には新しい時代が本格的に到来すると予測したのです。2019年までは対面でしていたことをオンラインでするなど、これまで想像さえしていなかったことが起こっています。
ドラッカーが予測した「断絶の時代」の終焉が起こったのです。
ドラッカーのビジネススクール
「経営思想家」として知られるドラッカーは、オーストリアから英国経由で米国へ移民し、ニューヨーク大学で20年間教鞭をとり、その後カリフォルニア州のクレアモント大学に移りマネジメントを32年間にわたって教え続けました。
その授業は独特です。
授業を受けるためには、現場を持っていなければならず、組織の中で実際にマネジメントをしている人間でなければ履修することができません。ここまでは、ビジネススクールですからそれほど珍しくもないかもしれません。
履修すると、コースの最初にまだ授業を受けていない状態で、課題の論文を提出するのです。そして、コース中何度も直して再提出することになります。
受講生の論文を読んで、その内容にあった授業を展開していきます。
ですから、同じコースでも同じ内容になる事はありません。
私は1998年〜1999年の1年間、米国カリフォルニア州に移住していたのですが、当時の同僚が、クレアモント大学院でマネジメントを学んでいたので、授業を聴講させて頂くという特権にあずかりました。
その講義の中でドラッカーは、毎年のように世界中の有名なビジネススクールから招聘されるが、全て断っている理由を話してくれました。
ドラッカーがクレアモント大学院に留まり続けた理由
ほとんど全ての有名ビジネススクールは、現場からケースを取って、分析し、理論を構築して、それをまた現場へ適用させるアプローチを取っている、とドラッカーは紹介してくれました。
しかし、マネジメントの現場でリーダーが決断するために使える時間は、長くて15分。ほとんどの場合、5分程度で決断を下さなければならない。
そのような現場の課題を、ビジネススクールでケーススタディで分析し、理論構築し、現場のマネージャーに戻そうと思っても、実際には「役に立たない」「使えない」ということです。
5分程度の時間で決断をしなければならないなら、理論は役に立たない。「正しい問い」を自らの中に持つことである。それによって自ら「答え」を導き出すべきである。
ドラッカーは「現場で役に立つ」経営を教えるために、クレアモント大学院に留まったのでした。
あなたは、「正しい問い」を持っていますか?
明日も良い決断ができますように。
最期までお読み頂きありがとうございます。