「学習の原則」① なぜ今、学びなのか?
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
あなたが「最高の自分」に向って成長し続けることに役立ちたいと願って書いています。
「学習」は私たちの成長の要素でもあります。質的な変化(成長)には、常に「学び」「学習」が伴います。
そこで、新たなシリーズとして「学習の原則」について取り上げます。
今回はシリーズを始めるにあたって「なぜ今、学びなのか?」について考えてまいりましょう。
なぜ「学習」なのか?
先に書いたように私たちの成長に深く関わっているから取り上げるのですが、それだけではありません。
今まで以上に学習に注目する必要が生まれているからです。
産業革命により、機械化が進み社会構造が変化し、それに伴い労働の中味も大きく変わってきました。
今日の労働者は「ナレッジワーカー」すなわち「知識労働者」です。
「知識労働者」とは、「肉体労働」やモノづくりにおける「単純労働」に対する概念で、形のない知的生産物を生み出す労働者と定義されます。
機械化、IT化が進んだ今日では、モノづくりにおいても「単純労働」というものは存在していないと言って良いでしょう。
知識労働とは、乱暴な言い方をすると「頭を使って」仕事をするということです。
現在、「頭を使って」知恵を絞らずにできる仕事は、ほとんどのないと言って良いと思いますので、「労働=知的活動」と言っても言いすぎではないでしょう。
かつて「学び」「学習」は、子どもが大人になるための「しつけ」や「一般常識」を身につける要素があったでしょう。
しかし、現在はより良い社会への貢献や新しい価値創造をするために、大人にとっても「学び」が必要となっているのです。
機械化やIT化にとどまらず、AI(人工知能)によって今後、人の労働はさらに大きく変化します。
人の活動は更に知的活動となっていきますので、「学習」が求められるのです。
学習指導要領における「学習」
そのような中、子どもたちも新しい「学び」が求められています。
文部科学省は「学習指導要領」を令和2年度に小学校から施行しました。中学校では、令和3年施行となりました。高等学校でも令和4年度からの施行となります。
小学校では、外国語(英語)の教科化やプログラミングがカリキュラムに取り入れられたことが注目されましたが、しかし新指導要領のモットーにあるように「生きる力」を育むために、「学び」そのものへの踏み込んだ改訂が行われました。
「主体的・対話的深い学び」
私は人財育成を専門にしていますので門外漢ではありますが、これまでの学校教育は「教え」に注目したものであったように思います。
つまり、「何」を「どうやって」教えるのかが問われて、その主語は当然のことながら、「学校」であり「教師」であるわけです。
主語が学校・教師である場合、教育を受けるのは「児童・生徒」です。
そこで、児童・生徒は「勉強」するわけです。
少し意地悪な言い方をすれば、「強」いて教えられることを「勉」めて覚えるというイメージがつきまとってしまいます。
学び手は「受け身」「客体」になります。
しかし、「主体的・対話的深い学び」の場合、「学ぶ」主体は「児童・生徒」になるわけです。
教育委員会や大学などの高等教育に関わる仕事もしていますが、国も本格的に児童・生徒の学びに重点を移したのだと感じています。
まとめ
「学習の原則」というシリーズを始めるにあたって、なぜ「学習」なのかということについて考えました。
noteクリエーターのあなたにとっては、当たり前すぎる内容だったのかもしれません。
言い古されている言葉ではありますが、「生涯学習」。つまり、この一回限りの人生において、最後の最後まで「学ぶ」のです。
「学ぶ」こと。それは「成長」することです。
私は「学び続ける」ことによって「成長」し続けたいのです。
あなたは何を「学習」しているでしょうか?
最後までお読み頂きありがとうございます。