東西文明の十字路:P.K. ヒッティ著 「シリア」
勉強になった、としか言いようがない。P.K. ヒッティ著 「シリア」読み応えがありすぎて、1か月程度と少し時間がかかったが、予定どおり先週に読了した。紹介いただいたローローさんには感謝しかない。
本書は、学校教育では深く触れることのない(*1)シリアを中心に、そして風土と諸民族の持つ文化と宗教を軸に、諸民族・王朝の興亡について、オスマントルコによる支配よりも前の時代に重きを置いて紀元前数千年からの歴史をたどる。
目次を引用しておこう。
世界史のなかでの位置づけを数ページで概観したのちに、地形と気候について記述する。地図もあるし、読んでいる途中でたびたび振り返ってみると理解が深まる。私には、イスラエル、レバノン、ヨルダン、パレスティナ、シリア、の地形については、レバノン杉の写真や砂漠の写真くらいしか知らず無知であったが、まず山脈と地溝と川を知ることができてよかった。なんだか、この数十ページを読むだけで、歴史と今がわかってしまうような気がしてしまうから不思議だ。
目次からわかるように、大きく分けてイスラム以前が約100ページ、イスラム以後オスマン朝の前までが約140ページ、オスマン朝とその衰退・ヨーロッパによる分割の過程から近現代までが訳者付記も含めて約75ページという構成だ。それぞれで、歴史上の出来事(民族間や宗教間の抗争・王朝の興亡史など)を詳述し、その中での文化・宗教・生活の様子が論じられている。章によっては話が前後したりするので前を読み直したりしながら読むことになり時間が少々かかったが復習しながら読む感じがまたよい。ただし、オスマン帝国以後はどちらかというと出来事の記述に終始している印象だ。ページ数も他のパートと比較してかなり少なく、読者の問題意識によっては、現代の問題に直接結びつく部分が薄く感じて消化不良に思えるかもしれない。
副題が東西文明の十字路、とあるとおり、この地域は東西と南北の経済交易・文化交流の要衝であり、東西南北のさまざまな民族による度々の征服、破壊と殺戮、その後の再建と繁栄、を繰り返してきた。そのサイクルが、特にイスラム以降では数10年のオーダーであったり、ときには数年といった非常に短いことも改めて驚かされる。この時代にこの場所に住んでいたとしたら私など渦中にあっというまに飲みこまれて、ひとたまりもなかったことだろう。
そして、各勢力の境界にいるからこそ要衝なのであって、だから節目節目では力関係の空白状態が生まれてしまう、という宿命も背負っていることがよくわかる。
シリアは人種の坩堝ではあるし純粋に単一民族であることはないわけだが、シリア人は、アラビア人でもなければ、イラン人でもなく、トルコ人でもなく、ユダヤ人でもない。そして紀元前数千年からの歴史があり、キリスト教の発祥の地でありながら中世以降、イスラムの支配を受けてきた。このことは第二次世界大戦後、今に至る歴史に大きく影を落としているということがよく理解できたように思う。
また、キリスト教の単性説をとる各派(あるいは非カルゲドン派、シリア正教会、エジプトのコプト教会、アルメニア正教会など(*2))の起源やその後の歴史も触れられているので、知識欲を満たし、興味深い。
私は、なぜヨーロッパが16世紀あたりから目覚ましく科学技術を発展させることができて世界の覇権を握れたのか、中世でむしろ進んでいたと思われるイスラム勢力が大きく遅れをとったのか、日本はなぜ近代化に成功したのか、中国・韓国との差はどこにあったのか、今、私たち現代日本では何が欠けていて何が必要とされるのだろうか、ということをぼんやりと考えていた。より一般的には、組織としての新しい知識の獲得とその応用、獲得した知識をベースにして新たな知の地平を開いていく、これらをうまく促進して正のサイクルをまわしていく仕組みや要素と、これらを阻害して負のサイクルがまわっていく仕組みや要素とはいったいどういったことがあるのだろうか、という観点で考えていた。
まだまだ分かったと言うにはほど遠いが、今回、シリアの歴史を学んで、新たなヒントが少し得られたような気がする。
ところで、世界の歴史や現代の問題をよりよく理解するために地政学が大事であり、したがって地理と気候を理解することは大事だということはよくわかってきた。地理を理解するうえで、たとえば中東の地理を感覚的につかもうと思ったときには、プレートテクトニクスをかじっておくとよい。
アラビア半島とシリア・パレスティナの部分はアラビアプレートを形成しており、アフリカプレート、ユーラシアプレート、インドオーストラリアプレートのに囲まれていてそれぞれの境界となる地域、すなわち、地中海に略平行に皺が寄るように走る地溝と山脈、アナトリアとの境界の山脈、そして紅海やペルシャ湾を形成する。プレート間で押し合うところで皺が寄って山脈、引っ張り合うところで引き裂かれて地溝や海溝あるいは湾が形成される、というのはイメージしやすい。
山脈や海は自然の障壁となる。だから越えやすい峠と海峡、および、条件のよいオアシスや港湾とが交通・通商そして軍事的な要衝となるのは自然の摂理だ。この点は、アフガニスタンのこともあって読んでみた岩村忍著「文明の十字路=中央アジアの歴史」を思い出させた。
また、たびたび大きな地震のあるところ、火山の噴火のあるところは、プレートの境界だ。だから、私はあまり知らなかったのだが、シリアも度々大きな地震に襲われている。さらには地中海の形成、地中海の火山など、こうしてプレートの絵を眺めて改めてなるほど、と思った次第だ。
さて、歴史を勉強しようと思うと、視点が大事だとつくづく思う。地域の視点、民族の視点、自国との関係の視点、そして時間軸の視点。個人の問題意識や思い入れ・ロマン・願望、あるいは「学び」をも視点としてもよいだろう。複数の多数の視点によって構成される認識の枠、あるいは認識空間といったらよいだろうか、その範囲と限界を常に意識する必要がある。
私はそんな当たり前のことが最近までよく意識していなかった。だから、いろんな人が様々な視点から歴史を語り、政治や紛争について語るのを読んだり聞いたりしても、あまりピンとこなかった。こうして、苦手な歴史・地理、政治・経済といった分野の教養を身に着けようとしてきたなかで、少しはわかるような気がしてきた。
そういえば、私がシリアに最初に興味を持ったのは1990年かちょい前だったと思う。「世界の民族音楽」と題してNHK FMで平日に毎日放送していた15分番組で、「シリアの古都・アレッポの響き(*4)」と題した1週間のシリーズがあったのだ。2千年以上もの歴史を持つキリスト教の教会のミサやイスラム教の朗誦の荘厳な響きに魅せられ、一度は訪れてみたいなぁと思いを馳せていたのだった。
いつか行ければ、と思っている間にシリア内戦が勃発しアレッポは戦場となってしまった。
この2-3年でも、個人的に関心をもたざるを得ないことがいくらかあったり、中東の音楽も好んで聴くことも多いので、彼の地の紛争の状況や難民問題に気持ちが穏やかではなく少しは関心を持って来た。歴史をこうして学ぶことで深めることができたと思う。
しかし、一方で、現代の問題を遠い過去と一足飛びに結び付けてわかったような気になるのは危険だ。
私は私に注意を喚起しておかなければならない。古代の人間の生活とか民族性といった検証しようがないことに理由や説明を求めてわかったような気になってしまうのは、問題の本質を隠してしまいがちだ。そしてそのような理屈付けは今の紛争を正当化する理屈にもなったりするのだ。
だから、現代の彼の地の紛争や対立、ひいては自国の安全保障といった視点から理解するためには、現代から逆に追うことも必要だろう。この点では去年に読んだ末近浩太著「中東政治入門」はよかったと思う。
私にとってこの地域の知識で今のところ決定的に抜けているのは、現代から見た視点と古代から見た視点の境界にあたるオスマントルコである。今回獲得した知識と去年に得た知識をもう一度反芻してじっくり消化したうえで、オスマントルコについて勉強してみようと思う。
私たちはどこから来てどこに行くのだろうか。
■ 注記
(*1) 私が高校時代、サボっていたからかもしれないが。。。
(*2) いかにも物知りのように書いているが、改めて調べたので単語だけ覚えたというところだ。
参考になった記事へのリンク:世界史の窓ー単性説
正統と異端、両性説と単性説との区別もそうだし、カトリック、プロテスタント、そしてその中の各派、現代のアメリカを理解するうえでも重要なキリスト教の各宗派について、なかなか頭に入らない。私の世界の受け取り方とあまりに異なっているからだろう。
(*3) こういうとき、専門家なら自分で絵を作って持っていて著作権を気にすることなく正しい絵を貼れるのだと思うが、素人では、なかなかそうはいかない。Wikipedia からコピペなら、許してもらいやすいかな、と思いスクリーンショットをとって貼っておいた。それによって商業上の利益は受けず、文脈上必要な範囲で必要最小限、引用元を明らかにして引用するということで大丈夫だと思うのだが。。。
(*4) タイトル、若干違うかもしれない。私の記憶はそうとうに怪しい。録音したカセットテープのケースにはそう記されていて、録音されているコンテンツもくっきり記されているが、なぜかテープが入れ替わってしまったようでブルース・ギタリストのジョニー・ウインターのライブだった。そのうち探し出さねばなるまい。