【書評】『紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男』/書評【基礎教養部】
上の本を読み、私が感じたことをこれから書く。
(けろたんさんの800字書評、note記事は準備中です。)
実はこれを書いている段階で本書の2割程度しか読み終えていないことをここに告白しておこう。だからこれから書くのは、私がこの本を読み終えて感じたことではなく、途中まで読んで、感じたことである。
いや、この本を読んで感じたことを書くと言ったら少し語弊があるかもしれない。というのも、これからここに書かれることが、純粋に今回の読書体験によるものとは言えないからである。私は本書以外の本を読んだり、ゲームをしたり、体を動かしたりと、それはまあ色々なことをやって過ごしている。それで、そうした日常の中の一コマであるいま、これを書いているわけである。
だから、書くことには、自分が本書を読んでいる時間以外の生活の中で考えていることや感じていることの影響が出るだろう。当然だ。言うまでもない。しかしその生活の中で本書を読んだこともまた事実であり、「他のこともしていたが、本書も読んだ」日常を過ごす私が、本書に関する内容多めで文章を綴ることを、「この本を読んで感じたことを書く」と言うのである。
いや、実は「本書に関する内容多めで」の部分すら不要なのではないか。内容は本に書かれている。知りたい人は本を読めばいい。「それを読んで私が感じたこと」という、どこを探しても載っていない、ひどく個人的なことを、私は書こうとしているのである。
一冊の本を読む前と後では、変化がある。世界の見え方の変化である。それは自覚できることもあれば、できないこともある。一冊の本に人生を変えられたような経験が私には(まだ)無いので、無自覚的な変化を体験している場合がほとんである。(そして、無自覚的な変化の存在を前提とすることには概ね了承を得られると思っている。本を読んだあとの脳の中は、読まなかったときと比べて「何か」は変わっているはずでしょう。)
どこからどこまでが本に由来する部分かを分けることができない。しかし自分がその本を読んだという事実はあって、それは現在の自分の世界の見え方に影響を与えている。ならば、私がただ、今感じたことを書くことが、そのまま「本を読んで感じたこと」を書くことになる。そういう話である。
と、ここまで本書を全く読んでいなくとも書けそうな文章が続いているが、実はそうではない。途中までではあるものの、本書を読んだ上で、これを書いているのである。『ドン・ファン』に関わる内容を敢えて書かないようにしているわけでは決してない。途中まで、それも前半の前半しか読んでないがゆえ、本の内容に関して書くことがあまりないというのが本当のところだろう。
そんなことできるはずがないのに、私の書評ではいつも「本とは関係ないことを書く」だの何だの。
「紀州のドン・ファン」という名前は聞いたことがあった。亡くなったときにニュースで報じられて、そのときに耳にしたのだろうと思う。彼は「魅力的な女性とセックスをする」こと、ただそれだけを至上の目的として生きた助平なジジイである。本書もタイトルからしてヤバいよね。美女4000人!!30億円!!!現在わたしが読んでいるところでは、お付き合い(?)していた女性に宝石類など合わせて6000万円相当を盗まれたエピソードが語られている。金額的にはどうってことないっぽいが、自分が選んだ女性に裏切られたことはやはりショックで、そのことには相当腹を立てていたようである。こういう話は自分にとって現実味はないものの、読んでいてフツーに面白い。
至上の目的。人生における行動原理。自分にはそんなものがあるかなと考えてみるが、考えている時点で持っていない。それは別に良くも悪くもないのだが、行動原理のある生活も面白そうだなとは思う。自分の生活の中に選択と選択肢を作り出し、根拠をもって、その中のどれかを選ぶのだ。自分の意識の及ぶ範囲では、どんな状況下にあっても常にそれに従う。なぜならそれは「原理」だから。直感的なイメージには反するかもしれないが、これはすごく「人間的」であると思う。