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【書評】「サンショウウオの四十九日」/「私とは何か」なんて...【基礎教養部】

ラボメンのあんまんさんから紹介していただいた「サンショウウオの四十九日」を読み、感じたことや考えたことなどを書いていく!

あんまんさんの記事には下から飛べます。

※※以下ネタバレ有りです。※※













本書を読み始める前は、「体は一つだが、脳が二つある話」と聞いていた。実際読み始めて、なるほどと思った。私はそういう話であると事前に知った状態で読み始めたわけだが、そうではない場合、途中まではそれとはわからないような書かれ方をしている。何も知らないで読み始めていたら、登場人物に杏と瞬を別々に一人の女性としてカウントしていただろう。杏と瞬の両親はその逆で、彼女らが5歳に成長するまで、「二人目」の存在に気づかなかった。それでまあ序盤の方でネタバレがある。体は外から見れば一つだが、それは私(これを書いている私)と同じように一つなのではなく、体の中心線を境にして、二人の身体が半分ずつくっついて「一体」になっているのである。そして二人は脳を共有している。

多重人格と同じなのかというとそういうわけではない(と思う)。専門的なことは分からないが、私の中でのイメージだとこんな感じ。

◎多重人格者

・人格Aと人格Bは同時に出現しない
だから、それぞれの人格で記憶がすっぽり抜けている期間があったりする
・外から見たその人と、その人の持っている人格が一致しているとは限らない。何かが憑依しているかのように振る舞うこともある。
・治した方が良い?

◎杏と瞬

・杏と瞬は同時に出現している
だから、感覚(何かを触っている、など)も記憶も共有している。
・外から見た杏・瞬と、それぞれの人格が一致している。自然。
・治さなくて良い

他にもありそうだが、とりあえず一旦ストップする。上で二つ目に挙げた点、自然かどうかというのは、人を見た目で判断するなと言われればまあそうなのだが、それでは明らかにカバーできないケースもあると思う。一つ目に挙げた、二人の人格が同時に出現しているというところはポイントになると思う。印象的なシーンは、二人が声を出さずに頭の中だけで会話するシーン、体の痛みを他方に押し付けるシーン、片方がタイプの男とキスしているときに、もう片方にとっては全然タイプじゃないからオエッってなってるシーン、他方が見ている夢を覗くシーンなど。瞬が、頭の中で独り言を止めない杏に睡眠剤を飲ませて黙らせるシーンもある。瞬は起きている。睡眠剤は胃袋(二人で共有)に入って、脳みそ(これもまた二人で共有)に効くはず。それで片方が意識を失って片方が覚醒しているということは、睡眠剤は意識?に直接的に働きかけたことにならないか。最後の方には、熱に浮かされた瞬の意識が、体からすっぽりと抜け出して、杏を上から覗くシーンも有る。睡眠剤のシーンも熱のシーンも、意識の所在が、脳みそから離れて描かれている。意識が脳の働きによるものなのかどうかなんて、確かめようがない。それに、全ての現象に説明がつくという保証もない。意識がある、それだけ。


本を読み終わったあとに、ネット上で感想を検索した。「杏と瞬はあくまで、私たちの延長線上にある、極端な例として描かれているに過ぎない」という意見をいくつか見つけた。たしかに、私だって、何かの決断に際して頭の中に「天使と悪魔」の囁きを聞くときがある。あれだけ怒りが煮えたぎっていたのに、一晩寝たら何に怒っていたのかすらも忘れてしまったとき、前日の自分とはもはや別人であろう。でもやはり「自分」なのだ。天使と悪魔は、どちらも自分ではない。それに惑わされている「自分」がいるだろう。杏と瞬は、重ならない。共有(シェア)はしても、一致はしない。

最初に、「本を読み始めたときは、女性が二人登場するものと思っていた」と書いたが、ネタバレを知ったあとでも、やはり一人には見えない。いや、見た目的にはそう見えるけど、一人だとは思えない。


何かクリティカルなことをズバッと言ってみたいが、思いつかない。「私とは何か」とか、「意識とは何なのか」とか、それらについて「考えさせられた」とかは言いたくない。

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