自分の意見を主張する場の必要性
前提として、私自身、お互いに自分の意見をぶつけ合う環境に快適さを感じるタイプ。公の場で、自分がどう思うのかを主張する。それはあくまで自分の意見としての主張であって、それが一般論として正しいとも、自分と違う意見の人を受け入れないとも言っていない。お互いが意見をぶつけ合う中で、最適解を見つけたらいい。後腐れもない。
そんな環境が私にとってはとても心地がいい。
少し前になるが某飲食店が良かれと思って行動したことが社会の一部から反感を買うことになった件。もし、自分の意見を公に(かつ匿名でなく)表明する機会が日常的にあれば、悪意を持った表現であったり、人から陰湿と思われるような表現は避けられたのではないかなと感じてならない。
溜め込んで陰口を叩くくらいだったら、自分の意見として日常的にストレートに主張したら良いと私は思うが、日本で働いていた時はそうもいかなかったのも事実。私自身の実体験として理解できる。
日本人は、何か自分と違う意見を他の人が主張してきた時、自分自身が否定されたと感じてしまう傾向にあるように思う。私もそうだった。でも海外の人にとっては必ずしもそうではなく、その起こっている事象に対しての意見なのであり、誰か1人を非難しているわけではない。
当然、違う意見を主張する側も、あなたの意見もわかりますし否定はしません。ですが、私はこう思います。という姿勢を持つ必要がある。
つまり、自分個人としての意見を持つことが誰かを傷つけるためにあるのではないのは明らか。
そういうタイプの人もいるんだなーくらいに思って、あなたはそう考えるかもしれないけど私はこう思うよ。っていうのをポジティブに共有しあえたら良い。人と違う考えを持つことに、もっと誇りを持ったら良いんじゃないかなと思う。
そうすれば、自分と違う意見を持つ人に攻撃的な姿勢を見せることが減ると思う。
私が今働く環境には3つの国籍が混在していて、いろんな意見が飛び交う。だからこそ、自分がいいと思うことはシェアするし、違うと思ったらその通り伝える。なぜならいろんな意見を出し合った中で一番いい答えを探し出すのが至上命題だから。本来ビジネスとはそうである方が健全だと感じる。
そんなふうに考える私ですら、日本とは違う文化的背景を持つ外国人上司からは、「今から言うことはあくまでビジネスとして最適を探した上での話であって、あなた自身を否定するわけではないので悪しからず。」という前置きをされる。日本人が否定されることに弱いことをよくわかっている。笑
私はこう思う、と〝私〟から話が始まると、自分のこと好きだよねとか、ナルシストとか、ネガティブな印象になることが多い気がする。私も何度か裏でも表でも言われたことがあって、その度に傷ついて自分発信の言動を控えようと意識してた。
でも、今思うのは、結局最後まで自分を守れるのは自分。自分のことが好きな事の何が悪いんだろう。誰に迷惑をかけるわけでもない。私たちはもっと自分に優しく、自分を好きでいいんじゃないか。自己肯定とか、セルフコンパッションとか、まさにそういう事。もっと自分を大事に。
ある人にとっては受け入れ難い考え方なのかもしれないが、多様性や持続可能性などを謳うのであれば、持っていて損はない感覚だと思う。
結論、私は同じゴールに向かった上で意見交換など議論する場が好きだし、自分が良かれと思って主張したことに対して後々陰口を叩かれたり自分自身反省したり自己嫌悪を抱いたりしたくない。
自分と異なる意見の人がいるのはウェルカムだけど、あからさまに悪意を持って非難されたり否定されたりしたら当たり前に傷つく。
そして残念なことに、悪意を持って発する言葉は、誰かを傷つけることや反感を買うことはあっても、悲しいほどに人に響かない。
当然、根本的に何かを変えることはできない。
もっとカジュアルに、もっと楽に自然に普通に自分の意見を主張する機会があれば、自分とは異なる意見に対して寛容になれるのではないかと感じてならない。
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