モノノタトエ。
と、なると。
半分にも到達していないのだ、私は。
あまり器用な生き方をしてこなかった。
例えば、「すんなり」と言えるような10代ではなかったし、かといって「荒れた」10代でもなかった、と思う、けれど。
何かしら思い悩むことが多く、躓きがちで、悲観的で、そうたとえば、「スイカ割り」のような。聴こえる声や情報を半信半疑に、あやふやな自信で、唐突に棒を振り下ろし、的はずれな地面を堂々と叩いては、腕をジーンといわしていた。
「目隠しを取ったらよいのでは?」
と気が付きはじめたのは20代だったろう。
あーなんだ、そういうことか、みたいなことが増えた。けれども、結構な自信をもって振り下ろすものの、スイカは思いのほか固く、棒はバイィーンと弾むくらいに跳ね返った。もしくは、棒がふにゃふにゃだったか。
私がようやく、スイカにヒビを入れたのはきっと、30代だったろう。大した手応えはなく、「あ。当たった…」と、じわっと汁が染み出し、スイカの匂いにやっと出会え、そうだそうだ、と悦びも沸いて。
そうよね、ちゃんと真上からスイカめがけて思い切って振り下ろさないと。しっかりした棒で。そうやっと学んだような30代だった。
そして、40代に入り3年がたった。
スイカをチビチビ、シャクッと齧っている。
種もあるものね、と知っているし、汁だけ集めてジュースにしたところで、「スイカジュース」がさほど旨くないのも知っている。
さぁて。
100歳にでもなれば、もう、目を瞑りながらでも、その真髄を捉え、杖をスンッ!と振り下ろせば、パカッと真っ二つ、みたいなことになるだろうか。
どうにも私の頭の中の100歳のイメージが、ドラゴンボールの亀仙人の域を出ない。100歳のイメージが、旧式である。
そうだよな、きっと。亀仙人だって、それはめっちゃんこ強いけれど、基本、ボインが好きなエロ爺だものね。
私がたとえ100歳になったとて、うっかりぶつけて、スイカをうっすら傷つけるくらいのドジ加減はかわらないのだろう。
43歳のお誕生日プレゼントに、「3Dウッドパズル ぜんまい仕掛けの飛行船」をおねだりした私は、さっそく朝から張り切って夢中になって作成し、完成させた! のだが。
ぜんまいを廻し、動かすと、後ろ向きに進むという仕上がり具合である。
「飾っておくんだもんね」
と子どもたちに優しくなぐさめられる。
43/100年生きてきて、何となく、
100年生きていられたとしても、きっと、
私のドジ加減は変わらない と学びつつある。