「私の国ではね。」
とあるプログラムの説明会へ行ってきた。
長女も参加したことのあるプログラムなので、概要は知っていたけれど、聞いておいてよかったと、帰り道を運転しながらじんわり思っていた。
秋っぽい、羽のような雲の、オレンジが混ざる空に、彩雲が見えた。
説明会では、このプログラムの詳細というよりか、このプログラムの本質的な目的を聞くことが出来たからだ。
これからの日本には外国人がどんどん増え、娘たちが就職するころには、同僚の8割が海外出身になるというデータもあるそう。
まあ、既にクラスに2,3人は海外出身の子がいるのだから、有り得るだろうなと思う。
今のこどもたちへの教育は、英語力はもちろんのこと、コミュニケーション能力、思考力、判断力、表現力、主体性を持ち多様な人々と協働する態度、などを育むsociety5.0教育となっている。超スマート社会。
このプログラムでは、海外からの留学生と、3日間、英語をツールとしてSDGsに関わるトピックを掘り下げていく中で、多様な考えに触れること、思考力、表現力などを鍛える。
長女の時は、その留学生のうちの一人をホームステイとして我が家で受け入れた。
マレーシアからの留学生だった。
彼女は国からの補助で留学してきていた。
「こどもたちが平等に教育を受けられる国にしたいの」と、日本の教育制度やあり方を勉強しにきていると言って。
そうなんだよね。そうだった。
今から20年以上も前、私が英国へ語学留学へ行ったころ、同世代の各国から集まるクラスメイトとのランチやパブでの会話が衝撃だったのを思い出していた。
とてもカジュアルに、政治や政策、宗教や経済、国の話をするのだ。
「あなたの国ではどう?」
「あなたは何を信仰しているの?」
「なぜそういう政策なの?」
当時18歳だった私は、これといった話が出来なかった。英語力の問題ではなく、日本語だったとしても、日本の政治や政策、経済や宗教について、「自分事」として話すことが出来なかったのだ。世の中を知らなすぎた。
同世代の各国の留学生は、国の補助を受けて留学してきている子もたくさんいた。
アンゴラやコロンビア、スペイン、イタリア、ドイツ、スイス、中国、韓国、クラスメイトの国籍は多様だった。
彼らの口からは、「僕の国では」「私の国では」と母国の話がスルスルと出てくる。溌剌と話していて、とても大人に見えた。
そういう場で、私はきちんと日本の話が出来ず、同じ日本人の子に助け舟を求めても、同じようにふわっとしか語れなかった。大人の話に混じれない子ども同然だった。
政治や経済や宗教の話など、父やおじさん達が話すことだ、と思っていた自分を恥じた。
自分の国のことなのに、知らないの?
プログラムの説明会を聞いていて、そんな記憶が呼び起こされていた。
SDGsや、政策や経済、宗教など、18歳から選挙権を持つ今の子たちは「自分事」として、考えていかなくてはならないのだ。
新聞を読んで、ニュースを見て、日常的に、世の中の流れに関心をもつこと。それについて、考え、意見を持つこと、話すこと。
まずは食卓で、
「世の中を見せて」
と、今日のニュースを観るところから。
自分の国を知るところから。
「ねぇこれってさどういうこと?」
「どう思う?」
と投げかけられた疑問に、
私も「自分事」として、答えられるように。
「私の国ではね」と話せるように。
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