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「読書感想文」葉桜の季節に君を想うということ
歌野晶午さんの作品です。
あまり詳しくはストーリーを紹介できない作品です。とにかく読んで、騙されてください。最後の一文に至るまで、あなたはただひ
たすら驚き続けることに…
帯の文言に惹かれ、またタイトルと装丁から、サラサラとした優しい物語なのかと手にとったのです。
ところが、最初の一文から
「・・・、あれ、なんか間違ったかも」
といきなり、タイトルのイメージを裏切られた。
普段、あまり男くさいような、骨太で肉厚な物語を読んでこなかったので、
「あー、そっちか…」と内心トーンダウンしたのですが。
私の言う「そっち」とは、堂場瞬一さんの刑事モノや、ダン・ブラウンの壮大なアクションミステリーなど、そのスピード感にもっていかれて一気に、徹夜なみに読んでしまうもの。その読みごたえたるや、という感じで好きなのですが、若干エネルギーをもってして読みはじめるので、ふいに「そっち」への転換は身構えました。
チキンソテーくらいのつもりが、分厚い赤身のジューシーステーキでした、くらいの身構えに。
そうして、なんとか読みすすめていくうちに、何かひっかかる。なんとなく腑に落ちないような、モヤモヤ感がありながら。
いやでも、そんなことよりも探偵さんの捜査中だよ、と本筋に戻っていく素直な読者でした。
そうなんです、素直な読者がずっと騙されてしまうのです。ミスリードされている事にも気が付かない…。
読者の頭の中には、文章から、主人公や登場人物ができあがっていき、物語の中でその人物たちが、それっぽく振舞って動きだしています。それは、先入観やイメージによって、多かれ少なかれ連想され、人物像ができあがる。本が好きな人ほど、その作業がスムーズだったりするのではないでしょうか。早くに、人物像をつかみ、人間関係を把握し、その物語の中に移入していけるのは、読書好きの自負するところであったりします。
ですから、帯にあった「騙されてください」に、どれどれ、と、そんな簡単には騙されたりしませんから、と慎重に読みすすめていたのです。
なんとなく腑に落ちないモヤモヤを抱えつつ、主人公や登場人物像が、いまいちきちんと立っていない、ような。
けれどもストーリーは進んでいき、まあいいか、その辺は、とこっちに置いておきながらとうとう、クライマックスを迎える。
そうして最後、「あ〜そうか!!」と、一旦組み立てたパズルを組み立て直し、ピシッとはまるのです、あのモヤモヤはそこか!と。
なかなか解けない問題の、正解の解答を見せられたときのリアクションさながら。
してやられました…
歌野晶午という人は、本当にまったく…
言うなら、もうこの本を手にとったときから騙され ははじまっていたことになります。
そしてまんまと、え?どこから?と、二度目遡って読もうとしています。
そして、その分厚い赤身のジューシーステーキは、さほど胃にもたれず、さっぱりとした後味でさえあったのでした。