つり合いなど取れたことないのだ。
勇ましく男らしい、人前で、ソファーにふんぞり返るような男が嫌いだ。
「おかえりなさい」としおらしく、夫婦でいながら夫に敬語を使う彼女を、好ましくも、どこか苛立ちを持たずにはいられなかった。
彼女の夫は、あるインタビューに、
「家族ができたことですね。それが一番の支えです。」と笑顔の写真と共に載っていた。
「たばこ」と油性ペンで書かれた彼女の手は、「書いておかないと忘れちゃうの」と。
ふんぞり返って、掠れて低い大声で、
「いつもうちのやつがお世話になって」
と言う筋肉質な男を、どうしても、どうしても、好きにはなれなかった。
彼女が「一生添い遂げると決めた」相手。
甲斐甲斐しく見送り、「ごめんね」と戻ってくる彼女に、かける言葉もなく。
「内助の功」だとか「良妻賢母」だとかを、あの男に捧げるつもりな彼女の、邪魔でしかなったんだろう、私は。
カタンと天秤は傾いたまま。
ならなぜ?
彼女と二人で過ごした時間の行き場を、今も探している。
やがて、ソファーにふんぞり返っていた男は、職を下ろされ、栄光も名誉も失った。「一生添い遂げる」相手の絶望を、共にする彼女の涙をぬぐうのは、私の役目だった。
すっぽりと腕の中にいる彼女の肌を撫でる。
「あの人はきっと、身の回りの事や、仕事のあれこれをする人が必要なだけなのよ。」
ゆっくりと唇を這わし、「好きだよ」と言えば、「私も好き」と言う彼女は。けれど、
「愛してる」と言っても、「大好き」としか言わず、彼女の誠実は、あの「必要な人」であることを「愛してる」。
今も、ずっと。
上皿天秤は、最初から、
つり合いなど取れたことないのだ。