『動物界』『ネットワーク』、ドラマ『百年の孤独』、カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』『陪審員2番』
最近、というかちょっとまえ、900円くらいでガジュマルを買ったんですよ。
沖縄とかの木で、メジャーな観葉植物です。ダイソーになかったから無印で買った。
グリーンを眺めつつの生活で、かすかな癒し。
まだ買ったときのポットのままなので、新しいお家を買ってあげたい。
ここ最近見たり読んだりしたものの、雑多な感想記事です。
『動物界』
もう今年はめぼしい映画を見つくした。
『動物界』は2024年のセザール賞を『落下の解剖学』と競ったフランス映画で、本国で非常に注目された映画です。
ある日、人間が突然変異してアニマル化してしまうという奇病が流行した世界が舞台で、CGI、VFX、アニマトロニクスを駆使したSF映画になっている。
フランス映画にしては珍しいあつらえ……。
監督はトマ・カイエという方で、長編は二作目。新鋭の監督ですね。
そしてここがユニークなんですが、本作は芸大の学生が書いた脚本を、卒業生であるトマ監督が拾い上げて映画化までこぎつけたというもの。
学生の脚本なんですね。
主人公はエミールくんという思春期の男の子で、彼の母親は新生物(アニマル化してしまった人間のこと)で治療を受けている。父親とともに母親が収容されている病院の近くに引っ越してきて、新しい学校に転入することになる。
しかし母親が病院のバスから脱走してしまい、父親と共に母を探すことになるが、やがてエミール自身にも新生物化の兆候が現れ始める。
本作の新生物はもちろん“多様性”のメタファーで、それ自体は目新しいものではないと思う。
それでも本作が優れている点があるとしたら、キャラクターの立ち位置がどれも絶妙なところだ。
本作にはさまざまな立場の人物が登場するが、誰の立場が悪とも断言しない。
強いていうなら、新生物たちを無理やりに捕獲する警察や軍隊が悪なのだけど、警察官のなかにも、主人公たちに同情的な人物がいたりして、一面的には描かれない。
エミールの学校のクラスメイトも三者三様で、差別的ないじめっ子とか、新生物保護に熱心な学生とか、ADHDでエミールのことを密かに好いているヒロインとか、さまざま。
社会的な立場での対立、新生物vs人間、保護派vs政府みたいな図式が存在せず、もっと人物に寄った描き方で、個人の視点から描かれているとも言える。
ハリウッドとは違った質感の映画で、ぼくには狼人間になっていくエミールくんが、体にクリームをつけてカミソリで体毛を剃るシーンとか、自転車の漕ぎ方がわからなくなることとか、犬掻きで泳いだりするところか、そんなディティールに強く引き込まれる。
もっとも心を揺さぶられるシーンは、エミールが鳥人間のフィクスと友達になって、森のなかで密かにフィクスの飛行練習に付き合うところだ。
エミールは自分が新生物になっていく現実を受け入れることが出来ずにいたが、フィクスが失敗を克服して大空に舞い上がるのを見て、新生物の美しさや可能性に目覚めていく。
ラストではすっかり、自分を受け入れ、反発していた父親にも見送られて、森のなかへ去っていく。『おおかみこどもの雨と雪』ですか。
なんというかこの映画、フランス映画ではあるけど、ヌーヴェルバーグとかじゃなくて、バンドデシネに影響されたようなメビウスとかそっち系の感じが強い。
なんにせよ、まだ二つしか映画がないので今後が楽しみな監督。
CGの扱いもこなれていて、ハリウッドでも即活躍できそうな才能だなぁ。
『ネットワーク』
午前十時の映画祭、町山智浩氏の解説付き上映をTOHOシネマズにて鑑賞。
1976年の映画。
オイルショック、ウォーターゲート事件、ベトナム戦争と暗いムードが立ちこめるアメリカ70年代が舞台。
大手テレビ局をクビになったベテランニュースキャスターが、やけっぱちになり生放送で自殺宣言をしたことから、大変なことになるという話。
近年ではトッド・フィリップス監督による『ジョーカー』にもオマージュされた映画で、生放送中に人が撃たれるという展開、演出がそっくりそのまま。
実際にそうした事件もアメリカであったそうです。
監督のシドニー・ルメットと脚本をかいたパディ・チャイエフスキーはテレビ局に勤めていた経験をいかし、テレビ業界の内情と過激なものを求める現代社会を風刺的に、かつ説得力を持って暴き出していく。
脚本はアカデミー賞を受賞し、主演男優、主演女優、助演女優賞でもそれぞれ受賞。特に助演のベアトリス・ストレイドはたった5分しか出番がないにも関わらず、オスカーを手にしている。
少し残念なのは、本作のなかで語られていた社会像が、古い。というか追い越してしまったことだ。娯楽化された報道、ポピュリストの台頭、陰謀論。
金になるならよし!
ドラマ『ボーイズ』にも、『ネットワーク』のセリフがオマージュされているそうです。ますます70年代みたいになっていく現代を感じる。
ドラマ『百年の孤独』
コロンビアの人たちによる、コロンビアのスペイン語で映像化された『百年の孤独』。
登場人物が全員、スペイン語で話すので雰囲気は最高。
少し前に文庫化した原作を読了していて、マジックリアリズムとやらをどうやって映像に移し変えるのか楽しみだった。
映像は長回しが印象的で、カメラがドアに迫ったかと思ったら、ひとりでにガコッと開いて中に入っていく……というようなヒッチコックがやっていたような演出を使ってマジカルな雰囲気を演出。なるほどそういうことか。
イニャリトゥ監督の映画、『バードマン』『レヴェナント』がワンカットで超長回しなのは、ラテンアメリカ的な感覚の表現だったのかもしれないなどと、思いました。
ドラマでもやっぱりレベーカにもアマランタにもフラれた、ピエトロ・クレスピが一番かわいそうだった。
さまざまなキャラが入り乱れる原作ですが、視覚化されるとスッキリ頭に入ってくる。良い復習にもなるし、おぼろげにしか想像できなかった世界観の細部までも詳細に見せてくれるのが嬉しい。
ホセ・アルカディオ・ブエンディアの錬金術の工房とか、ぜひ見るべきセットだと思う。
ガルシア・マルケスの小説は『百年の孤独』に続いて『族長の秋』も新潮文庫に
なるらしいが、完全に味をしめているな……。だが、買わねばなるまい。
『遠い山なみの光』
カズオ・イシグロのデビュー長編。
イギリスで暮らす日本人の悦子のもとに、娘のニキが訪ねてくる。
悦子は景子という娘を自殺で亡くしていて、ある日、ニキと過ごすなかで見た夢をきっかけに、故郷の長崎の思い出を回想していく。
読めばすぐに感じ取れると思いますが、すごく小津安二郎の世界を想起させる。
戦後まもない長崎で、原爆の戦災孤児だった悦子が、緒方さんという人の縁で息子の二郎と結婚することになり、お腹に子供も授かる。
順風満帆だった彼女の前に現れたのは、アメリカ人の愛人を持つ佐知子と万里子の親子だ。
日本を捨ててアメリカへゆく佐知子と、やがてイギリスに渡ることになる悦子は鏡像のような関係だ。
もっとも印象的に感じられたのは、緒方さんの存在で、悦子の義父、夫の父にあたるのですが、この人はどうやら戦中に歴史を教える先生だったらしい。
軍国主義的な内容の歴史観を教えていたのだろうと思われる。その緒方さんも戦後になって、教え子の一人に批判されることになり、大きな時代の節目に立たされるのだ。
周囲を取り巻く世界がガラッと変わってしまえば、必然、そこで生きている人間の存在さえも根底から覆してしまい、ぼくらの世界が全く頼りない薄氷のようなものの上に乗っかっているのだということを、まざまざと突きつけてくる。
なんか来年夏に映画化する予定があるらしく、監督が石川慶ではないか!
『Arc』も『ある男』も大好きだ。楽しみにしてる。
『陪審員2番』
イーストウッド監督最新作。
日本では劇場公開されず、配信限定。
新婚で妊娠中の妻がいるジャスティンの元に召喚状がきて、陪審員として殺人事件の評決をくだすことになる。
容疑者はバーで恋人を喧嘩し、誰も見ていない路上で彼女を殴って殺し、路肩の土手に遺棄したとみられる。
裁判中、ジャスティンの脳内にはある光景が思い浮かんでいた。
事件があった一年前のバーに、自分もいたのだ。夜道の帰り、どしゃぶりのなか車でなにかをはねた。外にでてあたりを見まわすが、なにもない。鹿をはねたのだろう。ここらは鹿が出る。
だが今、無実の罪で一人の男が裁かれようとしていた。
陪審員たちはさっさと評決を下して、自分の人生に帰りたい。
ジャスティンだけは、議論をしようと呼びかける。
とにかく設定がハイコンセプトでうまい。
無実の人に罪をなすりつけて自分は助かるのか、妻と赤ちゃんがいるのに真実を告白して終身刑をくらうのか、究極のジレンマだ。もうこれだけで引き込まれる。
約2時間の内容をまったくダレることなく、キレのある編集とテンポで見せ切る94歳のイーストウッドのすごさ。
ジャスティンは『マッドマックス 怒りのデスロード』でニュクスを演じていたニコラス・ホルト。この前予告が公開したジェームズ・ガンの『スーパーマン』ではヴィランのレックス・ルーサーを演じるそう。
絵的には地味な室内劇ですが、演技、ストーリー、演出の点で見応え抜群。U-NEXT契約者は必ず見るべき映画です。
以上、全く節操のない流行りを無視したラインナップの記事でした。