ダイジン、東京を救う
公開後しばらくたって、おおぜいの人が『すずめの戸締まり』について語っている。今さらわたしが付け足すこともなく、素晴らしい映画だったと思います。
『君の名は』『天気の子』と続く、新海誠メジャー作品の一つの到達点。
前二作では背景にとどまっていた震災というテーマが、本作では全面に出てきて語られる。詩的なモノローグも、MV演出もない大人新海。
いろいろ面白い点があって、何個か気になったところを書いてみます。
ごっつ村上春樹
『すずめの戸締まり』の物語は女子高生の鈴芽が、閉じ師の青年草太と旅をするロードムービーになっていて、鈴芽が、椅子に姿を変えられてしまった青年草太と各地に出現するみみずと呼ばれる怪異を扉の中に封じ込めて回るというもの。
みみずがこの世に現れてしまうと、大地震の引き金となり、大勢の死者が出てしまう。このみみずと地震というセットを聞いた瞬間、ある小説が頭をよぎりました。
それが村上春樹の『かえるくん、東京を救う』です。
ある中年男性の元に、謎のでかいカエルが現れて、みみずくんと戦うのを手伝って、東京を救ってほしいと頼まれる、シュールな短編。
『カエルくん〜』の中では、みみずとはおおぜいの人間の悪意や憎悪のようなもので、それにより巨大化したみみずくんは大地震を起こすまでになります。
『すずめの戸締まり』においても地震は直接的というより象徴的な使われ方をしていると感じました。震災そのものを描くのではなく、震災後の世界に投げ出されてしまったわたしたちをファンタジーを通して描いたものだと解釈しました。なので現実の地震はそうじゃないよ!という見方はナンセンス。
ドライブ・マイ・カー
鈴芽と草太の二人は、かつて人々が暮らしていたが、震災後(だと思う)に消えてしまった風景を訪れて、扉を閉めていきます。
パンフレットでも触れている通り、本作は場所を悼む物語になっている。
鈴芽は最後に、震災があり母を亡くした場所を訪れ、過去の自分自身に対面します。そこでは、閉じていた記憶を見つけトラウマが癒され前を向くといった解決ではなく、鈴芽自身が正しく傷つき正しく受け止める。喪失とともに生きて行く覚悟が描かれたのではないか。(だから椅子が三本足のままなんだよ)
昨年公開された村上春樹原作の『ドライブ・マイ・カー』と似ていると思い、同じテーマを共有しているのではないかと考えました。新海監督は村上春樹ファンなので、十分あり得そう。
陰と陽 ダイジンとサダイジン
神話的な世界では冒険への召命として、動物などが主人公を導くことがある。『不思議の国のアリス』なんかそうじゃないですか。
『すずめの戸締まり』では二匹の猫が主人公を異世界へ導く使者となります。
ビジュアルに注目すると、ダイジンは白い体に片目の周りだけ黒。サダイジンは黒い体に片目の周りだけ白。これ、陰陽師のあのマークではないか。
二匹の猫は一対の存在で、人知を越えた自然のメタファーなのではないかっ!とも思います。ダイジン=大神だと監督も言っているし。自然という存在を軽視すれば、取り返しのつかない環境破壊が進み、それは災厄となって人類に返ってくるもの。
作中で草太が口にするあるセリフ。「大事な仕事は、人からは見えない方がいいんだ」要石であるダイジンも、見えない仕事でわたしたちを守っている。