『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(新聞書評の研究2019-2021)
はじめに
筆者は2017年11月にツイッターアカウント「新聞書評速報 汗牛充棟」を開設しました。全国紙5紙(読売、朝日、日経、毎日、産経=部数順)の書評に取り上げられた本を1冊ずつ、ひたすら呟いています。本連載では、2019年から2021年までに新聞掲載された総計約9300タイトルのデータを分析しています。
この連載の2回目で、3年間に全紙で紹介された12タイトルを紹介しました。これは全タイトルの0.13%に過ぎません。リストは以下に。
さて、筆者は、全紙に紹介された本は順次読むことにしています。未着手だった4タイトルのうち一つを読了しましたので、多少感想めいたものを。
『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』
機知とたくらみに満ちたデビュー作
著者で文芸評論家の川本氏は、米文学史に輝く作家ジュリアン・バトラーを15歳のころから愛読していました。しかし、邦訳本はすべて絶版となってしまい、日本では忘れられた作家でした。
そこで、ジュリアンの死後、彼の生涯のパートナーだった作家で文芸評論家の男に直撃インタビューを行います。イタリアの旧住所で空振りし、引っ越し先のアメリカの住所を探り当て、それまでメディアに出ることのなかったパートナーに気に入られ、貴重なインタビューに成功します。
そのパートナーが書いたバトラーの伝記が『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』で、川本氏はその邦訳者という位置づけです。
このトリッキーな構成が素晴らしい効果をあげています。
川本氏は本作の中で、パートナーの視点からジュリアン・バトラーを書き、作中に本人が登場して、ファンの視点からパートナーへのインタビューを体験記にまとめ、かつ、邦訳者・文芸評論家の視点から『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』の作品の意義について解説しています。
この3つの視点を書き分けることによって、いくらわかっていても、これが史実に基づくノンフィクションだとつい思ってしまうのです。あ、そうか、これフィクションだった、と私の脳は何度もだまされました。
大半を占める「翻訳」部分では、50年から70年代にかけてのアメリカ文学と文化のアイコンが、ジュリアンの交遊相手として綺羅星のごとく登場します。
特に重要な役割を務めるのはトールマン・カポーティ、ゴア・ヴィダル、アンディー・ウォーホールあたり。ミックジャガーもでてきます。
ロックバンドのベルベット・アンダーグラウンドも登場します。このバンドが遠くチェコスロバキアで起きた1989年の「ビロード革命」で重要な役割を果たすことになるのは、NHK「映像の世紀」でも放映されていました。
底流を一貫して流れるのは、同性愛の文学者や芸術家たちの社会的抑圧との闘いです。50~60年代のアメリカの作家たちは、アメリカでは出版できない同性愛をテーマにした書籍はパリの出版社に持ち込み、住まいも欧州に移したりしていました。
ところがほどなく、同性愛だろうがドラッグだろうがなんでもありのカウンターカルチャーが奔流となって表舞台に登場します。そのアイコンがウォーホール。本作では間抜けな感じに書かれています。
ジュリアンはこうした激流の中に浮き沈みするあだ花です。パートナーの編集力を借りなければまともな作品を出せなかったにも関わらず、女装のベストセラー作家として有名になると、奔放で自堕落な生活を繰り返し、パートナーを振り回します。この二人の葛藤も読みどころです。
ネタバレになるのでこれくらいにしておきます。分厚い本ですが、すいすい読めます。でも扱っているテーマは重いです。
川本氏は、このデビュー作でいきなり、読売文学賞をはじめ複数の文学賞をとっています。1980年生まれとあるので、40代前半でしょう。本作に10年かけたらしいですが、次作も楽しみです。
なお、本書の舞台となった期間は、カウンターカルチャーの初期までです。その後の運動がどう展開したのか、それがどういう意味を持ち、アメリカ社会に何をもたらしたかは、以下の本が参考になります。
15年以上前の本ですが、昨年文庫化され(単行本はNTT出版でした。文庫化の際についたサブタイトルがキャッチ―過ぎて誤解を招きますが、まともな本です)、手に取りやすくなりました。
戦後アメリカの文化と政治を知るうえで必読書だと思うんです。
追記(2022/9/28)
このブログを見てくださった川本氏から、関連図書のアドバイスをいただきました。カウンターカルチャーのアメリカ史における位置づけを知るためには以下の2冊が、
また、カウンターカルチャー自体の理解には
が有益とのことで、作品にも反映されているとのことでした(『反逆の神話』も読まれておられました)。筆者も読了しましたので、内容をかいつまんで紹介しておきます。
『ファンタジーランド(上)』は、英国王からの弾圧から逃れるために、メイフラワー号でアメリカに渡ったイギリスのピルグリムファーザーズからして、宗教的な狂気と幻想を抱いていたこと、プロテスタントの異端分派が次々と生まれ、いまや一大組織として受け入れられていること、テーマパークや映画、メディアも非現実的な幻想や信念を現実と思い込む「ファンタジーランド化」の尖兵となってきたこと、こうした下地があって、1960年代のカウンターカルチャーが一挙に花開いたことを豊富な実例で示しています。著者のカート・アンダーセンによると
のだそうです。
(下)は、カウンターカルチャーからトランプ現象までの記述です。最近60年程の歴史ですので、より身近な事例で、過激にファンタジーランド化したアメリカを感じることができます。
通読すると、理想のキリスト教社会の建設を目指して入植した人々の子孫が、明らかな真実を「フェイクニュース」と切り捨ててはばからない大統領を戴くようになるまでに、一本の鮮明なラインがひかれているかのような印象を受けました。
『カウンターカルチャーのアメリカ』はロック、ドラッグ、演劇、コミューン、東洋、文学、映画といったジャンルごとに、カウンターカルチャーの展開を詳述しています。カウンターカルチャーのブームは実際にはそう長くないのですが、その割に人々の記憶の中の存在感は大きい印象があります。それだけ広範な影響を与えたのだと思います。
各ジャンルごとに、作品の文化的背景や当時のアメリカでの受け止められ方、その後の展開がまとめられ、理解を深めることができます。60年代生まれの身としては、懐かしいアーティストや作品が満載で、それも楽しかったです。
カウンターカルチャーがアメリカの中流的価値観への反抗を背景にした運動であったこと、支えたのはベビーブーム世代の中流階級出身の若者であったこと、革命や体制転覆を目指すほどの過激性は持っていなかったこと、世代人口の多さが独自の消費マーケットを形成したことから、批判の対象としていた消費社会との親和性がむしろ高かったことなど、この運動の機序と内包していた矛盾が指摘されています。
教えられたのは、「パーソナルコンピューターの黎明」と題された第8章です。IT産業の揺籃期を支えたメンバーたちの多くが、カウンターカルチャーの考えに共鳴していたというのです。スティーブ・ジョブズのほか、ビル・ゲイツ、スティーブ・ウォズニアックなどです。
との記述に驚きました。
禅への傾倒で有名なジョブズが若いころ、オレゴン州のインド寺院に施しの食事をもらいにいっていた、などのエピソードも興味深く読みました。