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認知症論―爺のお勉強note
松本卓也(精神医学)さんの「症例でわかる精神病理」(2018年 誠信書房)はとても勉強になります。
「認知症とは忘却の障害」というのは目から鱗でした。
認知症について、この本から学んだことを少しまとめてみたいと思います。
1.Dementiaからneurocognitive disorders
2013年のDSM-5では、認知症 dementiaという名称が神経認知障害群 neurocognitive disordersへと改められました。
(参照:松本卓也 2018「症例でわかる精神病理」誠信書房p191)
DSMはとても画期的、かつ問題含みの精神病診断システムだと思います。このDSMなどの操作的診断は介護や支援に関わる人にとっても無視できないシステム、ツールだと思います。
以下に松本卓也さんの文章を抜粋しておきます。
アメリカ精神医学会が主導して策定された診断基準が、『精神障害の診断・統計マニュアル Diagnostic & Statistical Manual of Mental Disorder』の第3版、通称、DSM-Ⅲです。・・・特定の症状の個数や持続期間などの計量的な基準によって診断しようとするものなのです(このような診断の手法は操作的診断 operational diagnosisと呼ばれています)。さらにはこの診断を標準化された構造化面接 structured interview によって行うためのマニュアル(『精神科診断面接マニュアル』など)もあります。そのマニュアルに従って質問をしていけば、誰でも「正しい診断」にたどりつけるようになっています。
※「DSMは、2013年に最新の改定がなされ、第5版(通称,、DSM-5)として精神医療の中で広く用いられております。」
※ DSMについては、以下のnoteもご参照願います。
精神病理学:人間理解の3つの立場 爺のお勉強note
2.操作的診断の問題
(2)診断の標準化・アルゴリズム化~DSMの問題点~
2.認知症とは忘却の障害
認知症の現象学的精神病理学の知見はとても刺激的です。
現象学的精神病理学では、患者さんの世界の中に入り込むようにして、その方の言動を捉えようとします。
認知症の方を、外から客観的にではなく、「世界の中に入り込むようにして」理解しようという姿勢が良いと思います。
「認知症には、記銘力障害や見当識の障害といった症状がみられます。このような症状があるがゆえに、彼らは「どこか変だ」と思って困惑しています。「今までふつうにできていたことが、何かうまくいかないが、何がうまくいかないのかがわからない」のですから、困惑するのは当然のことです。しかし、それでも認知症の患者さんは、責任ある大人として「ちゃんとしなければならない」という思いを人一倍強くもっています。そして、その結果としてなされた「回復の試み」が「作話」や「妄想」や「行動異常」と呼ばれているのです。・・・支援者の側はその人の世界の中に入り込むようにして患者さんの言動を捉えなければなりません。」
私は、認知症の主症状は短期記憶障害だと思っていましたが、「忘れることができない」病、「忘却の障害」という捉え方は、とても魅力的、刺激的です。
認知症とは、「何かを忘れてしまう」病であるというよりも、むしろ「忘れることができない」病、つまり過去の記憶が現在において勝手にあらわれてしまう病だと考えることができるようになります。岩田誠(1942-)が指摘しているとおり、認知症は記憶の障害というよりも「忘却の障害」であり、その病理は過去が現在へと断片的に侵入するフラッシュバックにも似た側面を持っているのです。より明確に定式化しておくとすれば、認知症における過去は、(うつ病にみられるように)罪責感を惹起するパーツとしてではなく、見当識障害とは、見当識を失っているのではなくて、過去の見当識が現在に侵入してくるということなのです。』
認知症は、短期記憶の障害により、過去の記憶が現在へと断片的に侵入するフラッシュバックにも似た情態を示すとのこと。
また、見当識障害も過去の見当識が現在に侵入してくることだという指摘は、なんか納得できます。
3.認知症患者のプライド
次の文章を読んで、人間のプライド、自尊心、承認欲求というのは本当に強いものだと思います。このプライドを守る介護が本当に大切、必要だなと思います。
認知症の患者さんは、「自分がひとりの責任ある主体である」ということをどうにかして死守しょうとしているのであり、「人前で恥をかかないようにしたい」、「自分の尊厳をなんとかして守りたい」と思う気持ちが人一倍強くなっている人々です。
本人が「失敗した」と思って羞恥心を抱かないような対応をとること、さらには本人の自尊心を守るような対応をとることが重要です。
認知症の患者さんは、自分なりの見当識に基づいて行った「適切な」言動を頭ごなしに否定されるという体験を何度も繰り返すことになります。・・・そのような体験が繰り返されると、周囲からの疎外感を抱くようになるのは当然のことです。いわゆる「異常行動」や「妄想」や「易怒性」や「攻撃性」は、そのような自己の無力感に裏打ちされてあらわれてくるのです。
4.BPSDの問題
2024年度の介護報酬改定で、認知症対応型共同生活介護と介護保険施設(介護老人福祉施設、介護老人保健施設、介護医療院)に認知症チームケア推進加算が創設されました。これは、入所者等に日頃から適切な介護が提供されることにより、BPSD の出現を予防し、出現時にも早期対応し重症化を防ぐことを評価する加算です。
認知症介護においては、BPSDへの対応が重要な課題となっているのです。
松本卓也さんはこのBPSDは極めて雑な概念だと指摘しています。BPSDをもっと精度の高い概念、つまり、認知症理解の解像度を高めるような概念に磨き上げていく必要があるようです。
近年、認知症の症状を、記憶障害、見当識障害などの中核症状と、それ以外の症状である周辺症状に分け、後者を認知症の行動・心理症状 behavioral and psychological symptoms of dementia(BPSD)と呼ぶ理解が広まっています。しかし、認知症の患者さんにみられる妄想的言辞や興奮、徘徊、易怒性、不機嫌さなどをすべてBPSDという「症状」とみなす理解は、ひとりの責任ある主体として生きようとしている認知症患者さんの「回復の試み」を無視してしまうことにもつながりかねません。
松本卓也さんは、BPSDを「症状」とせずに、認知症の方の「回復の試み」であり、その「回復の試み」を治療しようとすることは本末転倒ではないかという厳しい指摘をしているのです。
5.漢方薬の抑肝散
話が脱線してしまいますが、認知症のBPSD治療薬として抑肝散(ヨクカンサン)という漢方薬を使うということは、恥ずかしながら知りませんでした。短絡的に、認知症には抗精神病薬だと思っていましたので・・・
・・・現在では、抑肝散という漢方薬がBPSDの「治療薬」として処方されています。ここには―きわめて雑な概念であるBPSDの中に同薬剤が効果をもつ症状があることは否定しませんが―「回復の試み」であるものを治療する、という転倒があります。もちろん、抑肝散の投与が広がる以前には、認知症の患者さんのBPSDに対して抗精神病薬が投与されることも多く、それゆえにパーキンソニズムや転倒・骨折などの副作用が数多く生じていたことは事実です。しかし、抑肝散もまた鎮静的な薬であり、投与量によっては患者さんの自発性を大いに阻害してしまいます。
5.体験している世界を理解すること
認知症の方々を理解しなければ、認知症介護はできません。
そして、認知症の彼女ら・彼らを理解するということは、やはり、認知症の方が体験している世界、主観的体験を理解するということに他なりません。
支援者の側が、認知症の患者さんの体験している世界を理解し、適切な対応を取ることができれば、不要な薬は減らせます。転倒や誤嚥のリスクも減らすことができます。転倒や誤嚥のリスクも減らすことができます。患者さんの主観的体験を重視する精神病理学も、そこにコミットすることができるでしょう。
松本卓也さんの「症例でわかる精神病理」を読んで、認知症の理解には精神病理学の知見は非常に大切だと思いました。
また、認知症の方々の経験を理解する方法論としては、ハイデガーの実存論的な分析、「現象学」も望ましいように思います。
現象学とは、一人称観点から私たちの経験を探求する哲学・・・
私たちが一人称観点から経験するという点について、私たちがそれぞれ実存し、自分が誰であるとか、自らはどのような存在なのかといったことを了解するとう側面から明らかにされる・・・実存論的と呼ばれるハイデガーの分析・・・
認知症の理解、認知症の方々の理解には客観的・科学的な方法の他に、精神病理学や現象学などの方法も併用していくことが必要なのではないでしょうか。