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"目的"はすり替え続けている方が楽しいヨ。

わたしはディズニーランドが大好きで、最近はめっきり家族・友人・知人のツアコン役としてパークを楽しませてもらうことが多いのだが、そこでちょっぴり気を付けているのが、同行者にあまり「待ち時間」を意識させないこと、である。

最近一緒に行った友人らからも「こんなに楽なディズニーはじめて」とか「1日スムーズ過ぎて驚いた」とか「今日全然待たなかったよね」なんてなことを言ってもらえたのだが、実際は1時間以上待っている場面というのが全然ある。つまり、同行者がそれに気づいていない、また気付かせないようにしている、だけなのだ。(ドヤァ)

(↑普段ディズニーランドへ遊びに来ない友人に向けて、ひと足先に始発で行って、くだらない即興資料を作ったりなどしていました。)


これはほんっとう~に、わたしのただの自慢、なのだけど。
わたしは「目的のすり替え」が上手いのではないかと自負している。

先のディズニーランドを例に挙げると‥‥
おそらく多くの方は「アトラクションに乗ること」が「目的」で、「待ち時間」は「目的」を達成するための「我慢」として捉えているだろう。

しかし、「待ち時間」が発生するような局面では、「目的」を「アトラクションに乗ること」ではなく、たとえば「友達とお喋りすること」にすり替えるとか、「食べ歩きフードを堪能すること」にすり替えるとかして、目的達成までの我慢、という意識を可能な限り薄めることに全振りしているのだ。するとどうだろう。あらゆる瞬間が「我慢」ではなく、すべて「目的達成」のその成功体験の積み重ねになるわけで、疲れるとか飽きるとかいう暇を忘れさせてくれる。

人気アトラクションの直前にショーの鑑賞を組み込んでおいて、長い待ち列はショーの感想を言い合う時間に当てる…とか、同行者の「これ食べたい!」を事前に聞いておいて、そのフードをゲットしてから待機列に向かう…とか、実はそういうわたしだけの"工夫"をめちゃくちゃに楽しんでいる。

これ、ディズニーランドで得た自分史上最高のスキルだと思っているのだけど、どない??

***

と、しょうもない自分の売り込みこれくらいにして。
実際、仕事や趣味や人間関係のあれこれに際して、「目的」のすり替えができないために、必要以上の苦しみを味わっているケースというのが、わたしは少なくないと思う。
もっといえば、みんな限られた時間の中で、やることに優劣を付けすぎじゃない?という話でもある。

たとえば仕事。
1日のスケジュールを立てて、この課題を終わらせるためにこのタスク、このタスクを完了させるためにこの雑務、といった具合に、揺るがない目的を定め、丁寧に分類分け・ラベル付けをして、仕事に取り組んでいる人も多いと思うが、実際そういうやり方で"楽しそうに"仕事している人の姿を見たことがない。せいぜいその多忙っぷりに自己陶酔するまでだ。
もっと目を向けるべきは、ある目的のための雑務、ではなく、雑務時間における目的も見出すこと。今やっていることで何の目的が達成されているのか、何も達成されていないと思うならば、適当に目的をすり替えて達成している風にすること、これがとても大切ではないかと思う。(なんか違う気もするけど。笑)

何事においても、目的達成までの道のりは楽しくない。
中にはそういうストイックな"耐え"に快感を味わえる人もいると思うが、残念ながらわたしはそうした"努力の天才"ではない。その先の目的がどんなに輝かしいものであったとしても、そのプロセスが、その待ちが、今が、苦痛に感じてしまったら、簡単に戦意喪失だ。
そこで分かりやすく「わたし…こんなに頑張ってるんです」「我慢して耐え忍んでいるんです…」「おしんなんです…(?)」的なアピールをすることで、何とかやり過ごすのも手ではあるが、生まれつきの基本設定が「楽しくありたい」である以上、そんな被害者ぶりをかましても意味がなく。ならばさっさと目的をすり替えて、さっさと辛い時間を幸せな時間に置き換える手立てを考えたほうが早い、というわけなのだ。

(寒そう)


とはいえ、こんな偉そうなことを言えるようになったのも、ここ1年ほどの話である。
特に昨年は、自分でも驚くほどあらゆることに悲観的。
目的をすり替えてもすり替えても、一向に楽しくなる兆しが見えず、見事なまでの自暴自棄に陥っていた。まぁ結局のところそれは、自分じゃない周囲の人や環境に振り回されていた部分も大きくて、根本それすらもすり替えてしまえば万事解決、というだけの話だったのだけれど、何であれ「目的のすり替え」と「目的の達成」が柔軟にできたほうが楽しいよ、という話なのである。

今夜の夕食を考えるのだって、「お腹を満たすこと」が目的のままだと、それに至るまでの「献立決め」「食材購入」「調理」「盛り付け」「食べる」「片付ける」が、すべて「苦痛・イライラ・我慢」になってしまう。

「目的」はその時々で、「昨日はお肉だったから今日は魚にしてみること」とか、「あの可愛い店員さんがいるレジに並べるかチャレンジしてみること」とか、「微妙に余った焼き肉のたれを使い切ってみること」といった具合に、「お腹を満たす」以外へと、どんどんすり替えることが可能なのである。
そうすることが、面倒な毎日をちょっと楽しく生きる秘訣なんじゃないかと、わたしはそんな風に思っている。(まぁ基本的にわたし自炊しない人間なので、個人的にこの例はいまいちピンと来てないんですけどね←)

そしてもちろんこれは、本筋から目を背ける、という話でも全くない。あくまで一時的に目的をすり替えているだけなので、最終ゴールはブレていないというのがミソである。
とは言っても、残念なことに「楽観的」とか、「頑張っていない」とか、「すぐ逃げる」なんて嫌味(?)を言われてしまうこともあるわけだが、それはそれ。PUFFY的にいえば、これがわたしの生きる道、という他ないのだろう。悪いわね、でも、ありがとね、これからもよろしくね~(適当)と、いうだけのこと。

それより何より、意固地にならず、目的をすり替えてみちゃえば、ラクになることもたくさんあるよ、周囲の人に喜んでもらえることもあるよ、というのを、今日は話したかった。
余計なお世話かもしれないけど、なんか、そんなことで悩んでいる風な知人の様子を見かねたので、遠くからのウザったるいアドバイスである。

(いろんなことが無事に終わったら、PUFFYのノリでディズニー遊びにいこうな~~~)

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