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新しい紙幣のお話しから聖徳太子を考える



2024(令和6)年7月3日(水)

紙幣は国の顔

この日、ついに20年ぶりに壱萬圓札、五阡圓札、壱阡圓札がリニューアルしました。それも一因としてか、この年の今年の漢字は「金」が選ばれました。
紙幣や貨幣は国の顔を示すと言われており、国が金(キン)同様に大切にしているものの考え方が窺えます。

一万円札

福澤諭吉・平等院の鳳凰像

澁澤篤太夫榮一・東京駅

五千円札

樋口一葉・燕子花図

津田梅子・藤

一千円札

野口英世・富士山湖畔

北里柴三郎・神奈川沖浪裏

新しい1000円札には北里柴三郎博士が描かれている
北里柴三郎の描かれた千円札

21世紀日本のトレンド

こうしてみると今世紀は近代思想・経世済民、女性活躍と花、医療と自然がテーマのようです。
数日前に新渡戸稲造さんの5000円を見つけて懐かしいなと思っていましたが、もっと大先輩方は紙幣=聖徳太子かもしれません。


聖徳太子と仏教

聖徳太子のお札

紙幣といえば聖徳太子。
戦後になり1000円から初代5000円、初代10000円と一時期は1000円以上はすべて表を聖徳太子がジャックしていたようです。このお札はいずれも聖徳太子摂政像であり、皇族・為政者としてのお姿でした。

聖徳太子とは

聖徳太子は厩戸王(うまやどのおう)と呼ばれた皇族であり、皇位継承の可能性も十分にあった人物でした。叔母にあたる推古天皇の補佐職である摂政職にあり、当時影響力のあった親戚の蘇我一族を「冠位十二階制」等で牽制していた面もあるようです。

仏教伝来と内戦

聖徳太子と仏教は密接に関係しており、日本における教祖のように仰がれています。
もともと仏教はインドで起こり、北伝ルートの大乗はパキスタン、新疆、中国、韓国を経て伝わりました。その後、日本に渡った人々の間で信仰されていたようですが、当時の日本人にとって渡来人は知らないカミを拝んでいると感じていたことでしょう。
そして、538年(一説では552年)に大きな出来事がおこります。百済国の聖明王から日本国の欽明天皇に仏教が公的に紹介されます。このときにこの教えをどう向き合うか、賛否が分かれることとなります。
蘇我一族は仏教と渡来人、交易、発展を一体視して積極的に推進したいとします。一方で物部一族は当時疫病が流行ったのは客神である仏陀を入れたことによるものであり、反対しました。なお、このときに仏陀をほとほりけと蔑称したことからホトケと訓じるようになりました。蘇我と物部との内戦のなか、太子は蘇我に与して勝利します。このあと、仏教は日本発展の1ツールとして扱われ、墳墓造りから仏教寺院創建が権力者のステータスになっていきます。

聖徳太子の実践仏教

太子は仏教を学び、国政や生活にも実践していきました。
有名な憲法十七条では公務員の信条として三帰依(仏陀、法義、僧伽の三宝を篤く敬うこと)を訓示しました。
また、妙法蓮華経、維摩経、勝鬘経についてそれぞれの義疏(解説書)を著作したと言われています。仏教を単なるツールではなく、中身を学び研鑽していたようです。

太子没後

太子没後は日本の政治は一時は蘇我一族が司るものの、乙巳の変以降は皇族と中臣改め藤原一族が仏教と関わりつつ500年ほどは藤原一族の天下となります。
また、太子は観音菩薩の化身であったとして礼拝の対象となり、多くの太子・観音菩薩信仰の寺が建てられます。

浄土真宗寺院にある聖徳太子孝養像

そのようななかで親鸞聖人ともつながりが出てくるわけですが、それはまたの講釈にて。

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