いつくるか分からない希死念慮にビクビクしながら生きるのはもう嫌だ
私はなんでこんなに死ぬことに執着しているんだろう
寝ても醒めても、毎日毎日、口癖になるくらい
「死にたいなあ」って思ってる
たぶん、「見えない未来」に希望を持ってるから
あらかじめ、ある程度、ゴールが分かってしまうものだと良い意味でも悪い意味でも想像で補完してしまう
だから、絶対見ようと思っても見られない
「死後」に希望を持っている
私は死んだら何も考えずに済むんじゃないかと思ってる
けど、もしかしたら世間一般に広まってる宗教的な話みたいに極楽浄土や地獄が存在するかもよ?
来世や生まれ変わりって概念があるかもよ?
何も分からないから、その辺りも想像も自由だよね
絶対に無いとは、絶対誰も言い切れない
もし、その仮定に則って考えるのであれば、
親より先に死ぬ親不孝者は地獄に落ちるし、
賽の河原で一生、詰み上げられない石を積み続けなきゃならなくなる
または、自殺した瞬間と、
『死ぬ瞬間の痛み』という恐らく人生の中で
最大級の激痛を一生、繰り返さなきゃならなくなる
七大地獄のいずかにも落とされる
あれ、確か、虫殺してもアウトだったよね
分からないものを考え続けることは怖いことだから、
昔の人は分かりやすいゴールを設定して心の救いにしようとしたんだろう
自死は悪いことだと刷り込ませるために、自殺で死んだら生きていた方が良かったと思えるようなほど、辛い目に遭うという仮定の話を作ったんだろう
私はどんなに辛かろうと、「死後」も「来世」も私が私で在り続けるなんて絶対に嫌だ
幸い、私は何も視えないし、見えないものは基本的に心からは信じてないから、
「死んだ後は何も無くなること」を信じることにした
一生懸命生きてきて、まだまだ短い人生の中でそれなりに得たものもたくさんあるけど、やっぱり自分のことは最後の最後まで好きになれそうもない
すべてなくなってしまうのは少し悲しい気もするけど、それに関しては私だけに限った話じゃない
病気もせず、大勢の家族・親類・知人に囲まれて大往生することを美徳とする世間の風潮は変わらないみたいだけど、死ぬ瞬間はひとりだよ
死の間際、
死にたくない!
そこにいる誰でもいいから助けてくれ!
なんて思っても、
誰も助けられないし、助けてくれないよ
これまで大往生で死んだ人たちは、
本当に人生に満足して死んだのか?
多くの人に見守られながら死ねて
幸せだなあと思えたのか?
私は、私が死ぬ瞬間なんて誰にも見てほしくない
死ぬときくらいひとりにしてほしい
寿命で死ぬことが、最も良いことだとも思わない
生きることに向いてない人ってのは一定数いる
生きてるだけで苦しくてしょうがない人もいる
死ぬことを選ぶことは肯定されるべきことだ