繊細過ぎてつらい 何もかもに気付きすぎる はるかに損することの方が多い 何でみんなこんな心持ちで あんなに堂々と振る舞えるんだろうって ずっと不思議だった みんなは私と同じじゃなかった 何か分からないけどきつい、 何か分からないけどつらい、 何か分からないけどしんどい、 何か分からないけどだるい、 何か分からないけど涙が止まらない、 何が違うのか今でもずっと分からない 普通にしなきゃ普通にしなきゃって 必死で取り繕ってきたけど、 生まれたときから生きづらさは確定してた
チルアウトのホームページの最初に出てくる文言が気に入って、iphoneの背景にしてる。 iphone見る度にこの言葉が目に入って、 疲れてるかもなあ〜、ぼちぼち休むか って気になる。 最近になって素の自分に戻ることが多くなった。 社会で生きていくためにつくった人格が素の自分に近づいてきた。 人に嫌われないための愛想のいい自分 他人が怖くて目も合わせられない自分 どちらも自分だけど正反対 理想は前者だけど、その自分で居続けると疲れ果ててしまうか、何もかも嫌になって逃げ
自分の顔が嫌い 本気で整形したいと思う 他人から見たらどこにでもいる普通の人の範囲に入るくらいのレベルなんだと思う 会う人みんなが認めるような美形に憧れた お世辞でなく、本気で言ってるんだなって分かるような美人になりたかった 私が恋愛と縁遠いのは容姿の問題じゃないことは分かってる 好かれる人は纏う雰囲気やオーラから違う、でも、 「なんでこんな人が?」 って思った時点でどうしようもなく心が醜く歪んでいる証拠 性格は顔に出るし、そういうのは他人から見てもよく分かる 近寄
「本気で死にたいと思ってんの?」 って聞かれたら、 本当に死にたいと思ってるけど、 本気で死にたいとは思ってないんだと思う 今日みたいな、明日から仕事が始まっちゃう前日なんて、朝っぱらから四六時中、死にたいと思ってるくせに今すぐ死ねるか?って言われると無理だし そこまで覚悟決まってない 何も考えずに死ねるほど、まだ頭おかしくなってない ここ最近、 自我は死にたくて 本能は生きたくて って感じがずっと続いてる 思い残すこともまぁ、ある とりあえず、いま読んでるマンガ完
私はなんでこんなに死ぬことに執着しているんだろう 寝ても醒めても、毎日毎日、口癖になるくらい 「死にたいなあ」って思ってる たぶん、「見えない未来」に希望を持ってるから あらかじめ、ある程度、ゴールが分かってしまうものだと良い意味でも悪い意味でも想像で補完してしまう だから、絶対見ようと思っても見られない 「死後」に希望を持っている 私は死んだら何も考えずに済むんじゃないかと思ってる けど、もしかしたら世間一般に広まってる宗教的な話みたいに極楽浄土や地獄が存在するか
いてもいいけど、いなくてもいい人間っているよな 私は自分のことを生きててもいいけど、別に生きてなくてもいい人間だと思ってるよ 他者と比較するから気持ちが沈む けどほぼ毎日、常に目の前に現れる他者と比べるなって方が難しいよね 「気にしない」のも気力使うよ 気持ちが途切れた時が死にたいと思うときだね
別にいつ死んでもいいんだよ 死ぬことは悪いことじゃない 死ねばいいんだよ 意味ないよ、拘ること 自分以外の大多数の人間は、 自然に死ぬのは許すのに、 自分で選ぶのは許せないらしい 一緒なのに なにがどう違うのか説明できるか たかだか、お前たちの夢見が悪いくらいだろ 自分のために死んで欲しくないんでしょ? 少しでも見知ってる人が死ぬと 悲しくて苦しくて辛いもんね それが近ければ近いほど、 繋がりが強ければ強いほど、致命傷になる 何年経っても、寝ても醒めても、いつの間に
この世に「普通」の人なんていないから、 私が普通だということにした。 普通の人ってなんだろうね 大多数、その他大勢の人がやっていることを平均的にこなす人のこと? それなら社会で生きてる人はみんな「普通の人」か、 ほとんど普通といえるくらいの誤差の範疇におさまってる人がほとんどだよね。 みんな自分のことを普通だと思ってるし、思いたいみたいだけど、 みんなどこか微妙に変だよ。 たまーにだけど、 「あなた、変わってるよね~」 といいながら、文頭に(私は普通だけどね、)と前
そんな痩せてても逆にモテないよ と言う人もいるけど、その言葉を言った人は病的にも見えるほど痩せていることにこだわっている人の本質を理解してない モテるとかモテないとか、クソほどどーでもいいんだよね 自分の承認欲求満たすためだけに痩せてるの 誰のためでもなく、自分のため 私にはこれしか誇れることがないから、努力してすぐに目に見えて成果が出るものだから、 こんなにも痩せることにこだわるの 昔からみんなが最初には褒めてくれるのは、 痩せていることだった。 一般的に、 「細い
今日たまたま気が向いて読んだ『幸色のワンルーム』で、 「ていうか最近お前、本当に死にたいと思ってる?」 っていうセリフがあって、共感した。 でもよくよく考えてみたら、 「死にたいと思ってる?」ってよりは 「生きたいと思い始めてない?」って言葉の方が しっくりくる。 生きたいと前向きに考えてたら、 うまくいかなかった時に辛くて苦しいから、 最初から、死んでもいいや。くらいに思ってた方が ちょうどいいのに。 なんであの時、一時でも、 楽しいと思っちゃったんだろう。
めちゃくちゃ不謹慎だけどさ 小学生の頃、授業中に いま、地震起きればいいのに。 明日、台風くればいいのに。 ってよく思ってた。 理由は、みんなの気が私から逸れるから。 それどころじゃなくなくから。 非日常で別の現実の中を生きられるから。 小さい頃なんて、 そうなったら今より生活自体が不便になるとか、 たくさんの人がそれで亡くなるかもしれないとかまで想像できなかったけど、 とにかく「今」から逃れたくて、そう思ってた。 大人になった今でも、考えること変わらないあたり、成長
一番上にいる人が偉そうなのはわかる だけど、上に立ったから偉そうにしていいと思ってる奴はアホだと思う 20年、30年も生きてるくせに、 未だに弱い者いじめして、 下らない優越感に浸ってる小学生みたいで、 小っ恥ずかしくて見てられない 前に勤めてた職場で一個下の仕事のできる後輩が、 「ほんと、みんな馬鹿ばっかなんですよ~」 って言ってたの聞いて、当時は、随分とはっきりひどいこと言うなあ...と感心してたけど、 今は確かにそう思うよ 子どもの頃、20歳を過ぎたら「大人」にな
なんか電車に飛び込んでしまう人の気持ちが分かる気がする 果てしなく迷惑かつ、自分がその場に出くわしたら、ふざけんなよ。迷惑かけないように死ねよ。とまで思うのに。 私はたぶん、絶対やらない。 まだ今のところは、そこまで考えられる余力があるみたい。 今日の仕事は大した成果も出なくて、朝から気が重くなるニュース聞いて、頭疲れて、ぼーーっとしてた。 スマホの画面も見たくないくらい目も痛くて、気持ち悪くて、マスクで息苦しいのに電車内だから外すこともできない。 あくびが止まらないけど
私にはいつもなりたい人がいた。 それは特定の誰かであることもあったし、漠然とした概念であることもあった。 いつもみんなの真ん中か近いところにいて、何も言わなくても何故か好かれて、何をするにも必ず声がかかる「あなた」にどうしてもなりたかった。 最初は、遠巻きにひたすらずっと見ているだけだった。 大人になっていきなり一人で放り出されたから、とりあえず当たって砕けて学習することにした。 傷付いて、蔑まれて、馬鹿にされて、コソコソ噂されて、呆れられて、うんざりされて、無視されて
たまに、頭が疲れきってもう死にたいなといつもの口癖を頭の中で呪文のように反芻しながら、「死」について検索する。 最初にいのちの電話が出てきて、その後に死についての論文やら、体験を交えたブログやら、生きるためのメソッドやら、死にたい気持ちはどうすればいいですか?と赤の他人に助けを求める質問箱やらがずらずらと出てくる。 個人のブログと思わしきサイトで 『死ぬ前に読んでほしい』 と書いてあったので、別に今日はそこまで死にたいって程でもなかったんだけど、読んでみた。 なるほど、『