死の床に置きたい6冊を選んでみた
「死の床に置く」
以前読んだ記事に、「死の床に置きたい7冊」というものがあった。
この方は小川洋子のエッセイの中にあった文章を読んで、ご自分の7冊を選んだようである。
僕はそのエッセイを読んだことがないので、もともとどのような意図で「死の床に置きたい」という設定がなされたのかよくわかっていないのであるが、「死の床に置きたい」という以上は何かその人の人生のなかの記念碑的な本であるはずだ。
自分の人生にどんな本が響いたのかを振り返りながら、自分なりに自分の死の床に置きたい本を選んでみたいと思う。ただ、7冊はきついので、1冊減らして6冊とする。もし僕が死んでしまったら、この記事を読んだ誰かが僕のお棺に以下の6冊(1シリーズ1冊とする場合もある)を入れてくれたら嬉しい。
ちなみに、記念碑的な本を選ぶと言いながら、内容の記憶があいまいなものもある。僕は解釈とか感想とかを反芻しているうちに話の前後関係があいまいになることがあるので、そこはどうかご愛嬌ということで、ひとつ。
橋本紡、山本ケイジ『半分の月がのぼる空』(電撃文庫)
以前の記事でも紹介した作品だ。
肝炎になって入院することになった高校生の少年が、重い心臓病を患う女の子と出会って変わっていく物語。
故郷へのコンプレックスや、死んだ父親にたいするわだかまり、未熟な自分をどうすることもできない葛藤を持つ主人公裕一が、わがままで、傍若無人で、気難しくて、孤独で、嫌が上にも自分の命の短さと向き合わなければならないヒロイン・里香との関わりのなかで成長していく。
裕一が里香を得るために自分の未熟さを受けいれながら、それでも自分の望む未来を手に入れようと行動する姿は、高校生の僕の人生観をひっくり返した。いや、このとき初めて、僕の中に「人生観」というものが生まれたといってもいい。
変に出来る人ぶったり、見栄をはったりすることよりも、カッコ悪くてもみっともなくても、自分の手で何かをつかもうとすることの方に重大な意味があるのだということを、この小説に初めて教わったのだ。
現在は加筆修正されたものが文春文庫から4分冊で出ているが、高校生のころの僕には電撃文庫版くらいの雑味が必要だったので、あえて電撃文庫版とした。
武者小路実篤『友情』
武者小路実篤に出会ったのは、大学生のときだ。宮崎県出身の僕にとっては郷土に関わりのある文豪であったにも関わらず、20歳になるまで作品を手にとってみようとも思わなかった。
きっかけは、大学のレポートだ。近代文学研究の講義の期末レポートが「講義で紹介した研究手法を用いながら19〇〇年までの文学作品を選んで論じよ」というお題で、僕は締切3日前までぐずぐずしていて作品すら選んでいなかった。そこで、講義で紹介されていた文学作品のなかから、極力安価で薄いものを選んだのだった。
それが、『友情』である。
二十三歳にしてまだ女を知らない野島は、女を見るとすぐに結婚を連想してしまう。美しい杉子に出会って以来、片想いの熱にうかされる妄想の日々。親友の大宮に抱え切れない熱い想いを打ち明けるが、事態は思わぬ方向に進み始め……。全身全霊で恋焦がれても、親友が応援してくれても相手の気持ちだけはいかんともしがたいのが恋という難物。四百万人が感動した不朽の大失恋小説。(新潮文庫版あらすじ)
大失恋小説である。
もっと古い版になるとあらすじで盛大なネタバレをかましているし、古い小説なのでネタバレを書いてもよかろうと思って書くのであるが、主人公野島が懸想した美しいヒロイン杉子は、実は野島の親友大宮のことが好きなのだ。
くわしくは小説を読んでほしいのだが、フラれかたが酷い。常人なら泣きわめいて引きこもり、二度と恋愛になんて手を出すものかと思うだろう。
実際、主人公野島もフラれたあとに泣きわめく。しかし、武者小路実篤の小説はフラれてからが凄い。
野島はこっぴどく失恋をしたあと、心の大きな傷をそのままプラスの力に変えて立ち上がろうとする。失恋の淋しさから新たなものを生み出そうとする。
この、前を向こうとするエネルギーの大きさや、人間そのものを信じようとする武者小路の思想が、大学生の僕の心を激しく揺さぶった。
僕は夢中になって先行研究を探し、自分の感動をどうにか学術的な研究の端緒にできないかと頭をひねりまくり、一晩で8000字くらいのレポートを書き上げて提出した。幸せな夜だった。
レポート自体はかなりお粗末なものであったと思う。けれども、これがきっかけになって、マイナス思考の僕はマイナス思考の自分それ自体をちょっとだけ肯定できるようになったし、卒業論文では武者小路実篤作品を取り上げることにもなった。
『友情』は間違いなく、僕の人生を変えてくれた小説だ。
荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために』
武者小路実篤つながりで他の白樺派作家をツイッターでサーチしてたときに荒木さんのアカウントを見つけて、その荒木さんが本を出すよって宣伝していたのを見て購入した。
この本では、在野研究者、つまり、研究機関に属することなく研究をした人たちが紹介されている。中には研究のために好き勝手やる凄い人物もいるのだが、その在野研究者たちから今現在の僕たちが学ぶことができる、在野研究者としての心得がこの本には書かれている。その心得ひとつひとつが、読後時間がたつにつれてありがたみを増してくるのだ。
大学から離れて5年がたち、日々の仕事に忙殺されてもう自分は研究なんてできねーんじゃねーかなと投げやりな気持ちになるとき、この本のことが頭に浮かんでくる。
好きなことを追い求めようぜ!やりたいように研究しようぜ!現実とネゴシエーションすれば、夢は程度的に実現できるんだぜ!
研究それ自体を投げすてる人生を選択してしまいそうなとき、とても前向きな気持ちにさせてくれる本だ。しばらく読んでいないが、近いうちにまた力を借りるときがくるだろう。
浦沢直樹・勝鹿北星・長崎尚志『MASTERキートン』
『これからのエリック・ホッファーのために』と同時期くらいに読んだ。そういやキートンも在野研究者よなあ。
いわずもがなの漫画作品だが、簡単に紹介だけしておくと、主人公平賀=キートン・太一は保険調査員(探偵)をやっている考古学者(大学講師)で元軍人であるという異色の経歴の持ち主だ。本人は考古学に情熱を傾けたいが、学閥もあるし、学生は不真面目だし、保険調査員の仕事の方が上手くいくし、凄腕だから軍の方からも一目おかれるしで、なかなか思うようにいかない。保険調査員の仕事で行く先々で事件に巻き込まれ、ピンチを切り抜けながら、それでも考古学への情熱を忘れない人間味あふれる人物だ。
僕はココイチでこれを読んで、この漫画に出会えて心底良かったと思った。キートンは最後の最後まで考古学への情熱を心に宿し、とうとう念願を成就させるまでになるのだ。サスペンスあり、アクションありで派手な環境にあって、自分の本意ではない仕事に忙殺されそうになりながら、胸に秘めた知的好奇心に嘘をつかない姿勢には、とても勇気づけられる。
自分の探究したいことを追究できない日々に心が折られそうになるとき、『これからのエリック・ホッファーのために』とともに思い出す漫画作品だ。
萩原慎一郎『滑走路』
この歌集については、以前noteに書いた。
僕にとってこの歌集が大きな意味を持つのは、労働の短歌が多いからだ。光が見えない生活のなか、牛丼を食べながら必死にやり過ごしていくなかで、どうにか光を見ようとする。そこに今の自分の境遇が重なる。
短歌ってこんなに心にクるんだなと気づかされたし、もう萩原慎一郎の詠んだ短歌が読めないというのが、とても悲しい。
かねこもとき『あ~んちゃんのあ~ん』
全人類に読んでほしいスーパーやさしい世界コミック。
ツイ4で主に平日に更新されている、僕のオアシス的漫画作品だ。
女子高生のあ~んちゃん(餅村あん)と、メシちゃん(米俵メシ)、パンちゃん(小麦畑パン)の3人を中心に展開されるやさしい世界。みんなやさしい。みんなあ~んちゃんが大好きだ。
ここまでだと普通の女子高生の日常ものかと思われるかもしれないが、この作品の世界観は油断ならない。
ネタ的ではあるが人物名が一応日本名なので、日本らしいところが舞台なのかと思いきや、読み進めていくと以下のとおりかなり特殊な世界であることがわかる。なんかおかしいなと思われるものや個人的にツボな部分を最初から順に挙げていく。
・「死体ちゃん」というマスコットキャラクターが人気
・いたるところに表情のあるオブジェクトが登場し始める
・よく見ると弁当の空き容器が喋っている
・ハイエース級のワゴンに撥ねられたメシちゃんが無傷で着地する
・よく見るとコマの隅に謎の生物が出て来ている
・テーブルやゴミ箱に何時の間にか顔がついている
・「チキンもお肉たっぷりでおいし~♪」「そのチキンよりもあ~んちゃんの方がお肉たっぷりだよ」
・家具や食器がもはや生物化している
・善行をつむと体重が減るシステム
・おやつの味噌が浮いてついてくる
・だんごが浮いてあ~んちゃんに食べられる順番を待っている
回が新しくなるほどに1コマに入っているエッセンスの情報量が多くなる。よく見てみると「なんだこの生き物は」とか「なんで食器がしゃべってるんだ」とか、不思議な世界観に笑わされることが多い。あ~んちゃんの世界は日本を模した完全なファンタジー世界なのだ。
このファンシーさが僕にはたまらなくツボなのだ。現実に疲弊したメンタルにとてもよく効く。
雰囲気は読んでから直に味わってほしい。ツイ4のリンクで今までの話を読めるのでガンガンリツイートして世界にあ~んちゃんを広めてほしいし、単行本も買ってほしい。俺はあ~んちゃんの2巻とか3巻とかまで読みたいんだよ!
おわりに
たとえば明日僕が死ぬとして、お棺に入れて一緒に焼いてもらいたいのが上の6冊だ。ただ、僕の記憶力がわるいため、見逃している重大な1冊がどこかにあるかもしれない。だが、上の6冊であまり悔いはないと思う。買ってよかった、出会えてよかったと思えるものばかりだ。
これから、僕はどれくらい生きるのだろう。頻繁に死にたくなるし、なんならたぶん早死にしてしまうタイプだから、あとどれだけ本を読めるかわからない。
願わくは、さらに彩のある人生を送って、死の床を飾る本をもう少し増やしたいものだ。