赤影/酒田ノム

全人格労働に疲れた。読書をしたりアニメを観たり映画を観たり、時々サックスを吹いたり。疲れて趣味にも気が向かなくなってきたので、発信することで何かが変わればいいなと思っています。

赤影/酒田ノム

全人格労働に疲れた。読書をしたりアニメを観たり映画を観たり、時々サックスを吹いたり。疲れて趣味にも気が向かなくなってきたので、発信することで何かが変わればいいなと思っています。

最近の記事

2月短歌

縦笛の優しい音色のアレンジでAdoの強めの曲流れてくる バイトくんって彼女はいるの? えー、ウソ!と盛り上がりを見せていくおばちゃん 海苔で巻き食う行為には特別な幸せ感じる効用がある あの人は鬼だといわれる人が飲む鬼ころし二本 そんなつもりじゃ 「鬼!悪魔!人間!」とうとう人間も鬼らを意味する悪口となる 日本中の追い出されてきた鬼たちを優しく迎える居酒屋がある 俺の死にたいを勝手に晴天の青に中和しようとすんなよ 手書きだと思いが伝わるらしいから遺書を葉書に赤ペン

    • 1月短歌

      憂鬱にいつものとおり目が覚めて世間の賑わい横目に眠る 新年の御多幸お祈りいたします 三十一文字で生を詠おう 正月の料理に飽きた昼時のラーメン店の賑わいときたら 年始めまで働いている人よ感謝してます休みも取ってね 個人とは社会にとって気づかずに踏み潰してきた蟻なのだろう 従兄弟の子さあお年玉あげようねえ あらら五しゃいになったんでしゅか 早く人間になりたい俺は今日も妖怪過重労働男だ 「先生に挨拶に行く」と卒業生 製造責任者は喜ぶぞ おかしいな今日が仕事始めなのに

      • 12月短歌

        スマホが壊れたときのために今までの短歌をここに置いておきます。 もう僕に優しくしないで冬空で冷たくなったガラスが割れる 冬枯れを好きだときみが言ってから僕の世界は紅く色づく そうですか僕の意識の問題で過労死ラインを超えたんですね 冬枯れの野辺に体を横たえて来るはずのない春を夢見る 薪割りのように包丁振り上げる我が子のお料理手伝い入門 滅多には人は死なないからあなた俺が死ぬまでそんなんなんでしょ 独力で抜け出せなくなるでしょうから今日も私はあなたに優しい 晴れて

        • 11月短歌

          スマホがブッ壊れそうなので、メモアプリ内にある短歌をこちらに避難させておきます。 死んだほうがいいやつなんていないよと自分に言ってあげられずにいる 私以外誰も私になりえない 上位互換が山ほどいるけど 「適切」で包装された日常が私の部屋を侵略しに来た 月のうつくしさも素直に言えなくて困り果ててる夏目漱石 漆黒の闇より出でし黒き子が 口いっぱいにハンバーグ食う 金木犀子どもの頃に飲んだあの薬のような忌避感がある 実験と称され飲んだ虹色の惚れ薬の意味ないほどに好き

          10月短歌

          短歌を詠み始めていました。 昨年10月からです。 スマホに保存していたものをアップします。 刺せ刺せ刺す刺する刺すれ刺せよとまた命令してくる使役の助動詞 この世の終わりに住んでいるお家賃を今月もまたお支払する 「昔はもっと正直者が多かった」ぼやいて二枚舌抜く閻魔 史上初空前絶後待望の息子が俺で申し訳ない 春も秋も短くなったね苦しい季節が長くて人生みたい 憎さだけじゃなく愛しさ優しさもすべてが不快な瞬間がある 明けない夜はないなんて絶望をきらきらした目で語る先生

          2年ぶり

          死にたくなるような日々を過ごして、本も読めず、映画も見られずの生活を送りながら、ふと気がつくと最終更新から2年が経っていた。 更新しなかった間、自分がディズニーの悪役についての記事を書いていたことは頭の片隅から消えていたし、何か創作物(特に映画や書籍)を楽しんでいたということもなかった。 いやアニメとかは見ていてそれなりに楽しんだりはしていたか。 ただ、本が読めなくなったというのは本当で、文字情報が頻繁に記号の羅列にしか見えなくなっている。 そんな感じの状態を保ちなが

          本が読みたくても読めなくなってしまった。紙の上に広がった文字が模様でしかない。むなしい。

          本が読みたくても読めなくなってしまった。紙の上に広がった文字が模様でしかない。むなしい。

          あの日イオナズンを唱えていた僕は

          大人が使いたい呪文ランキング こんな記事を見つけた。  ドラクエを遊んだことのある大人にアンケートをとり、自分が使いたい魔法でランキングを作成したらしい。ランキングの内容は、4位:ザキ、3位:レムオル、2位:ホイミ、1位:ルーラであったようだ。  確かに、ルーラはほしいなと思う。一度行った場所限定であるが、魔力さえあれば即座に行きたい場所に飛んでいけるのだ。メンタルがやばくてどうしようもなくなった夜に一人で海を見たくなったときや、唐突に久留米ラーメンが食べたくなったときなど

          あの日イオナズンを唱えていた僕は

          感受性に潰されるのが怖くて観れない、という感覚

           日々の生活にいっぱいいっぱいになっていると、そんな感覚によって観ることが怖くなったり億劫になったりしてしまう作品がある。  感動を誘ったり、展開にハラハラさせたりする作品群は、CMを見た時点では「面白そうだな」と思うのだが、いざ観るか観ないかという段になると、「観る」に振り切るためのハードルがグンと上がるのだ。 俺たちは疲れたくない 心のダイナミズムを自分の中に飼い続けるためには、莫大な体力と精神力を要求される。どういうことかというと、たとえばリアルの世界で何らかの理由で

          感受性に潰されるのが怖くて観れない、という感覚

          悪役列伝:ハデス――ゼウスをぶっ飛ばしたいワケ――

          友だちにしたい悪役を探して 僕はこれまで、『アラジン』のジャファーを皮切りに、昔観たディズニー映画をはじめとする映画をもう一度観ては、一緒に酒を酌み交わしたい悪役を探してきた。(と、言いつつ、実は最近筋トレにハマって映画を観る時間を取らずにいて、悪役列伝にあたるものは2つくらいしか記事を書いていないのだが)  これまでで友だちにしたい、酒を酌み交わしたいと思った悪役は『アラジン』のジャファー一人。『美女と野獣』のガストンは時代の価値観を代表する男であったが、あまりにも不愉快

          悪役列伝:ハデス――ゼウスをぶっ飛ばしたいワケ――

          筋トレ歴1ヶ月半

           ジムに登録して、ちょうど1年が経とうとしている。僕は体重がMAXで130キロくらいあった時期があり、さすがにそれはだめやろと思って去年スポーツジムに入ったのだ。  最初は有酸素運動をメインにやっていたのだが、どうも効果が出ないので筋トレをメインにし始めたところ、1ヶ月で3~4キロほど落ちた。たんぱく質多め炭水化物少なめの食生活にも、筋肉のためと思ってやってみたら驚くほど抵抗なく移行することができ、肉体的な充実感を味わっているところである。  しめしめ。この調子で無理しな

          筋トレ歴1ヶ月半

          死の床に置きたい6冊を選んでみた

          「死の床に置く」 以前読んだ記事に、「死の床に置きたい7冊」というものがあった。  この方は小川洋子のエッセイの中にあった文章を読んで、ご自分の7冊を選んだようである。  僕はそのエッセイを読んだことがないので、もともとどのような意図で「死の床に置きたい」という設定がなされたのかよくわかっていないのであるが、「死の床に置きたい」という以上は何かその人の人生のなかの記念碑的な本であるはずだ。  自分の人生にどんな本が響いたのかを振り返りながら、自分なりに自分の死の床に置きた

          死の床に置きたい6冊を選んでみた

          『天気の子』と感傷

          この記事には『天気の子』のネタバレが含まれます。  率直に、書きたいことだけ書きなぐっていこうと思う。  キャラクターは良かった。設定も音楽も、ストーリーの構成も良かった。エンディングもハッピーエンドで、好みのものだった。  でも、何かがじわじわと僕の心の中に刺し込まれてくる。帆高と陽菜の関係も、須賀の行動も、泣いて帆高に檄を飛ばした凪も、何もかも僕の中で反芻されて、「なんだろう?」って感じになってしまう。心の表面が『天気の子』という太陽に日焼けして、じりじり痛い。何か

          『天気の子』と感傷

          やりたいことがあるのに体が動かない休日をどうするか

          今日の僕 褒めてほしい。  僕は今日、朝にちょっと読書をした後、「何ごとかをなしたいのに全くエネルギーが湧いてこない状態」から、「昼飯を食べに外へ行き、昼寝をし、ゲームをし、低糖質高タンパクの夕飯を食べ、ジムへ行って筋トレを有酸素運動を行い、シャワーを浴び、家に帰ってくる」という充実した休日を過ごしたのである。 心のエネルギーが枯渇してダラダラ過ごしてしまう こういうことが僕にはよくある。  いや、別にダラダラ過ごしてもいいのだ。休日なのだから。けれども僕の心のなかには「

          やりたいことがあるのに体が動かない休日をどうするか

          そろそろ以前noteで読んだ「死の床に置きたい本」のテーマで書こうかな。

          そろそろ以前noteで読んだ「死の床に置きたい本」のテーマで書こうかな。

          あの夏の選択

           僕の人生において、2006年の7月と2007年の7月はターニングポインントである。  2006年7月、僕は不登校になった。 2006年7月 不登校になる「ちょっと考えたいことがある」と母に言って1日休んだ。翌日は学校に行ったもののその次の日には体調不良だと嘘をついて1日休み、結局その週は休んでしまった。  土曜日くらいに母から「考えたいことってなんね?」と聞かれたが、実のところそれの正体が自分でもわかっていなかったため、「自分でもよくわからん」としか答えられなかった。  

          あの夏の選択