物事に没入しすぎると、何かを失う危険性がある
こんにちは!映像クリエイターの渦原です!^^
週も半ばに差し掛かっておりますが、皆さんお元気でしょうか。
私は先月がもう忙しすぎて、忙殺の日々を過ごしておりました。
正直9月は今年一番働いたかもしれません、、
どんな業界にも決算の月や繁忙期などあるかと思いますが、忙しい時って本当に忙しいですよね、、分かります。はい。
仕事に没入できる事は良いことでもありますが、その分心身ともに疲労するので、繁忙期後はリフレッシュ期間を入れるのが大切だと思います。
(私は今週がリフレッシュ期間です。。)
短期間である一定の時期だけ忙しい場合、仕事とリフレッシュを交互に織り交ぜることで心身の成長を期待することにもつながりますしね!
ただ、そうでない方もたくさんいらっしゃると思います。
仕事中心な生活を送っている方です。
もちろん、それが悪いとかではなく、自分のやりがいが伴っている点や経済的な点を考慮すればたくさんのメリットがあります。
ただそこに没入してしまうと、知らぬ間に自分の視野が狭くなってしまうことがあります。
特に、特殊なことをしている人や立場が高い人などにそういった症状は強く現れやすいです。
社会貢献度が低い仕事をしている人を軽蔑したり、収入を比較して蔑んだり馬鹿にしたり、、
口に出さなくとも、どこか胸の内にそうした考えが生まれやすい状態になります。
今回はなぜそうした状態になるのか、没入する危険性について私見を述べようと思います。
環境が固定化される
社会人になった瞬間、私達は働くということが当たり前な行動となります。
週に5日8時間程度の勤務を当たり前のようにする。
学校で過ごした時間が、そのまま職場に変わるといったようなものです。
ここで一つ、皆さんに思い出して欲しいのですが学生時代に学校が好きな人と嫌いな人がそれぞれいませんでしたか?
学校が好きな人は、学校という環境が自分のパーソナルな部分と深く結びついているために、自然と好きな人が多いです。
一方、嫌いな人は学校という環境が自分のパーソナルな部分と相違ポイントがたくさんあるがために、避けてしまうという傾向があります。
これは社会人になってもある意味一緒です。
金銭の受け取りというポイントを除き、学校というのがそのまま会社という場所に変わるんですね。
会社という一つの組織に馴染む人は、金銭的なポイントよりもやはり環境で仕事を続ける人が多いです。
一方、会社という組織そのものに馴染めない人は、自分が求める環境を模索します。
そういった人は大抵がアルバイトに落ち着いたり、会社外で活動する仕事を望んだりします。最近では私のように、フリーランスになる人もいます。
このように、ある一つの環境に一定期間、又はずっといられるかどうかが自分の人生に大きく影響することもあります。
例えば、学校が好き・会社が好きという人は、他所の環境に対して理解が薄い傾向にあります。
正社員の人が、派遣の人を小馬鹿にしたり、アルバイトで働く人を社会で落ちぶれた人間だと思うことがそれにあたりますよね。
それは自分達が普段過ごしている環境が、社会的に見てもパーソナルな観点から見ても安定してい素晴らしい場所だと思っているからです。
そうした素晴らしい環境にいる自分が今、他の環境への理解を示す必要が全くないと感じても仕方ないのかもしれません。
現実には、どんな仕事でもその人が良いと思った場所が正しい場所なのですから。
特定の環境にいると起こる、「馴染むことから、没入への変化」
会社というのは一つの組織であり、縦の社会です。
自分よりも偉い人がいて、自分よりも下の立場の人がいます。
こうした環境は必然と競争心を生みやすい構図になっています。
自分が同期と比べてどの位置にいるか、どうすれば実績を作れるか
そういった思考になりがちです。
自分は、誰よりも上にいき、社内で認められる存在になる。
こうした思いは、サラリーマンとして働いている限り誰しもが少なからず思うポイントなのでしょう。
しかし、これが没入感の始まりでもあります。
実際私の周りでも、そういった状態になっている大学の同級生は一定数すでにいます。
私がフリーランスになった時も、仕事は単発で請け負っていくから収入の目処があるわけではない。というポイントに対して、派遣みたいだね、といった発言があったり。。
やはり正社員という立場でしか、働き方を見ることができないとそうなるのか、と深く思いました。
彼らはすでに、会社に没入した存在となっているために、世の中全体の働き方よりも、自分達の働き方を肯定する方に頭を使うことしかできません。
ハリーポッターで言えば、スリザリン状態なんでしょう。
(見たことない人はすみません、)
他者への理解が浅いことで、他社からどう思われているかという感覚も次第に薄れていきます。
仕事が大事か、家族が大事か。
そして最大に危険な状態が、結婚後の時でしょう。
すでにある程度の立場として会社でも評価されており、家族いる状態。
よくドラマでもあると思いますが、自分の子供が誕生日なのに仕事で帰れない、、
こういったことが頻繁に起こり始めます。
本質的に何が正しいか、こうした解釈が全て会社依存になることで自分のプライベートな時間でさえも公の時間を優先させるがために、潰してしまうのです。
奥さん、両親、家族、趣味、好奇心、、、、
自分で本来接しなければいけないことを、放棄することになってるんですね。。
昭和の時代であれば、まだそれを理解する家族の形があったかもしれませんが、令和となった今、未だに過去の形にこだわることは人生を不幸せにすることにも繋がるのではないでしょうか。
まとめ
今回はこうした特定の環境に没入する怖さを紹介していきましたが、いかがでしょうか?
少し極論している部分ももちろんあります。
ただ現実的に見ても、否定できることが少ないと思わないでしょうか?
自分一人では確かにできることは少ないのですが、だからこそ自分なりに正しいと思った行動と広い視点が必要となります。
仕事だけが、人生ではない。
秋晴れの中、この点について深く考えて見るのもいいかもしれませんね。
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