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イエスの足取りから、また色々見えてくる。 イエスが浮船に乗っている壁画が残されている。

イエスは

日本に2回来ていた。

聖人として布教を始める前に

日本で学び、

十字架の難も逃れ、

実は日本で死んでいた。

日本を目指して旅に出る。

途中、釈迦の師であるといわれている

カララ仙人の子孫に

日本への道を尋ねたりしながら、

ついに

日本の能登、宝達港に上陸するのである。

イエス18歳、

垂仁天皇即位10年のことであった。 

イエスの最初の日本滞在は、

足かけ5年にわたる。

その間イエスは

皇祖皇太神宮の神主、

武雄心親王の弟子となり

さまざまな修行を積むことになる。


そして、

天皇からユダヤ王の紋章を賜り、

ユダヤの人々に

道を説くために帰国するのである。

帰国後、イエスは迫害に遭い、

危うく十字架にかけられるところ

弟イスキリが自ら身代わりとなって、

イエス自身は難を逃れる。

その後世界中をまわり、

再び来日、

118歳の天寿をまっとうするまで

日本を基点として過ごすのである。

1回目の来日の後に、

帰国をする時に

垂仁天皇は

異例の詔を下している。

「向こうで死んではならぬ。」

ユダヤに限らず

当時こ万国の情勢は

もはや

天皇の権威を認めるようなものではなく、

各国ごとに勝手に自治が行われていた。

十字架の難を逃れたイエスは

再び日本に来日する。

竹内文書には

イエスが十字架上の

イスキリの死をみとった後に、

再び日本にやってくるまでのルートを記した

地図が残っている。

それによると、

イエスは4年の歳月をかけて

世界中を

くまなくといっていいほどまわり、

旅の最後に日本に来ている。

弟を身代わりにするほどの大切な役目を、

必死で果たそうとしたのである。

そのときの旅で、

イエスは14人の弟子を得ている。 

イエスは世界中に
五色人のあるべき道を説いて回り(破線部)、
そな最後に日本に再び来朝する。

イエスが

浮船で移動していた姿が

ユーゴスラビアにある

デチャニ修道院の壁画には

はっきりと描かれている。 

イエスはユダヤの王だったので
浮船に乗って移動していたのでしょう。 

パレンケ遺跡
7世紀のマヤ王国を治めたパカル王の石棺からも
浮船らしきレリーフが見つかっている。

世界天皇である

日本の天皇は

世界の巡幸に浮船で移動していた事が

古文書に残されているが、

遺跡や壁画に残っている様に

世界の王も

浮船で移動をしていたのでしょう。

私達の知らされなかった

古代は

神秘とロマンで満ちていた。

やっとこさ、、

ここまで配信できました。

いつも遊びに来て頂き

ありがとうございます。

アーティスト彫刻作品
兪(ゆ)(太陽の船)

NHKの1時間のドキュメンタリー番組で
放映された作品です。


古代は神秘とロマンで溢れていた。


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