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幸福の王子
その日、ウサギは冬枯れの川沿いをひとり、静かに歩いていた。ふと空を見上げると、一羽の鳥が灰色にけぶる空の奥へ吸い込まれるように飛んでいった。
「この季節に空を舞う鳥を見かけると、どうしてもあの本を思い出してしまうの…」彼女はそう呟くと、首元のマフラーをきゅっと巻き直した。
部屋に戻り、モフモフの部屋着に着替えると、熱々の紅茶をいれた。ふわりと立ち上る湯気の向こうに、小さな本棚がぼんやりと浮かび上がる。そっと近づき、迷いのない手つきで一冊の本を引き抜いた。
人々が行き交う街の広場。その中心には、黄金色に輝く王子さまの像がそびえ立っている。瞳は青いサファイアで彩られ、剣の柄には大粒の赤いルビーが埋め込まれていた。
ある晩、南を目指して旅を続けていたツバメが、一夜の宿を求めて王子さまの像のもとにやってきた。
ツバメが羽を休めようとすると、ひやりとした水滴が体に触れる。思わず見上げると、王子さまが一筋の涙を流していた。
「どうしたのですか、王子さま…?」
ツバメは不思議そうに問いかけた。そして、このささやかな出会いをきっかけに、二人の物語がゆっくりと動き出すのだった。
「王子さまは、貧しい人々の苦しみを知らなかったの。それを知った時、深い悲しみに包まれてしまったんだわ」ウサギはその思いに寄り添うように、そっとページをめくった。
王子さまの優しさに胸を打たれたツバメは、動けない王子さまの代わりに、宝石を届けに飛び立った。次の夜も、その次の夜も…。
「南の国に帰れなかったツバメは、王子さまの足元で息絶えてしまうの。その姿を見て、王子さまの胸も張り裂けてしまうのよ…」ウサギは涙を拭いながら窓辺に歩み寄り、冷たい空気に触れるように窓を開けた。
「もし私がそばにいたなら、二人を守ってあげたかったわ…」
ふと目をあげると、一羽の鳥が目に飛び込んでくる。その鳥は、どこへ向かうべきか迷うように、冷たい風を切りながら空を舞い続けていた。
まるで、これから南の国に向かうのか、それとも王子さまの元に戻るのか、迷っているかのように...。
<幸福の王子>
オスカー・ワイルド 原作/原マスミ 絵・抄訳/ブロンズ新社