モモ
その夜、ウサギは慌ただしく家に帰ると、まっすぐ小さな本棚へと向かい、迷うことなく一冊の本を引き抜いた。
「もう、物語の続きを知りたくてたまらないの…」まるで一瞬たりとも無駄にしたくないかのように、その場に腰をおろし、栞が挟まれたページをそっと開いた。
物語の中ではちょうど今、小さなモモが灰色の男たちに追われ、カメのカシオペイアと逃避行の真っ最中。「逃げて…!」とウサギは小さく叫び、気づけばすっかり物語の世界に飲み込まれていた。
街の人々から時間を奪っているのは、灰色の葉巻をくわえ、灰色のカバンを持ち、灰色の帽子をかぶった灰色の男たち。
その冷たい魔の手が、たったひとり時間を奪われていないモモにもじわじわと迫っていた。ウサギは息をのむように、そっとページをめくった。
小さなモモに救いの手を差し伸べたのは、人間に時間を与えるマイスター・ホラだった。彼は、時には老人の姿で、また時には若者として現れる、神秘的な存在だった。
ホラは静かに言った。「灰色の男たちはね、人間の心の隙間から生まれたんだよ。人間から時間を奪っているのは、実は他でもない、人間自身なんだよ」と。
ウサギはページをめくる手を止めて、しばらくぼんやりと考え込んだ。
「物語の中で時間に追われている人たちを見ていると、ふっと自分のことを思い出すの。灰色の男たちなんて、案外すぐ隣にいたりするのかもしれない」
「この物語って、まるで現実への警告みたいね」と、ウサギはふと小さな声で呟いた。「私が自分らしくいられる時間なんて、一日のうち、どれくらいあるんだろう…」
「でもね、モモだけは、自分を見失わなかったのよ」とウサギは呟きながら、そっと視線をページに戻した。
マイスター・ホラから託された「時の花」を手に、モモは灰色の男たちに最後の決戦を挑む。ウサギは知らず知らず手に汗を握りしめ、夢中でページをめくり続けた。
「私も、自分に与えられた時間を、もっと大切にしなくちゃ。モモ、ありがとう。」彼女は小さく息をついて、ふわりと微笑んだ。
<モモ>
ミヒャエル・エンデ・作/大島かおり・訳/岩波書店