【あの話の続きをしよう】蛇に足を書く
noteの記事のスタイルは人によって異なる。スタイルを分かつ要素の一つとして、「内向きと外向きの比率がどれくらいか」が挙げられると思う。
僕は内向き60%、外向き40%のつもりで書いている。日記やエッセイを外部に向けて発信している理由は、自己表現や日々の出来事の備忘というのもあるが、共感されたいという自己承認欲求も大きい。
ただ外部に向けて発信するにおいては、「作品」としてある程度纏まったものにしないといけない。
例えば自分にとっては是非とも書きたい内容であっても、それが明らかに蛇足になる場合は書かないことも多い。過去リリースした記事の中には、見栄え良くするために仕方なく行間や背景に触れなかったのもある。
なので今回は、過去書いた記事を構成し直し、話に延長線を引いていくという趣旨で書いていく。
1,「箱」を開ける
飛行機が遅延しその後も判断ミスが続いてしまったこともあって、本来の目的であった富士山登山を諦めることになった。
だが帰りの飛行機は3日後に予約しており、少なくとも3日間は自給自足の計画で東京に滞在する必要がある。なので、一緒に東京へやってきた連れと共に、これから何をするか宿で作戦会議をすることにした。
……だが「思春期の大学生と青春希望の大学生が話し合っても果たして実りのある議論はできるのか」と一抹の不安を我々当事者は感じた。
見事に不安は的中し、マッサージ店とメイド喫茶どっちに行くかで喧嘩が勃発するという激キモ展開へと発展してしまった。
メイド喫茶に行きたい連れ(以後、喫茶店野郎と呼ぶことにする)は、東京でしか出来ないことをするべきだと主張した。マッサージ店で日頃の疲れを癒したかった僕は、東京でしか出来ないことをするべきだと主張した。今度は「それは東京じゃなくても出来るだろ!」という喧嘩が始まった。
でもどんな争いごとにも必ず雪解けは来るのである。更けてゆく夜の中、お互い丁寧に認識をすり合わせながら譲歩に譲歩を重ね、結果「東京ディズニーシー」に行くことになった。
全くもって、マッサージ店とメイド喫茶の譲歩案にされた東京ディズニーシーには迷惑な話である。そもそもこの破廉恥野郎2人にパスの許可が下りるのかという根本的な問題があったものの、流石は天下の東京ディズニーシー、寛大な御心をお持ちであった。
かくして、我々は登山服で東京ディズニーシーに乗り込むことになった。一応念の為に補足しておくと、決してスペースマウンテンのガチ勢だから登山服で行ったとかではない。
当日、前日の大議論が原因で夜更かししてしまった我々は、ネズミに耳を噛みちぎられたというドラえもんの如き青い顔で、シー連行バスに乗車していた。
だが元気がなかったのは我々だけではなかった。バスにはカップルが大量に乗っていたが、いまいち車内全体に活気がなかったのである。
恐らく昨日マッサージ店かメイド喫茶かでパートナーと喧嘩したのだろう。そんなテンションで夢の国に来るんじゃねぇ!と僕は怒ってやりたかったが、よくよく思い返してみるとそれは自分たちのことだったので大人しく寝ることにした。
……急に歓声が上がったので慌てて飛び起きた。見るとディズニーランドの象徴である迫力のある城が見えてきたのである。急に車内が活気づいてざわざわし始めた。どうやら前日楽しみすぎてなかなか寝れてなかっただけだったのだろう。
かくいう僕も、連れに「まずどこ行くよ!」とテンション高めに相談していた。何だか急に楽しみになってきた。さっきまで元気がなかったのも、きっと前日楽しみすぎて寝れなかったからに違いない。うん、きっとそうに違いない。
開園同時、我々は東京ディズニーシーに乗り込んでいった。移動用トロッコに感動し、タートルトークのコミュニケーション巧者ぶりに感心しきりで、水上ボートではビシャビシャになりながら騒ぎ、ソアリンでは五感で花の香と躍動する原始を体感した。
まあつまり、非常に遺憾ながら大はしゃぎしてしまった。ネズミと短パンJKの好感度も何故か上がった。結局20時くらいまで満喫し、流石に出たときはどっと疲労が出たものの、想像以上に心をかき乱しやがったディズニーシーが好きな場所リストにランクインした。
いやー食わず嫌いは良くないね。こうなるとメイド喫茶にも行かざるを得なくなるな。
箱の中を開けてみるまで分からずビクビクしていたが、箱を開けたら意外と猫がいる。
…いや、言うなればネズミか。
2,「夏目漱石」を流行らす
2022年冬、好きな女の子が出来た。
大学2年の冬、高校時代のLINE親友であった女子とサシでランチに行った。別の大学に進学した彼女とは、LINEでは頻繁に会話していたものの、2年間全く会わずの疎遠だった。
久しぶりに会った彼女はあまり変化がなかった。ただ元々クラスは同じだったが直接話すことはほぼなく、改めてリアルで会って話すというのがそもそも新鮮だった。
3時間くらい話して「じゃあまたLINEで」と解散した。その後家に帰宅した。
胸の鼓動が鳴り止まないのである。
本当に久しぶりの感覚だった。LINEで話している時も何となく「こういうところ素敵だよなあ」と思うタイミングも何度かあったが、恋のような胸のときめきではなかった。
それが数年来で、今来てる。ここ数年にないビッグウェーブが胸に迫っている。抑えきれずに男友達に連絡した。
その男友達は青春マニアであり、また僕と彼女との関係性を比較的間近で見てきた人間であり、その青春ぶりに心が苦しくなったらしい。「俺は告白するべきだと思う」と言い残し爆散したと人伝に聞いた。
因みにこの青春マニア野郎は、後に喫茶店野郎としてメイド喫茶デビューを志しているのだが、それはまた別の話である。
さて問題は告白だ。今まで自分から告白したことがなく、また当然告白されたこともあまりないので、ロールモデルとすべき知見がない。
苦し紛れに過去の被告白経験(小学時代)を思い返したものの、頬にチュウされて「チュキ♡」というものだったので到底真似できない。リアルでその告白をしたら警察からチュキ♡されるだけだし、LINEでやろうものなら我が末代までの恥である。
じゃあどう告白するかだが、3ヶ月強悩みに悩み抜いて、結果的に「月が綺麗ですね」という非常に雅な形で告白することにしてしまった。
だって夏目漱石先生が「I love youじゃ雅じゃない」って言ったんだからねー。読書家でロマンチストの僕にはこれが最適解かと思い、なかなか会うタイミングもなかったのでLINEで伝えた。
彼女は優しい女の子だった。同時にリアリストでもあった。「あれ、スーパームーンってこの季節だっけ?」ととんちんかん且つ実に可愛い変身が返ってきて、僕は混乱状態に陥った。
「これはマジで知らないのか?それとも意味知っててとぼけてるのか?意味知ってるがどういう意図かわからず確認したいのか?そもそも好きなのか嫌いどっちでもないのかどれなんだ!!」
彼女の思惑がわからず、というか恐らく彼女からしても僕の思惑がわからず、ここで一歩踏み出す勇気もなく、「ああ、スーパームーンは大体秋やな」とこれまたトンチンカンな返信をしてしまった。
その後の特筆すべき後日談など無いが、特に変わりなく定期的に連絡を行いつつ、24年秋に携帯を壊してLINE引継ぎにも失敗したため、そこからLINEさえも一切連絡が取れていないという状況である。
別にインスタからLINE消えた報告すれば良いんだろうが、微妙に連絡しづらく実行できていない。おまけに高校のLINEグループも(彼女と連絡できる決心がつくまでは)招待しないように友達に伝えている。
元々の記事である「夏目漱石は今どき流行らない」は、何してんだ夏目漱石、そんなんじゃモテないぜという僕の他責思考に基づいた記事となっている。
記事中には散々「伝えたいことはまっすぐ伝えるべきだ」と読者に偉そうに啓蒙しているが、実のところは自分への戒めという意味で書いた記事である。
あー夏目漱石流行んねえかな。それがリアリストなあの子の耳にも入ったら良いんだけど。
次回いつ恋に落ちるのかわからないが、今度はズバッと相手の心目がけて想いを伝えられたらいいな。
3,「あの夜」の続きを見る
社会人になってからというもの、休みを実感できるのは金曜日の夜のみになってしまった。
ルンルン気分で深夜に帰り夜更かしかます金曜日、そのまま究極的惰眠によりほぼほぼ気を失って過ごす土曜日、明日からの新たな1週間を意識せざるを得ない日曜日。
だが三連休は違う。土曜日倒れたとしても、中の日曜日がある。明日も休日がある。身体的にも精神的にもかなり余裕のある一日である。
その日の夜も三連休の初夜であった。夜食を買ってコンビニの外に出たとき、澄んだ秋風が吹いてきた。空を見上げると、雲一つなく、一番星が真天に見える。
東京は明るく、おまけに個人的視力がDDなので普段は星が見えない。夜に頭上を見上げる癖がついているが、いつも見えるのは狭い空の中に光り輝いている労働者の光である。
だがその日は、一番星が見えた、ような気がした。空が澄んでいるに違いない。もっと暗いところに行けば、東京のど真ん中で満天の星空が見れるかもしれない……。
ちょうど三連休の初夜だったのも都合が良かった。ゾクゾクとした気持ちが抑えられず、そのままレンタルサイクルポートに向かった。
意外と時間がかかり、目的地の夢の島に着く頃には25時を回っていた。自転車を停めて海浜から森の中を散歩した。
東京のど真ん中に星が見える場所があると聞いて半信半疑でやってきたが、全煌全輝に程遠かったものの本当に星がいくつも見えた。夜は相変わらず快晴で、秋風は少し冷たさが増していた。
当然満足するわけでもなく不消化ではあったものの、海浜から対岸の光り輝く地平線を見たり、点々とした夜空を見たりして、何となく感傷的になる自分がいた。
これまで何度か「あの夜」を越える星空に出会うべく、様々な場所で夜空を見上げた。地元を飛び出して、遠く離れた東京にやってきてからも上空を見る癖は抜けなかった。
でも、室戸岬で見たあの満天の星空を越える星空には、まだ出会えていない。
そして、社会人になって今改めて実感するが、三連休でも何でもない普通の土曜の夜に車を出したり、ドンピシャで満天の星空を当てたりするのは、かなり難しい。
平然でやってのけた両親には、まだまだ頭が上がりそうにない。
漸く家に帰ってきたとき、既に夜27時を越えていた。ヒリヒリする股とまだ自転車に乗っているような不安定な感覚に、謎の充実感を覚えながら布団に入った。
明日日曜日は1日中眠ることになるだろう。月曜日はまた翌日から始まる新しい1週間の重圧に耐えながら過ごすのだろう。
でも、何の変哲もない休日でもいいのである。この毎日の延長線のどこかで、幸せとか家族や友人とか満天の星空があればいい。
そんな可惜夜を想いながら、今日も夜を越えるのである。