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百年前の句の中に
尾崎放哉を読んでいる。
爪切つたゆびが十本ある
ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる
畳を歩く雀の足音を知つて居る
入れものが無い両手で受ける
花火があがる空の方が町だよ
すばらしい乳房だ蚊が居る
花がいろいろ咲いてみんな売られる
傘にばりばり雨音さして逢ひに来た
氷店がひよいと出来て白波
をそい月が町からしめ出されてゐる
淋しい寝る本がない
海のあけくれのなんにもない部屋
行きては帰る病後の道に咲くもの
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
考へ事して橋渡りきる
こんなよい月を一人で見て寝る
昼だけある茶屋で客がうたつてる
二人よつて狐がばかす話をしてる
写真とつて歩く少し風ある風景
椿にしざる陽の窓から白い顔出す
冬帽かぶつてだまりこくつて居る
淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
あかつきの木々をぬらして過ぎし雨
一本のからかさを貸してしまつた
月夜戻り来て長い手紙を書き出す
百年前の句の中に、今を生きる人と何も変わらない感覚と孤独が存在していた。馴染み深く、ありふれていない。
百年前の町並みをスマホでのぞけば、月のように遠く感じられるけれど、情景や生物を見つめるその心情は、なんて近いのだろう。
私の目に映るものは、なぜか泣けてくるものばかりだ。
みんないつか死んでしまうし、自分自身がそう。そんなことを考えると、たまらなくなる。
人や動物や物や自然。気温とは無関係なぬくもり。ただひとつの時間を寄せ合って生きている。
とてもささやかな瞬間に、心を動かされていたい。通り過ぎてゆくものをつかまえたい。
生きることに素直でありたい。
微熱に似た感覚を、忘れてしまわないように。
純粋に、静かに、自分自身の奥底にある文学を探したい。
放たれる時も言葉も一瞬の瞬きなのに永遠を知る
今は亡き心もいつかあたたかい場所で眠ると信じていた日
あと百年生きない私たちのために誰かの声が生き続けている