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【小説】唐揚道部vs痩せ部 ②

 屋上を飛び出たツケ郎が駆け込んだのは家庭科準備室だった。
 肩で息をしながら引き戸を開けて、膝に手をついて呼吸を整えた。そして部屋の真ん中にいる巨大な男に向かって崩れ込むように頭を下げる。
「手練帝院(プロテイン)先生……」
 教えてください、と言おうとした喉は乾き切ってなんの音も発しなかった。空咳が喉も肺も締めあげる。ツケ郎は油の弾けるような咳をした。

 人体にしてはやたら角の多い、まるでポリゴンで描いたような身体をゆっくりとツケ郎に向けた男は、特に慌てた様子も無く手の中のシェイカーをツケ郎に差し出した。
「君はたしか、唐揚道部の子だね。噂は聞いているよ」
 とりあえずこれを飲んで落ち着くんだと差し出されたシェイカーを、ツケ郎は素直に受け取った。

 シェイカーの中にあるものは私生活では見たことの無い薄く濁った青灰色をしていた。
 ユニコーンカラーの沼みたいな液体を見て少し戸惑っているツケ郎を、手練帝院は工事現場の地響きみたいな声で笑った。

「変なものは入っちゃいないさ!水と植物性タンパク質、追加でバナナとほうれん草、蜂蜜にきな粉に黒ゴマなんかを入れてスピード感を加えたものだ」
 いつの間にかもうひとつのシェイカーを手にしていた手練帝院は、フタを開けて中のものをごくごくと飲み始めた。
 ツケ郎も手練帝院にならって口をつけたがお世辞にも旨いとは言えなかった。気合いで飲み干したツケ郎は、シェイカーを手練帝院に返した。

「不味いっすね、これ」
「がはは、素直だな!」
 自分が出した飲み物を不味いと言われた割に、手練帝院は楽しそうだった。
 この手の男は下手に気を使うより素直に接した方が良いというツケ郎の勘は当たった。
 手練帝院はシェイカーに水を入れて濯ぐように振ると、それもすっかり飲み干して綺麗になったシェイカーを確認した。

「市販のプロテインはどうにも甘くてな。甘味を出すのに、もう少しきな粉や蜂蜜を足しても良いか」
 手練帝院は巨大な体躯に見合わぬ小さなメモ帳に何やら書き込んでいた。
「しかしプロテインは所詮サプリメントだ。君らは食事から摂った方がいい。……おっと、唐揚道部の君には余計なお世話だね」
 手練帝院が笑いかけると、ツケ郎は解凍し終えたモモ肉みたいに跳ね上がって姿勢を正した。

「あの、先生!」
 手練帝院の筋肉質な、それでいてどこか優雅さのある所作を見ていたツケ郎は、唐揚道部であった事や屋上での顛末を話した。
 煙草くさいであろうツケ郎の話を、手練帝院は何も咎めず、それどころかツケ郎の目をじっと見て聞いていた。


 一方、屋上に取り残された甘宮みつきは、吸う予定のない煙草と冷え切った唐揚げを持って立ち尽くしていた。
「どうしよう、これ……」
 食べたい。食べてしまいたい。もう半分は食べてしまったのだから、残りを食べたところで大差ないはすだ。
 食べたら走ればいい。
 走って走って、また食べて……吐いて。

 最近になって入部した岡割と言う下級生が、みつきの胸の奥で小さな棘になっていた。
 初めて見た日は、まるで艶消しをした漆みたいに黒い目をしていたのに、それからどんどん目にハイライトが入ってきている。
 良いことだ。
 とても良いことなのだ。
 ひとりの少女が救われる、それの何が不満なのか。

 原因が自分にあるのは分かっていた。かつて岡割みたいだったみつき自身も、手練帝院と出会い、痩せ部で岡割と同じように変化した。
 頑張れば身体は素直に反応する。
 手練帝院先生の指導で食事や運動が義務とか罰じゃなくなった。細かく切り刻まないで食べるごはんは嬉しかったし、闇雲じゃない運動は楽しかった。

 でもある日、これが一生続くのかと思うと愕然とした気分になった。
 世の中には何もしていないと言い張る可愛い女の子で溢れていて、たくさん食べる綺麗な女の子で溢れていて、自分がそうじゃないことが厭で、悔しくて、憎らしかった。

 最近は手練帝院先生の教えを破り、こっそり食べては吐き戻しする癖が復活しつつあった。
「あの子も早く気づけばいいのに」
 わたしたちは、煉獄の使徒なんだって。
 膨れ上がる食欲と、それに対する嫌悪が油濾し器みたいに自分の中に溜まっていく。それは濁っていてとても醜い。

 びゅう、と北風が吹いてみつきが持つ唐揚げが揺れた。
「食べちゃおうかな」
 美味しかった唐揚げを見つめるが、冷たくなった唐揚げはみつきと目を合わせようとしなかった。
「意地悪」
 思い切り放り投げると、どこかで狙っていたのか烏が素早くキャッチしていった。
「美味しいんだぞ、それ!」
 かぁ、と鳴いた烏は「知ってるよ」と言った気がした。

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