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みんなラリパッパになってユートピアを夢見た時代とその終わり。廃人寸前になって取り残されたシド・バレット。生き残ってビッグになったピンク・フロイド。

あなたはどんな旅をしますか? 必要なものをバッグに詰めて、ふらりと家を出て、なりゆきまかせの旅を楽しみますか? それとも、事前調査をして、計画をたて、ホテルを予約し、行き帰りの切符を買って、ガイドブックを抱えて出発しますか? 芸術家もまた前者後者のふたつのタイプに分かれるもの。なお、興味深いことに初期のピンク・フロイドには奇跡的に両者が混在する魅力があった。



次に、1960年代後半のアメリカの狂った社会状況もまたあった。いまの若い人たちには想像もできないでしょう、1960年代後半のアメリカの若者たちがどんなふうにでたらめに自由を満喫していたのか? 時代思想はLOVE & PEACE。男たちは髪を伸ばし、髭を生やし、ビーズのネックレスをして、カラフルなシャツを着て、マリファナを吹かしたり、LSDを摂取したりしながらこれまで想像もしなかった新しい音楽を大音量で聴く。女たちはブラを捨て、ノーブラでタンクトップを着て、フレアのジーンズを穿いて、多かれ少なかれ、性の解放を受け入れ、楽しんだりときに楽しめなかったりしたものだ。資本主義と物質文明を嘲笑し、禅や道教、はたまた神秘主義に傾倒し、インドへ旅するのがイケてる若者のスタイルだった。(もっとも、当時のインドは必ずしも精神世界の楽園というわけでもなく、むしろ統制経済で貧しかっただけのことではあるのだけれど。)若者文化のヒーローはビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、そしてシド・バレット率いるピンク・フロイドだった。



なお、カントが指摘したように〈ヒトは概念で世界を認識するゆえ、けっして物自体をそのまま認識することはできない〉、ところがLSD摂取によってヒトの脳内から言語~概念が抜け、人は物自体をダイレクトに感受できる。感覚の解放には、そんな側面もまたあった。当時LSDは〈インスタント禅〉と呼ばれもした。長い修行を経ることなく、まるでハンバーガーを食べれば禅僧になれるかのように、たちまち行者の境地に達してしまう。もっとも、いいことばかりがあるはずもなく、なかにはLSDによって地獄をのたうちまわる経験を味わう人もいる。



もちろん大人たちは困惑した、なぜわたしたちの愛する子供たちはこんなにもわけがわからない頭のおかしなイカれた奴になり果ててしまったのか? 映画『イージーライダー』と『エクソシスト』にはあの時代の解放感と大人たちの困惑がともに描かれています。 



いったいなんでまたあんな気の狂った時代がありえたでしょう? 一説には当時激烈をきわめていたヴェトナム反戦運動に対して、若者たちをクスリ漬けにしてラリパッパにしてしまうことで反戦運動を骨抜きにする、そんな闇の政府の陰謀があったのではないかと邪推されています。真実は闇のなかだけれど。



いずれにせよ、どんなカーニヴァルもやがて終わる。感覚の解放の時代もまた1969年をさかいに幕を下ろしてゆく。まず最初にブライアン・ジョーンズが7月のある日イーストサセックス州ハートフィールドにある自宅のプールで、アルコールを飲んで泳いだ結果、水死体になった。翌年ジミ・ヘンドリックスは9月のある夜、ロンドンのホテルで睡眠薬の多量接種によって睡眠中にゲロ吐いて、そのゲロを吸い込んで呼吸困難に陥り、アルバート病院へ担ぎ込まれたものの、そのときすでに死んでいた。10月ジャニス・ジョプリンはヘロインの大量摂取で体を朽ち果てさせ、真夏のある夜ハリウッドのホテルでついに永遠の眠りについた。翌年の7月のある夜、ジム・モリソンはヘロイン中毒、すでに恋人とパリへ移住していて17区、Beautreillis通り17番地の自宅の、バスタブのなかで心臓発作を起こし、息絶えた。なぜかかれら全員27歳の死だった。



さいわいシド・バレットは生き残ったものの、しかし1970年にはすでにLSDに復讐されてほとんど廃人になっていた。当時のシド・バレットが残した2枚のソロアルバムと後に発売されたものを聴けば、かれの詩才はいまだ生きているし、メロディメイカーとしてのセンスも健在で、かれの歌声にも生気が残ってはいる。しかし、歌につけるギターコードはところどころ合っていないし、またかつてのかれならば詩のイメージを、カラフルなサウンドで表現してアイディアを発展させただろうし、その曲のモティーフに別のモティーフをぶつけもする、そんな創造性を発揮しただろうに、しかし、残念ながらそういうセンスはもはや失われている。それでもシドの2枚のソロ・アルバムそのほかには、裸のシドの創造性があって、痛ましくも美しい。




ただし、シド・バレットの最高傑作はやはりピンク・フロイドのファーストアルバム”The Piper at the Gate of Dawn"ではあって。もっとも、『サージャント・ペパーズ・ロンリー・クラブ・バンド』を手掛けたノーマン・スミスによるプロデュースはやや過剰であるとはいえ。



他方、シド・バレットが抜けてからのピンク・フロイドは、存亡の危機をなんとか切り抜け、それどころか1970年代初頭から世界を股にかけるアリーナ・バンドになってゆく。したがって、なんだ、リーダーだったシドが抜けてはじめてピンク・フロイドはビッグになったんじゃないか、という見方もできる。たとえどんなにシド・バレット・ファンであろうとも、この事実を否定することはできない。



では、シド・バレット在籍時と脱退後で、ピンク・フロイドはどう変化しただろう? まず、シド・バレットの音楽の作り方は、おもいがけないところからアイディアを見つけ、詩を書き曲をつけ、そのアイディアをバンドメンバーとともに音楽的に発展させてゆく。つねにそこにはメンバー相互の瞬発的なひらめきと実験があって、スポンテイニアスでいきあたりばったりな試みが奇跡のように実を結んだもの。



それに対して、シド・バレット脱退後のピンク・フロイドは、ひじょうに理知的かつ構成的に作品を作るようになってゆく。かれらはまずアルバムの主題を考え、主題に沿って、各楽曲でその主題を展開してゆく。なお、ベースのロジャー・ウォーターズとギターのデイヴ・ギルモアが建築科出身であることは象徴的です。したがって、かれらの作る音楽はひじょうに明解になって、だからこそ世界中に厖大なリスナーを獲得できた。ただし、シド・バレット・ファンにとっては、もはやそれはかつてとは似ても似つかない別世界である。



ピンク・フロイドはアルバム”Wish You Were Here"で、シド・バレットの永遠の輝きを放つダイアモンドのような才能を讃え、それが朽ち果ててしまったことへの哀しみを主題にした。こうしてシド・バレットは伝説化され、かれのイメージは完全に決定された。ただいま上映中の映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気 Have You Got It Yet? The Story of Syd Barrett and Pink Floyd』(2023年)もまた、このシド・バレット観に沿って作られています。



ただし、ぼくはこうもおもう。シド・バレットを聴くことは、けっして語り継がれる伝説をなぞることではない。むしろ音楽の内側に入って、シド・バレットの側から世界をとらえること。それは恐ろしいことだけれど、同時に、五感を開く、想像的な体験なのだから。



ぼくは1970年の大阪万博において丹下健三がデザインしたお祭り広場に、岡本太郎の太陽の塔を招聘したことをおもいだす。おもえば初期ピンクフロイドは、岡本太郎(=シド・バレット)をリーダーに、しかもメンバーのなかに丹下健三(=ロジャー・ウォーターズ)がいた、そんなバンドだったとも言える。比喩が突拍子もなくて、ごめんなさい。



おもえば1960年代後半には、マリファナを吸ったりLSDをキメたりすることをトリップと呼んだもの。なお、ぼくはけっして薬物礼讃派ではありません、なぜって微笑を浮かべて近づいてくる悪い人とおつきあいすることはおっかないし、またつねに警察の目を怖れびくびくしながら暮らし、ましてや法を破ったことによって重刑に処せられることはばかばかしい。ましてやLSDのように各種代謝もおかしくし、食欲不振、拒食症、腎機能不全、肝炎、そのうえ脳機能さえもぶっ壊し、記憶力低下、心不全、脳溢血の怖れのあることに手を出すなんて、滅相もないこと。健康第一! 臆病者で賢明なぼくは煙草(フィリップ・モーリズ14、各種ブラック・デヴィル、そしてガラム)とチリ産の安い赤ワインとコーヒー、そして瞑想でちいさなトリップを繰り返す。あなたはどんな旅をしますか?




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