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少女が愛する父の、心の秘密を嗅ぎ取ったときから・・・。(映画『エル・スール』)

8歳の少女は父を愛し、自分が父から愛されていることをわかっている。父は霊能者(ダウザー)で、鎖状の振り子を用いて(たとえば井戸をふさわしい場所に掘るため)土地の水脈を読む仕事などを手掛けている。ある日少女は父親の仕事を手伝う。少女は確信する、そのとき自分が父から魔法の力を授けられたことを。


物語はスペイン北部の街を舞台にしている。なお、もともと父親は南部の人だったものの、しかしスペイン市民戦争終戦後、北部へやってきて、家庭を持った。かれは教会へ通う習慣を持たず、孤独を愛し、また自分の出自について家族になにも語らない。スペイン市民戦争についてもまた。なお、母はなじりぼやく、父の信仰心の欠如について。他方、少女は父が育ち、父が捨てた故郷・南部についてなにも知らない。少女は南部について幻想をふくらませる。「太陽が普通とは違う輝きを放つ土地」、南部(エル・スール)。



やがて少女は15歳になって、はじめて知る。父親は本当には妻を(彼女にとっては母を)愛してはいなくて、父親は遠く離れた女性をこそ愛し続けていることを。少女はそれについてけっして母には話せない。こうして少女は父の共犯者となる。それにしても父はいったいどんな女を愛し続けているのか? ある日少女は知る、彼女は映画女優だった。少女は自分が父の真実をなにも知らないことに驚愕する。そして少女は父を(父の側に立って)正しく理解したいとおもう。こうして少女の探求の旅がはじまる。



エリス監督の映画には、寡黙さとともにあるゆたかさがあって。エリス監督は人の心の、驚き、よろこび、変化、成長、そういった事柄を、なるべくせりふに頼ることなく、可能なかぎり映像と音響~音楽で表現する。たとえば父親のバイクの後ろに娘がはしゃいで乗っていれば、幼い娘の幸福が伝わってくる。父親と娘がダンスを踊っていて、ふたりの笑顔が写されれば、幸福と愛が伝わってくる。母親が黙って毛糸をほどいていれば、哀しみと孤独が伝わってくる。少女が小箱のなかに、さまざまな南部のイメージを収めている光景を見れば、彼女の南部への憧憬がわかる。



映画『エル・スール』はヴィクトル・エリセ監督がデビュー作『ミツバチのささやき』の十年後の1982年に公開された。『ミツバチのささやき』がキリスト教倫理に枠づけられた作品であるのに対して、他方『エル・スール』は教会に背を向けて生きる霊能者を物語の中心に据えています。なお、『エル・スール』は本来撮影される予定だった後半部を持たない。おのずと観客は撮影されていない後半部を想像することになる。そこにこの映画の楽しみがある。しかし、けっきょくむしろ後半部が存在しない現在の形こそが理想的かもしれないとおもうかもしれない。



この映画はまるで森茉莉の『甘い蜜の部屋』をポール・オースターがリライトしたような謎めいたふんいきがある。もっとも、『エル・スール』には依拠している小説版があって、アデライダ=ガルシア=モラレス著、野谷昭一 熊倉靖子訳で、株式会社インスクリプトから出版されています。



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