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祖母なつは、公威くんを溺愛した、妄想のなかにかれを引き込みながら。

三島の祖母なつ(通称夏子)は情緒不安定で癇癪持ちの支配欲の強いの女だった。なつの部屋は一階で、公威きみたけくんはなつの部屋で育てられた。他方、父・梓と母の倭文重しずえは二階に暮し、なつが4時間おきにブザーを鳴らすたびに、息子に授乳になつのもとへ一階へ降り、授乳が終わるとまた二階へ上ってゆく。



なつは公威に女の子の服を着せたり、女友達だけをあてがったり、文学の英才教育をほどこし、歌舞伎に連れていったりした。こうして公威くんはひ弱な早熟天才文学少年に育ってゆく。



なつがとついだ夫・平岡定太郎ていたろうは、原敬内閣時代に樺太庁長官にまで登りつめたものの、しかし裏金作りでスキャンダルになり、原敬が暗殺され後ろ盾も失った失意の後に、公威くんは生まれて来た。すでになつは夫に愛想を尽かしていた。




父・平岡梓は定太郎となつのひとり息子、母なつのいない隙を見てコドモの公威を連れて蒸気機関車を間近に見せてやったりする。公威くんは無表情だった。また、公威くんがが塀の穴から隣の庭を覗いて、男の子たちが相撲をとっているのを眺めている姿を見れば、父は公威少年と相撲をとってやる。とはいえ、それはなつが公威くんを溺愛した時期に挟まれた簡潔的エピソードに過ぎない。



『倅・三島由紀夫』(正・続刊全2巻 文藝春秋刊 1972/1974)という恐ろしい本がある。三島自決という大事件の後、いきなり三島の両親にも注目が集まっちゃって、世間からもみくちゃにされ徹底的に心身消耗した三島の父・平岡梓さんが編集者からの要請のもと、激情のままに書きなぐった作品である。どうして息子はこんな最期に臨んでしまっただろう、自分たちはどうしてそれを未然に気づき止めることができなかっただろう、という悔恨と考察、そして三島の出生から最期に至るまでの回想が破れかぶれの文体で生々しく書かれています。



さっと斜め読みするとあなたはおもうでしょう、平岡梓はなんて独善的でマッチョでコドモを自分のおもうとおりに育てようとする自分勝手で支配的な父親だろう、かれは日本近代文学史上最低最悪の毒親だ。しかし、ていねいに読んでゆくとあなたの感想はいくらか変わる。父親・平岡梓の三島自決後の、卑しいマスコミや訳知り顔の知識人たちへの怒りも、そして名づけられない哀しみも失意も茫然もまたしみじみ伝わってくるのだ。



公威くんが中学に進学するとき、家族は引越しし、晴れて家族水入らずで暮らすようになる。ところが今度は、父・平岡梓が文学なんて大嫌い、文学など男のすることじゃないという思想の持ち主です。他方、息子の公威はなつによる英才教育によって文学が好きで好きでたまらない。なんという父と子の緊張関係でしょう。あるとき父は・平岡梓は公威少年が書き溜めた小説原稿をすべて破り捨ててしまう。さいわい梓は大阪に単身赴任していたゆえ、公威くんは父の目から隠れて文学に熱中できたのだけれど。



他方、公威の母・倭文重しずえさんが文学大好き、公威くんのことも大好き、彼女は公威くんの文学的才能を庇護し、応援し、公威くんの文才の開花を夢見ている。なお、倭文重さんは漢学者・橋健三の後妻の次女ながら、彼女の上に4人の兄と1人の姉がいて、彼女の下にひとりの妹がいる。倭文重さんは妹キャラだったことでしょう。彼女がものごころついた頃、父親は開成中学の校長である。



倭文重さんは公威くんを恋人のように溺愛し、原稿用紙を買って来ては公威少年の机にそっと差し入れたりする。いつのまにか彼女はなつをなぞるように公威を独占的に愛するようになる。



不思議なことに公威に反抗期はなかった。また、読書家の三島は17歳で(生きるに先だって)人生のすべてを本のなかで学んでしまった。いったいどんな影響を三島の人生に与えるでしょう? 



当時の日本の文学状況は、日中戦争の戦時下であって、1938年火野葦平の『麦と兵隊』がベストセラーになっています。この作品は日中戦争下に書かれたきわめて具体的な描写で綴られた従軍記で、愛国心と兵士の誇り、そして支那人の殺戮とヒューマニズムが葛藤するさまを描いています。戦時下とは、文学状況もまた戦時下なんですね。



そんな時代にあって、かれは17歳で、いかにも浮世離れした、プルースト文体を駆使した典雅な小説『花ざかりの森』を出版する。このときかれは三島由紀夫というペンネームを選びます。これもまた父親の平岡梓に気づかれないようにという窮余の一策でした。


父・平岡梓は公威少年の文学部進学希望をやめさせ、法学部に進学させ、自分と同じように官僚にさせています。公威はまったく向いてなくて9カ月で大蔵省を辞めて、専業作家になるのだけれど。



ぼくは三島が24歳で書いた『仮面の告白』を三島の〈遅れて来た反抗期〉だと見なすけれど、しかしそれであってなお、あの小説もまた(他のすべての小説と同じように)三島は発表まえに母親の倭文重さんに渡して読んでもらっています。倭文重さんは生涯、三島の全作品の最初の読者であり続けた。



三島はハタチ過ぎて、倭文重さんとダンスホール行って、ダンスを踊ったりしてしています。三島没後に倭文重さんもあのときはたのしかったわ~、なんて懐かしんでおられます。


















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