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それぞれの登場人物の〈映画内では描かれていない部分〉に想像力が働く。モノクロの韓国お洒落映画『탑ーWALK UP』

白くお洒落な4階建てのちいさなモダニズム住宅で、人と人が出会う。ワインを飲み、おしゃべりをして、おもいがけずそれぞれの人生が変化する。


お洒落で知的っぽい映画を観るのって、ちょっとこっ恥ずかしい。登場人物たちは"Anyohaseyo"とか、"Komapsumnida"とか"Kanbe"とか言っちゃって、飲み食いしながら、ぼそぼそしゃべるだけ。愛のときめきもなければ、キスシーンも、エッチなシーンもない。恐怖もない。怒りもない。アクション・シーンもない。誰も移動さえしない。そもそも誰にも問題意識がないがゆえ、問題解決に向けて物語が動き出すこともない。こんな映画をよろこんで観るのは、知的になりたいお洒落になりたい感性を磨きたい代官山と縁を持ちたい、それがだめなら三宿でもいい、そんな上京いなかっぺ中年女子だけだろ? と、ついおもいかけてしまうのだけれど、しかし、このないない尽くしの映画を観ていると、それぞれの登場人物の〈映画内では描かれていない部分〉に想像力が働く。ここがなんともいい。




一見好人物ふうで誠実そうな中年映画監督は不思議と女たちにモテるけれど、じっさいは家族を半ば捨てた人物で、いるよなぁ、こういうずるい男は。しかし、おれだってそんな偉そうなことが言えるのか? また、大家の美人っぽい女性(インテリア・デザイナー)は、映画監督に対してめちゃめちゃ好意的だけれど、しかし、好きならはやくベッドシーンに持ち込め、とかおもっちゃう。映画監督は娘がインテリアデザインの仕事をしたいと言うので、彼女と引き合わせたのだけれど、娘の情熱はほんの短期間であっさり消えてしまう。あるよあるあるこういう話。また、なぜかモテモテな映画監督は、今度はちゃっかり別の女といい仲になって、ふたりでテラスでサーロインを焼いて、焼酎を飲み、(おい、ワインが大好きだったんじゃなかったの?)女は男に朝鮮人参のハチミツ漬けを食べさせたりする。(かれの性的活力のさらなる増強を期待して。)いやはや、みんな揃ってわれわれと同じような俗物揃い。それにしてもいったいこの映画どうやって結末をつけるの? 心配ご無用(と言うべきか?)、主人公の映画監督はおもいがけない霊的体験をするのである。いやはや。



映画の舞台になっている白くお洒落なモダニズム住宅は、ソウルのまんなかに実際に存在しているそうな。なお、この映画はモノクロで撮られていて、大きな窓から光がいっぱい差し込み、白い壁がホリゾントになって、ワンシーンワンカットにお洒落効果を生んでいます。なお、この映画は「韓国のウディ・アレン」などと賞讃されています。(後註:近年その言葉はけっして讃辞にならないよ、というご指摘をコメント欄でいただきました。失礼!)



映画というメディアは20世紀生まれで、映像と音声~おしゃべりをともに扱うもの。(こういう説明の仕方はラカンのボロメオの結び目を想起させますね。)映画は先行する表現形式に、絵画、写真、演劇、小説を持ちながらも、しかし映画こそが20世紀芸術を代表するもの。


とはいえ、とっくに映画の「文法」は完成されクリシェとなり自明のものとされて、人は容易に映画という不思議なメディアの不思議さを忘却し、映画はただひたすら「波乱万丈な」物語を語ってしまいまいがちです。


しかし、そんななかいまなおときどき映画というメディアに正しく驚く作り手が現れる。ありがたいことで、われわれはそんな作り手を大事にしたいものです。



탑 WALK UP

ホン・サンス 홍상수  Hong Sang-soo 監督(b.1960-)によるこの映画のタイトル『탑』とは塔あるいはトップという意味らしい。"Walk Up" は海外公開用タイトル。2022年韓国映画。





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