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三島由紀夫と7人の女。妹・美津子さん。

僕はどこにいてもその場に相応しくない人間であるように思はれる。どこへ出掛けても僕という人間が、いるべきでない処にいる存在のように思はれる。僕はどこにいたらよいのかいつまで経ってもわからないが、生きてる以上どこかにいなくてはならない。」(三島由紀夫『招かれざる客』)




三島が育った環境は、かれにとって地獄だったことでしょう。なにせ公威きみたけくんは生まれてから、ヒステリックで支配的で文学と歌舞伎好きの祖母のなつに奪い取られて、12歳まで溺愛されて育つ。母倭文重しずえは、二十歳で公威くんを産んだにもかかわらず、育児をすべてなつに奪われてしまう。倭文重しずえはなつを呪いながらも、しかしなにもできない。



12歳で公威くんは祖母の部屋から解放され、晴れて家族の一員になる。ここでもまた両親は喧嘩ばかりで、公威くんは両親それぞれの自分勝手で支配的な愛情に翻弄される。公威くんの父親は文学なんて大嫌い。公威くんの文学への惑溺に怒り狂って公威くんの執筆中の原稿用紙を破り捨てたりする。(さいわい父は単身赴任で不在がちだったけれど。)母の倭文重しずえは、文学大好き、公威くんの文才の成長をよろこび、励まし応援し、公威くんに恋人のように接します。こんな悲惨な環境のなかであってなお、心優しい三島は両親それぞれ違った期待に沿うような自分(良い子)を演じつづける。しかし、そんな三島が内心女性憎悪を育て、かつまた父殺しを夢想するのも無理はありません。



そんな平岡家に唯一明るさと幸福をもたらしたのは、3歳下の妹の美津子みつこだった。三島は美津子を愛した。(なお、公威くんには5歳年下の千之ちゆきがいて、美津子と千之もまた仲良しだった。公威くんが家族の仲間入りをしたとき、しばらくのあいだ美津子と千之は公威兄さんをお客さんのように遇した。しかし、それもしばらくのこと。公威くんはやがて美津子を大好きになる。)




三島が『仮面の告白』の後半で描いた主人公と園子の恋愛は二十歳の話であり、当時美津子は16歳であり、事後的に見ればそれはおもいがけずチフスで命を落とすことになる美津子の人生最期の時期である。


「お兄ちゃま、誰かさんにお熱なんでしょう。」
私の部屋に入って来て、跳ねっ返りの妹が言った。
「誰がそんなこと言った」
「ちゃんとわかるのよ」
「好きになっちゃいけないのかい」
「いいえ。いつ結婚なさるの」
ーー私はぎくりとした。お尋ね者が何も知らない人間から突然犯罪に関わりある事柄を言い出された気持ちだった。
「結婚なんか、しないさ」
「不道徳ね。はじめっから結婚する気がなくてお熱なの? ああ嫌だ、男って悪者ね」
「早く逃げないと、インキをぶん投げるぞ」
(三島由紀夫『仮面の告白』1949年)



三島の書く小説のなかにこんなに仲のいいやりとりは滅多にない。ところが前述のとおりこのやりとりの後、敗戦3か月後に、二十歳の三島の必死の看病にもかかわらず17歳の美津子は死んでしまう。彼女の最期の言葉は、消え入る息で囁いた「おにいちゃま、どうもありがとう」だった。




三島は美津子の死について、前述の『仮面の告白』と短篇『朝顔』を除けば、ほとんど書き残していない、あの雄弁な自分解説者・三島でありながら。しかし、作家とはそういうものではあって、けっして書かなかったことのなかに重要な事柄が存在することはめずらしくない。たとえば、コクトーは9歳のとき父親がバスタブで自殺したことを生涯誰にも語らなかった。




三島は美津子の面影を探し、恋人を持とうと努力する。その気持ちはわかるような気がする。なぜなら、三島の祖母も母も(父も)、愛情を支配と勘違いしていて、三島にとっては迷惑きわまりなく、ただひらすら三島を苦しめる。それに対して、けっして妹はかれを支配しようなんておもわない。ただひたすら無邪気で愛らしい。もっとも、どんな妹とてやがて女になり、ともすれば母になりもすれば、おばさんに、そしてやがてはおばあさんになるのだけれど。また、男と女が対等な関係を持てないというのも難儀なことではある。ただし、家父長制を前提とする戦前育ちの三島にとってそれは無理もないことだった。



美津子の死のわずか二か月後三島は、自分の優柔不断によって失恋に至った『仮面の告白』の園子は他家と婚約してしまう。当時の三島が結婚などできるわけがないのだ。なぜなら、三島の祖父母も両親も喧嘩ばかりしていて、三島には幸福な家庭のイメージがない。しかも、当時の三島には〈男というもの〉すなわち〈父〉が社会のなかでどういう機能を果たすものだかまるでわかっていないのだから。邦子さんが結婚した翌1946年5月5日に、三島は取り乱して泥酔状態になる。三島は孤独のなかに取り残される。




青年期の三島は問題を抱えている。社会とは父たちによる権力闘争の場である。三島にとって、理想の男なんてものは存在しない。やむなく三島は、文学の師を佐藤春夫に求め、その後川端康成に乗り換え、かれらの庇護を求めつつ、いずれ自分もまた男に、父にならなければならない、と覚悟を決めたことでしょう。三島にとっての〈男〉が観念的になってしまうのも無理はない。しかも、三島のこの〈男になる〉という決意は、おもいがけない展開を迎えることになる。だが、それはもう少し先の話だ。いまはまず『仮面の告白』をあらためて読み直す必要がある。







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