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美と俗悪の弁証法。ぼくの三島由紀夫論、イントロダクション。

美の信徒を自称した三島にとって、美とはいったいどういうものだったのか? たとえば『金閣寺』である。父親に金閣寺こそがこの世でいちばん美しいと洗脳されて育った男が、金閣寺の観念に捕らわれ、いつしか美に対する嫉妬を抑えきれなくなって、あろうことか金閣寺に火をつけ燃やしてしまう話である。なお、そこには敗戦後GHQによって、あろうことか天皇陛下は人間宣言をさせられ、国体を棄損されてしまった日本において、金閣寺になんの意味があるのか、という含意がある。しかも、この小説にあってはあろうことか金閣寺はエロスの化身でさえもある。三島に寄り添って考えなければ、この小説はわけがわからない。




他方、ぼくは美はどこにでもあるとおもっている。たとえば、恋人の微笑はもちろんのこと、古着屋の髪の毛ふわふわの優しい笑顔の青年でも、ドン・キホーテの赤毛で耳にピアスをやたらとつけたレジ打ちの若い女でも、インド人のコドモたちでも、花屋に並ぶ花々でも、古いギターでも、夜と朝のあいだの青い空、夕陽を受ける杉の樹、毛並みの美しい鳩、ネパールの木綿のシャツ、なんなら1本のフォークにだって、ぼくは美を感じる。




しかし、けっして三島はそうではない。いいえ、三島とて美がけっして杓子定規に決められるものではないことはわかっていて、だからこそ『仮面の告白』の冒頭にドストエフスキーの言葉を掲げ、マリアとソドムの弁証法を示唆する。しかし、ここで重要なことは、あくまでも美はマリアが象徴していることである。三島にとってはそんなにどこにでもここにでも美の断片的派生物があってもらっては困るのだ。なぜなら三島はプラトニストとして美のイデアを信じていて、諸物は美のイデアが形を得たもの。それは神聖なものでなければならないのだ。こうして金閣寺は日本の現実界における、美のイデアの具現形たりうる唯一の資格を得る。



西洋かぶれもいい加減にして欲しいとぼくはおもうけれど、しかし、芸術の使徒・三島はつねにこういう考え方をする。だから三島は大枚払ってヨーロッパで特注した竪琴を持ったアポロンの彫像を白亜の豪邸の前庭に据えるのだ。アポロンが芸術の神だからである。なお、豪邸の裏には小さな山小屋みたいな三島の書庫が建っていて、豪邸の脇には日本家屋があり、そこには三島の両親が暮らしています。



また、三島は早すぎる晩年憂国思想を持つようになってからは、226事件の青年将校たち、神風連、吉田松陰に傾倒した。三島にとっては、かれらこそが愛国の象徴たりえたから。愛国心は多かれ少なかれたいていの人にあるものだとぼくはおもう。しかし、三島は愛国においてもまたイデアを必要とし、だからこそ天皇を神と崇め、前述のかれらにこそ愛国のイデアの派生形を見るのだ。




話を美に戻すならば、美の使徒三島は、なるほど三島はマンテーニャ、ペルジーノ、ルーベンス、ジュルジュ・ド・ラ・トゥール、ギュスターヴ・モローあたりを好きとは標榜する。しかし、いかにも教養主義的でぼくは信用できない。むしろぼくは三島がマリアとソドムの弁証法さながら、美のみならず俗悪もまた愛したことに注目する。たとえば、三島が生涯魅了されたグイド・レーニの『聖セバスチァンの殉教』は見る者に不穏なパッションを呼び起こす、俗悪な美ではないかしらん。もちろんそれを言うならばイエスの磔刑もちょっとどうかとぼくはおもうけれど、しかし他人の信仰に口を出してはならない。




なお、セバスチャンについてはエロティシズムが絡んでいて、すなわち三島にとって美は俗悪はエロティシズムの問題でもあったのだ。ここでもまたぼくはおもう、エロスなんてどこにだってあるじゃないか。たとえば・・・いいえ、ここでぼくが感じるエロスを列挙することはつつしみましょう。





ぼくの推理によると、三島の俗悪趣味は三島が中学生以来生涯愛した歌舞伎に由来するのではないかしらん。役者が大見栄を切って派手に演じる残虐な殺害場面の背景で桜吹雪が舞い散るのが歌舞伎である。三島が人生最後に防衛庁市ヶ谷駐屯地で演じた自決は、まるで歌舞伎である。




さらには、三島が世界旅行をするにあたって、「ひらすら美的感覚を逆撫でするようなものに遭遇したいという不逞な夢を持ち」、帰国後はあのヴェニスを「歯の抜けた老いさらばえた娼婦」に喩え、「ぼろぼろのレエスを身にまとい、湿った毒気に浸されている」と言い放ち、返す刀でアメリカの商業主義美術の蔓延を健全と讃美するどころか、遂に本音を漏らしたとばかりに悪趣味を誇る香港のタイガーバーム・ガーデンにおおよろこびしたこと。(佐藤秀明編『三島由紀夫紀行文集』岩波文庫2018年)あきらかにここにはあからさまに下品な美、すなわち俗悪の擁護と賞揚がある。



三島が馬込に建てたロココ調だかなんだかの白亜の殿堂もまたいかにも自意識過剰で滑稽なほど時代錯誤な鹿鳴館ふうである。(あのスタイルは、べつに三島の影響というわけでもないだろうけれど、三島の没後二十年間ほどラヴホテル様式になったもの。しかし、それもやがて飽きられ、ラヴホテルのデザイン様式はシティホテルふうのシンプリー・モダンなそれに席を譲った。)三島の装飾過剰な文体もまた、いくらかかつてのラヴホテルじみている。しかも、あの珍奇な、映画のセットのような家で、三島は現代の傾奇者かぶきものを気取り、冗談交じりに「近代ゴリラ」を自称し、ボディビルで鍛え上げた筋肉を誇示し、アロハシャツの胸元から自慢の胸毛をちらりと見せながら、得意げに雑誌のグラビアに収まった。




三島の好きな、そして三島に似合う画家はアントワーヌ・ワットーとサルバドール・ダリである。なるほど、ワットー趣味は三島の白亜の豪邸につらなるものだろうし、他方ダリは三島のスター志向とつながりはするでしょう。しかしながら、いったい誰が三島のそんな奇怪なとりあわせの美意識を理解できるでしょう? しかしこれが三島なのである。しかも三島はダリ以外に二十世紀芸術にはさしたる関心を持たなかった。いいえ、三島は横尾忠則も大好きだったけれど。三島はカリフォルニアのディズニーランドを愛した。ディズニーランドは童話のテーマパーク化である。三島はただひたすら物語を愛し、しかも三島の物語の原型は童話であって、三島は人の世のすべてを物語でもって理解し、表現する人なのである。どれだけ大人の世界を描き、大人の現実を物語化しながらも、ただし、三島の想像力の深層には童話が潜んでいる、あのまがまがしい自決でさえも!




ぼくは解釈する、悪趣味こそが三島の、けっして自分を理解せずともすれば自分を抑圧する社会への、反逆の表現だったのだ。




三島の最期。人騒がせな最期を飾るパフォーマンスによって、三島の頭部は胴体から切り離され、生首となって転がった。まるでコドモの頃から三島を魅了したオスカー・ワイルドの『サロメ』ではないか。なんという符合だろう? 誰が三島の生首を拾い上げて、くちづけをするだろう? ぼくは礼節をもって優しく三島の生首を拾い上げ、そっとくちづけしたい。しかし、三島はぼくのくちづけなど拒否するでしょう、それはおまえごときの役じゃない。ぼくだってそんなことくらいわかっています。だからこそぼくは(きわめて個人的な歪んだ美意識でもって人生を生き切った、そんな)bizarreな、あるいは Queer な三島にこそ注目して、このシリーズを書く。さぁ、これからいよいよ本編です。




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