フランスの歴史学の手法
概要
パリ五輪を見ると、フランス人的な発想が、色々なところで見えてくる。特に
日本に黒人奴隷がいた
等の政治がらみの歴史解釈などにも、フランスの学者達の動きが、日本とは違うような感じがする。
そこで、文庫クセジュの「エピステモロジ-:エルヴェ・バロー著:松田克進訳」から、フランス的な歴史学感を、見直してみた。なお、文庫クセジュの位置づけは、岩波新書より少しアカデミックというレベルである。
文庫クセジュ - Wikipedia
また、ここでエピステモロジ-は、科学認識論という位置づけである。
これを見ると、日本の歴史学と比べて、哲学的議論や方法論の議論が厳しいと思うのは、私の偏見だろうか?
歴史学の位置づけ
まず歴史学の位置づけは
少しでも発達したあらゆる人間社会は、
その社会の国内的および国際的な営みの
特徴となる事件を記録しておくために
歴史学者を必要とする
と、必要性を明記している。どのような学問でも、その分野が何故必要か、哲学的な議論を行うのが、フランス人の特徴である。これが日本なら
歴史学が必要なのは当たり前
や
教育勅語で学べと言っている
と言う論法の「既得権益」発想が出てくる。
歴史哲学と方法論
さて本筋に戻し、西欧文明ではこうした歴史学は、古代ギリシャで政治から独立した学問分野として確立している。プラトンとアリストテレスの政治哲学、ヘロドトスの歴史書は、現在でも学ぶべきものがある。
この後、19世紀の
ヘーゲルなどの歴史哲学発想
あるがままの過去の「完全なる再現」を求める「ロマン主義」
の二つの流れが存在する。
これに対して、方法論的な議論は、クールノーが
科学的・合理的な社会構成
欲求や本能による非合理的な突き上げの動揺
の2面を考え、さらに合理的な説明では
原因:出来事に於いてもっと目立つ
理由:影響力を背景に説明する
を分離する議論を導入した。さらに20世紀のフランスの哲学者アロンは、マックス・ヴェーバーの以下の方法論を使って
「理解」は理想化したモデル上の合理的説明
比較対照法によりみる「歴史的因果性」
行動の特質をまとめる「理念型」
客観性を持たせようとしたが、疑いの念を持っている。つまり
事実は歴史家による解釈を通して始めて歴史的なモノになる
と言う限界を感じていた。
真なる小説としての歴史
さて、これに対してP.ヴェーヌが
歴史的記述は「真なる小説」
と言う発想で、「歴史的真理」を求めようとした。彼の発想は
想像力により我々は過去の人間の思考様式に入ることができる
である。但し、この想像力は
入手可能な文書の規制下で
不断に是正され軌道修正される
ことで、真実に近づこうとする。ヴェーヌの歴史記述は
策謀の物語
であり、以下の諸要因で説明される。
偶然:表面的原因・偶発時・好機など
客観的な原因:条件・所与など
自由意志や熟慮
ただし、この説明は無限遡行できないから、不完全になる。
解釈学的伝統の方法
さて、もう一つのアプローチは
解釈学的伝統
で
心情と意志の全ての能力で達する方法で
人間が企図する事柄の全体に対しないと
もっとも貴重な部分を必然的に見失う
と言う発想である。
最後に
フランス人は、哲学的論議を好むが、学問の方法論に関しても、色々な考えがある。日本の場合には、多くの古文書が存在しているので、その解読にこだわり、客観性の維持という発想があるようにおもってしまった。