イノシシが生きていた証②
※この記事では生物に関して生々しい表現や画像が出てきます。そういったものが苦手な方は今回の記事はご遠慮いただければと存じます。
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前回はイノシシの命を止める、止め刺しについてお話をさせていただきました。
今回は電気止めさし機でいのちを止めたイノシシがお肉になっていく過程やその経験を通して気付いたことをお話しさせていただきたいと思います。
解体の写真等も掲載していますので、苦手な方はご遠慮ください。
イノシシを食用にするにあたり解体をするのですが、帽子を被り、衛生着を来てエプロン、アームカバー、使い捨てのゴム手袋をして作業を行います。
イノシシからヒト、ヒトからイノシシの汚染を防ぐためにこのような対策をしています。衛生面には本当に気を使って、食用のイノシシを解体しています。
ジビエを食べるときに、「値段が高いな」と感じるお店や販売店では、かなり衛生面に気を使って処理されたものであることが多いです。それだけ工程数も増えるので値段が上がるのは自然なことかと思います。逆に安いものは個人的にですが、怖いです。
この記事を読んでいただいている皆さんがジビエ料理を召し上がるときは、
値段だけで、高い安いを判断するのではなく、どのようなところで解体処理されたのか(どれぐらい衛生面が優先されているのか)、それに加えて実際に食べて感じた美味しさや安心安全なものであるところも合わせて判断していただきたいと思います。(不躾なお願いで申し訳ありません。)
衛生的に食べられるジビエが流通していく販路やそれができる会社やお店を増やしていくためにもご理解頂ければ幸いです。
話を元に戻します。
命を止めて解体所に運ばれたイノシシは一次解体という工程で内臓を出し、毛皮を剥いでいきます。
文字で表すと短く感じるかもしれません。
これらの作業が個体にもよりますが、1時間から2時間ほどかかります。
包丁を何本か使って作業を進めていくのですが、切れ目を入れるところは予め湯むきしておき、前腕の内側と手首付近一周、後ろ足の内側と足首付近一周の毛と肛門付近の毛を抜いておきます。(イノシシの毛はかなりの剛毛で3本1組のような生え方をしています。)
毛を湯むきして、吊るし、肛門から便などが出ないように周囲を切開し肛門を結索します。
正中線に沿ってお腹を開いていき、剣状突起から切れ目を入れてあばらは左右分かれるようにしておきます。筋膜に薄い切れ目を入れてから手を入れていき、腸間膜ごと、あばら骨から剥がしていきます。
特に内臓を出す作業は誤って腸管を傷つけてしまうと内容物により、お肉が汚染されてしまって食用に回すことができなくなるので特に慎重に進めていきます。
前置きが長くなってしまいましたが、ここからが今回お話したいことです。
イノシシの内臓を出す工程は何度やっても身が引き締まる思いになります。
止め刺しをしてからの時間にもよりますが、まだイノシシの内臓の温かさがあるんです。
イノシシは先ほどまで生きていたので、冷静に考えると内臓が温かいことは理解できるのですが、その温度に触れると改めて先ほどまで生きていたこと、自分たちがイノシシの命を止めた事実が押し寄せてきます。
前回の記事でお話しさせていただいた、「止め刺し」をする時でも「イノシシが生きていた証」を感じるのですが、絶命しているイノシシの内臓が温かいということも「イノシシが生きていた証」を強く感じます。
初めての時は特に衝撃が大きく震えました。繰り返しになりますが、捕獲されなければその後も生きられたであろうイノシシの個体が、人間の都合で命を止められたという厳然たる事実に直面した瞬間でした。
内臓を摘出した後は毛皮を剥いでいきます。(傷の無い毛皮は革製品にすることがあります。)
毛皮を剥いで、余分な血液を洗い流したら冷蔵庫に入れます。
数日寝かせ、枝肉に残っている血を出し切っていきます。
数日後に二次解体という作業で枝肉から部位ごとにお肉を切り分けていきます。
こちらには、一次解体の時よりもさらに衛生面に気をつけた服装で臨みます。
ウデ、肩ロース、ロース、バラ、ヒレ、モモ、スネなどがお肉として取れます。体重の約30%がお肉になるそうです。
例えば、50kgの個体であればMAX15kgのお肉がとれる計算になります。(しかし現実は内出血してる部位は食用には向かないのでペット用にしていたりするので前後してきますまた、食用にならない部位は機械を用いて堆肥に転化しています。)
それぞれのブロックごとにカットして個装し、真空パックに詰めて冷凍していきます。
この写真は自分が捕獲してから捌く工程まで全てやらせていただいたお肉です。
先日、これらのお肉を実家の両親、沖縄に住む兄の家族、神奈川に住む兄の家族に送らせていただきました。食育の一環で「命の大切さ」と「いただきます意味」について知ってもらいたいという狙いがありました。
もちろん自分もこのイノシシ肉を美味しく感謝しながらいただきました。(とても感慨深いものがあり、格別の味でした。2021年の5月から熊本に来て修業をさせていただいて、ここまでこれたのだなと思えたところもお肉をさらに美味しく感じられた要因だったかもしれません。)
一頭のイノシシが捕獲、止め刺し、解体され、衛生的にお肉にされていく過程に関わらせて頂いて、正直とても大変な工程だと感じました。
(正直、スーパーで売られているお肉がどれだけ綺麗にカットされているのか痛感しました。また、屠畜場で牛、豚、鶏などを解体処理してくれている人への感謝も新たにすることができました。自分たちが美味しいお肉を食べられるのは、そこで働いてくれている人たちのおかげです。本当にありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。)
でもそこを経験させていただいたおかげで、「命の大切さ」や「自分の命はたくさんの生物の命によって支えられている」ということについて改めて考える機会をいただきました。
生物の命(植物、動物問わず)を止めて、食物に転化する行為(止め刺しや解体もそうですし、野菜や果物の収穫なども当てはまります)、そしてその食物を食べて自分の命を繋いでいく。
携わる部分は人によって異なりますが、生きていく上で誰しもがこの流れに関わっています。
多くの人は、自分で直接「生物を食べ物に転化しない」人です。他の人に転化してもらいその恩恵を受けています。そのため、他の生物の命をいただいて自分の命は他の生物によって支えられているということを忘れたり、あまり深く考えていなかったりすることがあります。そして生物を食べ物に転化してくれている人への感謝を忘れがちになっていきます。できれば定期的に生物を食べ物に転化する作業を経験されることをお勧めします。とはいえ、定期的に経験することは難しいと思うので一度でも経験されることをおすすめします。
以前書いた命に関しての複数の記事や今回の記事はこの経験のおかげで書くことができたものです。
普段の食事や自分が修業させていただいている獣害から農家さんを守る駆除活動も人間の都合で生物の命を頂いています。
止められた命が持っていたバトンを受け止めて、自分の命は他の生物によって支えられている事実を受け入れて理解することは、これから生きていく上で重要だと感じるようになりました。
私たちを支えてくれている他の生物の命を育んでくれている「自然」についても、本当に有り難く、大切にしていかないとならないものだと再認識しました。
今自分がこれらのことに気付くことができて、noteを通じて皆さんにお伝えさせていただいていることも「イノシシが生きていた証」の一つなのかなと感じています。
また、自分の修業を受け入れてくださり、イノシシについて様々なことを教えてくださった皆様1人ひとりに心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
いただいた命を無駄にしないように、最大限活かせるように今後も活動していきたいと思います。
サポートしていただけたら、実験用具を買うか、実験用の薬品を買うかまだ決めていませんが、生徒さんたちと授業のために使いたいと考えています。