『たやすみなさい』を読みました
短歌短歌と鳴き声のように、口を開けば短歌のことばかり話している今日この頃。遅ればせながら岡野大嗣さんの歌集『たやすみなさい』を拝読したのでその感想をば。先に言っておくと、僕の感想など読む前に、こちらをお読みくださいませ。
『たやすみなさい』
たやすみ、は自分のためのおやすみで「たやすく眠れますように」の意
この一首から、歌集『たやすみなさい』は始まる。そして僕たち読者は岡野さんが紡ぐしなやかな短歌たちによって、穏やかな眠りにつくように、ほぐされていく。
降ってない中を差してた傘とじてミュージカルなら踊り出すとこ
ページをめくって目に入る短歌はどれも瑞々しく、あたかも自分が情景に立ち会っていたかのように、温度や息遣いを感じることができる。『たやすみなさい』の中には見慣れない、聞き慣れない、新しい言葉や接続が少なからず登場する。しかしそれらの言葉たちは、まるで初めからそこにあったかのように、不思議とすんなり染み入るものばかり。
場所取りのブルーシートに静けさが座って鳩と仲むつまじい
新しいはずなのに、昔からあったような気がしてくる。学校や塾で教わったり、社会の仕組みとして学んだりしたことではなく、最初から自分の中に備わっていたような言葉。もしくは、装置としての言葉が世界を淘汰する以前に、世界がもともと持っていた響き。
人間はしっぽがないから焼きたてのパン屋でトングをかちかち鳴らす
岡野さんは、その響きに耳を傾けている。その響きを丁寧に聞き取って、音と言葉を用いて僕たち読者にこっそりと教えてくれる。
部屋でひとりしずかな漫画を読むときの漫画のなかのさまざまな音
ここには、その響きが目に見えるかたちとしてそっと立ち上がって生まれたような短歌がたっぷりと収録されている。歌集『たやすみなさい』、それは歯車のように忙しない日常、もしくは泥のように沈みがちな日常、そして何でもない日常にそっと寄り添う、旧友のような一冊である。
あと装丁がめちゃくちゃきれい。
あとがき
夜が涼しくなってきた、と言われている。確かに先々週などと比べたら幾分風が心地よくなったようにも感じる。しかし僕は汗っかきで太っている。世間的には涼しくなった夜であっても、駅から家まで歩く間に玉のような汗をかく。まるでマラソンのゴール寸前かのように、ぐっしょりしながら並木道を歩いて帰る日々である。
見上げると、木々の上でヒグラシが鳴いていた。彼らはこれからが秋がやってくることを、街の人々に知らせているようだった。かなかな、という彼らの声は日没を加速させるようで、家路を急ぐ少年たちは自転車で颯爽と僕を追い抜いていった。
僕はいろいろなものに申し訳なくなって、玉の汗をタオルで拭った。何度も洗濯したタオルは硬く、汗をよく吸収していた。ヒグラシには悪いが、ああ、まだまだ冷やし中華が食べたい。