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私が占い師になったワケ(闘病記⑤誤診 20歳~22歳)
不思議として20歳を迎えた頃、私の病状は安定した。
たった1年間ではあったが、専門学校を卒業し、正社員として働くことができた。
特に目立った症状は出なかったと思う。
それを証拠にこの頃、病院に通った記憶はない。
おそらく湿布でも貼ってやり過ごしていたのだろう。
但し、22歳になった頃、再び右足に異変を感じ、今まで通っていた総合病院の整形外科へ電話を掛けたが、担当医はもういないと告げられた記録が残されている。
仕方がないので、今度は市外で有名な整形外科を受診することにした。
その時、私の担当になった主治医は開口一番、「生まれつき足がわるかったんじゃないの?それにしても珍しい足だね。こんな症状、診たことがないな。」と言った。
先天性だった記憶はないが、今まで通っていた病院で告げられていた病名(第一ケーラー病、もしくは第二ケーラー病)を告げると「それは明らかに誤診だと思うよ」と言われ、私は診察室で愕然としたのを今でもハッキリと覚えている。
何だかとても裏切られたような気分だった。
果たしてこんなことがあっても良いのだろうか。
こんなことがあってたまるものか。
この日を境に医師の言葉を鵜呑みにしなくなったと言うことは言うまでもない。
私がまだ小さかった頃「病気」と言うものは「病院」へ行けば必ず治ると思っていた。
病名がハッキリしない限り、治療法などないのだろう。
今でこそ私は自分が何で病気になったのか、考えることをやめてしまったが、この頃はまだ自分がどうして病気になってしまったのか、毎日のように考えていたようだ。
30歳の時に占い師としてデビューしてからは、ブログに病気のことも書き綴っているが、2005年にヤフージャパンのノートパッドに記していた未公開の闘病記は、今回noteに病気のことを書こうと決めてから、とても参考になっている。
と言うのも人生もあと半ばくらいになった今では、20年前、30年前、40年前のことなど、ほとんど鮮明に思い出せないことが多いからだ。