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私が占い師になったワケ(闘病記㊺レアディジーズデー 世界希少・難治性疾患の日 脳神経内科へまわされた日 2018年)
2018.02.27 慢性外耳炎が酷いため、耳鼻科を受診する。タリビットとリンデロンを処方してもらった。
レアディジーズデー (世界希少・難治性疾患の日)について考える。
2018.02.28 今日は レアディジーズデー (世界希少・難治性疾患の日)だ。
ベーチェット病と強直性脊椎炎を患っているのだが。少しでも難病のことを知ってもらいたいなと思い、パソコンの画面に向かっている。
8歳の頃から右足の骨が原因不明で融け始めてからと言うもの、闘病期間が長い。
そのため、いったい何から話せば良いものかと、頭を抱える。そもそも私が今の職業(占い師)に就いたのも難治性の疾患が悪化し。
何度か障害者雇用の面接を何度か受けに行ったのだが(身体障害者手帳6級・下肢障害あり)雇ってもらえず。
それならばそうとなんとか生きていくためには治療費を捻出しなければならないと思い、自分のペースで好きなときにできる仕事、そして足が悪くても座ってできる職業を必死に探した。
その当時の私は前世からの名残もあり、音楽中心の生活を送っていたのだが。皮肉にもある日突然、原因不明でまったく声が出なくなったことがきっかけとなり、大好きな音楽をやめることになる。
音楽以外で好きなものを探すのが本当に大変だった。
それでもない頭を必死に振り絞り思いついたのが、占い師だ。
その頃はまだ雑誌に載っている星占いを読む程度だったり、何回か占い館で対面鑑定を受けたことがある程度の好きさだったが。
占い師の道を志すことを決めてからは、迷いはなかった。
とにかく難病患者はただ(無料)で病院を受診できると未だに思われることがあるが。
現在、無料で治療を受けられるのは、生活保護者だけだ。
そのため私たちは所得に応じて上限額が決まっており、薬1つとっても難病の薬として処方されるものは2割負担になるが。
難病の扱いにならないものは、3割負担で支払うことが決まっている。
それに新薬は保険が適用されても高いものが多く、骨粗鬆症の薬(フォサマック)は予防の薬だからという理由で3割負担にされていたこともある。
難病の制度は時折見直されるが、私の主治医も会議などに参加しており、新しい難病の制度で苦しんでいる患者さんがテレビに出ているのを見たのでリウマチ内科の主治医に「あれはなんとかならないのかな?」と尋ねると「何とかなるように話を進めても、常に難病患者と向き合っている現場の温度と厚生労働省の温度はあまりにも差があり過ぎて、何度話し合っても平行線で話にならない。」と言っていた。
まぁ、話にならなかった結果、そのまま制度は続行し現に至る。
ちなみに私の住んでいる地域でも新制度に伴い、1年に2回ほど支給されていた見舞金制度は即打ち切られた。
これだけ疾患数を増やしたのだから、市の言い分もわからない訳でもない。
気を取り直して働こう。
2018.03.19 自分が出店したイベントでスピリチュアルアートセッション、守護霊様の似顔絵を描いてもらった。
今は亡き村田のりみちさんから頂いたメッセージは下記の通りだ。
私の守護霊様は私が頑張った分、努力した分、異常なスピードで育てあげたため、今は大空に届く大きさと能力に成長しており、また、今見えている世界は、最も楽しい景色で最強とのこと。
さらにこの見晴らしから自身のお客様の歩んでいく人生の道程は、手に取るようにわかるのだが、この景色が見えるまで育て上げたご自身の過去を本当に大切にされてくださいと言っていた。
そして今までとじょうろの養分は随分変わってきているのだが、「楽しい」と思う養分で育つ花はこれからも加速的に成長を続けて行くとのこと。
ちなみにのりみちさんは普段、絵を描くときに文字よりも人物を大きく描くそうなのだが、大きく上へ向かっていく花の上にちょこんと乗っているのが私であり、守護霊様はじょうろで表現されていると言っていた。
自分にとっての守護霊様はこのくらいの大きさ(小さなじょうろ)とのこと。
おそらく占い師と言う職業に就いてからなのだろうか。
日々鍛錬することにより自分のパワーが守護霊様を上回り小さな存在になって行ったのだろう。きっと幼少期から患い続けている難病がそうさせたのだ。
「過去を大切に」という言葉が書き綴られて行くのを見た瞬間。
今まで起こったすべての出来事が腑に落ちたような気がする。
のりみちさんが最後に「楽しい」という言葉を使ったとき。自分の進むべき道はこれで良いのだと思った。
※のりみちさんはもうすでに亡くなってしまったが、病気の記事をアップすると、いつもコメント欄に「あろはさんはいつも大変なのに明るく投稿して偉いね」と褒めてくれた。
もう二度とのりみちさんのスピリチュアルなセッションを受けられないと思うと悲しくなるが。
「あろはさん、先に行って待っているからね」と言う言葉が聞こえる。
2018.03.24 今日は目が覚めると同時に例の右側の後頭部に激痛が走った。早朝から寝返りも打てない為、(枕に頭を当てているだけでも後頭部を常に金属バットで殴り続けられているような痛るボルタレンサポ50mgを使い、それでも痛みが治まらないためボルタレン錠25mgとノイロトロピン錠、そしてプレドニゾロン(ステロイド)を服用する。
なんとか痛みは軽減した。
2018.03.25 薬が効いているせいか、後頭部の痛みはそこまで酷くない。
2018.04.05 今日は相変わらず後頭部を強打した際からずっと続いている痛みが酷く、夜中に1度起きてステロイドや鎮痛剤を何種類か組み合わせて服用する。
それでもなかなか痛みが治まらない為、朝からボルタレンサポ50mgを追加し様子を見ることにした。
2018.04.06 今日は痛みが少し和らいだので、姪っ子の出産、退院用のベビードレスを買いに行く。
本来ならばステロイドや座薬を使ってまで痛みをもみ消しているのだから、家でじっとしていたほうが良いと考える人も多いだろうが。
何と言っても治る病気ではないので、私は病歴が長い故、この痛みは薬を用いて一瞬消えたとしても切れるとまたぶり返すと言う特徴を持っているので、痛みが消えている間は買い物をしたり、食事を作ったり、洗濯をしたりと日常生活を送るようにしている。
特に若かった頃は歩行困難で杖を突かなければ歩けない時期もあったので、足を引きずりながらも仕事に向かえるだけありがたいと思う。
皮肉にも当たり前の生活ができないからこそ、このありがたみがわかるのだろう。
ちなみにもうすぐ1番上の姪っ子に3番目のこどもが産まれるのだが(2024年3月23日が予定日)、このとき私があげたベビードレスをまだ綺麗だから着せると言っていた。
買ってあげた私は、どんなドレスだったのか、もう忘れている(笑)
2018.04.19 リウマチ内科を受診する。
2018.04.24 今日はこれから脳神経外科の受診日だ。
2018.05.08 リウマチ内科から脳神経外科へまわされて、脳神経外科でもも後頭部の痛みの原因がわからないというので、今度は脳神経内科へ行き検査をするように言われる。
まず始めに心電図を撮り、高血圧から来る頭痛の可能性を視野に入れ血圧の検査を何度もした。
さらに久しぶりに採血をしてもらったのだが。
案の定、脳神経内科でも原因はわからず。
少なくとも高血圧性頭痛ではないことはわかった。
線維筋痛症かベーチェット病から来る頭痛(神経型)ではないだろうかと言われ、来月は再びリウマチ内科を受診するようにと言われる。
ちなみに線維筋痛症の疑いは20代の頃から言われており、全身性エリテマトーデスの疑いや強直性脊椎炎、潰瘍性大腸炎の疑いやクローン病の疑い、そして掌蹠膿疱症の疑いもあるが、どれも皆。
これと言った決め手はない。
その為、今回もあまり期待はしていなかったが、後頭部の激痛に関してはボルタレンサポ50mgやノイロトロピン錠だけでは痛みが治まらず、プレドニゾロン(ステロイド)を追加すると痛みが軽減するという話を脳神経内科の先生に話すと「線維筋痛症の場合は、ステロイドが効かないのが特徴だから線維筋痛症ではないのか」と言われた。
「とりあえず東洋の治療法で鍼を試すとか」と提案されたが、実はもうすでに鍼治療は試みており、効かなかったことを伝える。
すると今度はペインクリニックを勧められた。
「麻酔の種類はなんですか?たとえば、キシロカインとか」と聞くと「そうそう、最初はその程度から始めて。効くのがわかったら、強くしていく方法ね。もうちの病院は、麻酔科はあるけれど。手術に使用する麻酔科だから、ペインクリニックに紹介状を書いてあげても良いけど」と言われた。
でもキシロカインはその昔。
整形外科でケナコルトとセットで打っていたのだが、あまり効かなかった記憶があり、そうこうしているうちに「リウマチ内科の主治医を差し置いて僕が勝手に紹介状を書くわけにもいかない」と言い出したので、話はそのままになってしまった。
脳神経内科の先生は、私が検査を受けている間、ずっとカルテを読んでいたようで、私の悪いところはすぐに新薬が具合が悪いと言って飲まなくなるところだと言っていた。
もしも1週間、プログラフカプセルやトラムセット、トラマール、そしてリリカを飲んで身体を慣れさせることに成功していたら、もっと違う未来が待っていたのだろうか。
いささか疑問である。