私が占い師になったワケ(闘病記③高校生時代)
雨の日。
学校へ通う途中で、右足のハイソックスにだけ泥水がはねていることに気づく。
1度や2度ではない。
友人からも何度も指摘された。
おそらくこの頃から足首の回転が悪くなり、足を引きずることが多くなった
のだろう。
今だからこそそのように解釈できるが、当時の私は友人からこのことについて友人から指摘されたことを何だかとても気恥ずかしく思うだけで、交換用のソックスを鞄の中に潜めるのがやっとのことだった。
今となっては懐かしい思い出である。
ここまで書いたところで、この頃、はじめてベーチェット病特有のアフター性潰瘍が口の中いっぱいに出来たことを思い出す。
とは言えども、その当時は、大きな病院には通っていなかったので、ただの酷い口内炎として片づけられる。
今思えば、幼少期の頃から、口内炎が沢山できる子だった。
追記 高校生の頃、小栗康平監督作品映画「眠る男」に脇役として出演。足が悪いながらも頑張って撮影していた記憶がある。
もしも作品を見る機会があれば左右のふくらはぎの太さの違いに注目して頂きたい。
特に私は右足の骨の変形が酷いため、左足に重心をかけていることが多く、右足のふくらはぎには、ほとんど贅肉がない。
役所広司さんが主演していたのにも関わらず当時の私は役所広司さんを知らなかった為、レセプションパーティーでスタッフの方に「母から聞いたのですが役所広司さんはどの方ですか?」と聞いたら「鈴木さんの目の前におられますよ」と言われ、仰天したのは言うまでもない。
またこの時にのちにホラー映画の巨匠と言われている清水崇監督とも出会った。
野村昭子さんもまだお元気だったな。