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私が占い師になったワケ(闘病記⑥入院 22歳)

二十歳を過ぎると暫くの間は、喉に痛みを感じることはなかった。

しかし、あれは忘れもしない22歳の夏の終わりの頃。

当時はよく神楽坂のLIVEハウスで「お笑いと音楽の融合」を目指したニューロンプロジェクトと言うLIVEに出演していたのだが、ライブ前日に衣装準備をしていた時。

今までに1度も味わったことのない痛みが喉に走る。

昔から扁桃腺肥大には悩まされていたが、痛みを感じてから数時間もしないうちに今度は自分の唾液が喉を通るたびに痛みを感じるようになったので、慌てて体重計に乗ると、42kgあった体重は39㎏になっていた。

たった数日で3㎏も痩せてしまったので、そのまま病院へ駆け込むと、主治医はすぐさま入院を勧めてた。

家族に電話を掛けたかったが、病院へ着いた頃には、もう声を出すことができず。

とにかくこの激痛を早く取り除いて欲しいのだが、この時の主治医はまだ若く、経験値がないため、どうしたら良いのかわからないと言った状態だった。

とりあえず何も食べることができない為、24時間点滴を何日もおこなったが、回復する気配はなく、ただひたすらに痛みと闘っていたのだが、そこで役に立ったのは主治医と同じくらい若い薬剤師さんだった。

彼は出始めたばかりのインターネットを駆使し「エレースアイスボールを試してみたらどうだろうか」と医師に提案し、私もその治療法に賛成した。

するとどうでしょう。

エレース氷を1粒舐めるごとにあっという間に回復。

翌日には何日かぶりに食事がとれるようになったのを今でも覚えている。

病院の天井を見上げ「死ぬかもしれない」と思った私に奇跡が起こった。

たった10日間の入院生活ではあったが、退院後もエレースアイスボールを自宅で作り、退院した時の診断書を見ると、正式な病名はなく「原因不明」と書かれていた。

この時もまた「原因不明か」と落胆したと言うことは言うまでもない。

追記 実はあれから思い出したのだが、このとき入院するきっかけになったのは、入院する前の週に親知らず(下の歯)を抜いたことが原因だったような気がする。

私の顔は顔面麻痺のような病態となり、とにかく酷かった。

あまりにも酷い症状が続き、24時間点滴を何日もし、生死をさまよっていたので、当時の日記には何故か抜歯のことが記載されていない。

退院し、そのことを抜歯してくれた医師に告げると「だから入院して抜歯するように言っただろ」と怒られた。

もちろん入院を勧められたことなど1度もない。

追記 当時、神楽坂のステージに一緒に立っていたお笑い芸人さんは、なんと。あのあばれヌンチャクだった故・桜塚やっくんやイワイガワのジョニ男さんだった。



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